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石神井川周辺の水路敷群(山下橋〜愛宕橋)その1

OpenStreeMapで前半部分(山下橋〜蛍橋)の経路を見る。

山下橋の右岸側。上流に向かう道は一方通行の出口になっているのだが、崖に沿った側に妙に広い空間が残されている。
もともと、このあたりは崖下に石神井川の本流が流れていた場所で、どうやら流路を付け替える前の跡らしい。
ここからの写真は2013/5/11撮影。
もともと、このあたりは崖下に石神井川の本流が流れていた場所で、どうやら流路を付け替える前の跡らしい。
ここからの写真は2013/5/11撮影。

山下橋で北向きに貼り出した台地を迂回した流路は、写真のあたりで現在の河道から左(東)へ逸れ、家並の裏側に消えてしまう。
ここからしばらくは水路敷ごと民家の敷地に飲み込まれてしまうようで、追いかけることができない。
ここからしばらくは水路敷ごと民家の敷地に飲み込まれてしまうようで、追いかけることができない。

4ブロックほど進んだ場所で、北側に蓋暗渠を発見。ここから北側には進むことはできないが、民家の中を暗渠が通っているようだ。

そこから南側は、敷地の境界に沿って遊歩道になっている。

途中で石神井川に向かって一直線に伸びる水路敷を見つけた。

そちらを進んでいくと、おなじみの「水路敷」ペイントに出会う。

遊歩道へ戻ってしばらく進むと、カクカクと道が曲がり…

遊歩道の終点に到着。

出口には防災井戸があった(下流に向かって撮影)。

ここから先は普通の舗装路に。

道の左手には丘陵沿いに農地が広がる。

まもなく旧早稲田通りとの交差点にたどり着く。このあたりは普通の車道になっている。
写真の右側が豊島橋。
写真の右側が豊島橋。

おまけでひとつ南側の交差点を東へ進んだところにあった小祠。
奥に「愛宕大權現」とかかれた札があり、廃仏毀釈を免れた愛宕権現の像なのかもしれない。
奥に「愛宕大權現」とかかれた札があり、廃仏毀釈を免れた愛宕権現の像なのかもしれない。

旧早稲田通りを越えたあとは、しばらく水路敷らしくない普通の道路となって続く。

上の写真中央の交差点を右に見ると、その先に石神井川に向かう水路敷が見える。

元の道へ戻り、睦橋に向かう道との交差点を越えていく。

交差点を右に曲がったところにある睦橋。昭和22年の空中写真ではこのあたりから本流が南へ蛇行しているが、その痕跡は現在見ることができない。かろうじて、橋のたもとに残る小さな公園がそれを伝えているようだ。
ここからの写真は特に記載がない限り2013/10/12撮影。
ここからの写真は特に記載がない限り2013/10/12撮影。

元の道を進むと、次の十字路でこの先行き止まりの表示がある水路敷に代わる。
水路敷といっても、事実上道路として扱われているようだ。
水路敷といっても、事実上道路として扱われているようだ。

地面のペイントには、かつて「水路敷」と書かれていたであろう痕跡が残ってはいた。

行き止まりを前に、水路っぽい舗装跡が右へ分岐していく。
舗装にかき消された水路敷のペイントがちょっと痛々しい。
舗装にかき消された水路敷のペイントがちょっと痛々しい。

住宅街の隙間に残る水路敷。

水路敷まっすぐ進んで根ヶ原橋で石神井川に合流する(写真は根ヶ原橋側から)。

根ヶ原橋のたもとには、右岸側から結構な流量がある排水口が覗いていた。
ここから上流は、石神井川が北側に蛇行していた部分。蛇行部分の水路跡にはマンションが建っていたり、こちらも痕跡はほとんど残っていないようだ。
ここから上流は、石神井川が北側に蛇行していた部分。蛇行部分の水路跡にはマンションが建っていたり、こちらも痕跡はほとんど残っていないようだ。

戻って右岸側の水路敷をさらに上流へ辿って行こう。
ここを行き止まりにする意味があるのかちょっと疑問な路地。
ここを行き止まりにする意味があるのかちょっと疑問な路地。

その先はいかにも水路敷な裏路地になる。

根ヶ原橋から来る道と交差する。その先は細いが自動車も入れる道になるようだ。

ふたたびおまけで上の写真から左の道を上っていくと、突き当たってすぐ右にあるのが結構立派な構えの丸彫青面金剛庚申塔。
享保12年(1727年)造立で、丸彫という像を掘り出した形は庚申塔としては珍しいもの。昭和40年代に自動車が衝突して折れたという修復跡(胴体あたり)が痛々しいが、現在でも地元の庚申講によって信仰されているという。
享保12年(1727年)造立で、丸彫という像を掘り出した形は庚申塔としては珍しいもの。昭和40年代に自動車が衝突して折れたという修復跡(胴体あたり)が痛々しいが、現在でも地元の庚申講によって信仰されているという。