住宅地のなかで貫井四丁目緑道はいきなり始まっていた。
緑道の入り口を東側から見る。正面の道路が緑道入口のところで凹んでいるのがわかる。
水路は写真右側の住宅方向からまっすぐ流れてきていたのではないかと思うが、痕跡は残っていない。
北側に回ってみると、奥に階段がある路地に行き当たる。
どうやらここで川沿いルートと崖沿いルートが分岐していたようだ。
さて、ここでいったん環八まで戻り、川沿いルートをたどってみよう。
水路敷は目白通りと環八に上書きされて残っていないが、環八の西側、パチンコ店の駐車場脇にある送電線鉄塔の下で復活している。
そのまま駐車場の間を直進し、住宅地を抜けていくとさきほどの分岐点に至る。
崖沿いルートと大きな高低差が生じているが、このあたりは崖沿いよりも土地が高くなっており、水路を暗渠化する際に盛土して高さを合わせたのかもしれない。
崖沿いルートとの分岐点から再び上流を目指す。
正面は行き止まりではなく、右側が境橋から、左側が大野橋から流れてくる水路の合流点だ。
写真には写っていないが、左側はクランク状の路地になっている。
右側へ進むと、石神井川を渡る境橋へ。
ここで、石神井川から分水した水路があったようだ。
左側は崖下の水路敷。
写真正面でかなりの角度で坂を上っているのだが、古い地図にはない四商通りの下り坂に合わせているためのようだ。
その下り坂を渡った先に、久しぶりに「水路敷」のペイントを発見。
しばらくは自動車も通れる広い道なのだが、進むにつれ細くなり、写真右にある坂本遊園の入り口から先は、完全に歩道幅しかない。
坂本遊園を過ぎると、水路敷は石神井川の南に並走する形になる。
大野橋まで直進するかと思いきや、カクカクと曲がっていく。
さらにちょっとだけ曲がって大野橋に到着する。
対岸の左岸側には
市杵築神社から流れてくる支流の合流口があるが、右岸側はここで分水していたのではなく、さらに上流の谷原三之橋まで水路敷が続いている。