公文書館西側の交差点は「縁切榎前」となっており、角に縁切榎と呼ばれる榎の木と稲荷神社がある。ここはその名の通り悪縁を切って良縁を結ぶご利益があるとされるが、もともとは旗本屋敷にあった榎と槻の木が「えのきつき」>「えんつき」>「縁尽き」という具合に語呂合わせて意味を持ったものだという。
水路の方は写真奥を南北に走る旧中山道をくぐって流れてきていたたようだ。
旧中山道、交番と一体になっている板橋宿上宿の石碑。
そこから旧中山道を少し南に行ったところに、石神井川を渡る「板橋」がある。板橋区の名前にもなったこの橋は、鎌倉時代にはすでに最初のものが架けられていたという。
板橋の南側には、かつての石神井川の蛇行跡が石神井川緑道として残されている。
下流の合流点から上流方向をみたところ。蛇行跡とはいえかつての本流だったこともあり、幅広い水路敷が親水公園として整備されている。
公園の中にはなぜか一部だけ水路が蓋暗渠になっている部分がある。
板橋を挟んで緑道と反対側、上流側の分岐点は熱帯雨林のような雰囲気になってしまっている。
一方、根村用水は旧中山道から国道17号(現中山道)に向かう。
中山道の西側では、短い水路敷があるがすぐに民家の敷地に阻まれて行き止まりになっている。
境内に石橋が残るという智清寺の西側、日曜寺の門前で水路敷が復活する。
日曜寺の前にも石橋が残っている。
日曜寺の先は普通の道路になっていた。
北側の斜面に作られた双葉町ひだまり公園の下を水路は流れていたようだ。このあたりでは道路北側に歩道があるので、そこが水路敷だったのだろう。
もともとの根村用水は突き当たりの向こうから流れてきていたようだが、区画整理により元の流路は辿れないように見える。
すぐ北側に西へ向かう道路があり、交差点から少し下っていることを考えるとそのあたりを根村用水が流れていたのかもしれない。
石神井川に架かる向屋敷橋のあたりで、根村用水は石神井川か田柄川から分水していたものと思われる。