Natrium.jp
新川(白子川上流)の水路敷群(天神山〜谷戸小学校)その4
←前のページ
如意輪寺
都道36号脇に建つ光明山如意輪寺。真言宗智山派の寺院だが、明治25年(1892年)の火災で由来を示す文書が焼失したため創建年代などは不明という。
如意輪とは紀元前後に使われていた中期イラン語のひとつソグド語に由来するというが、実はこの寺の本尊は如意輪観音ではなく大日如来なのだそうで。
境内には「白子川を知っていますか」によればマツバ池という池があったという。
この写真のみ2016/8/21撮影。
歩道橋下
歩道橋の下はフェンスで立ち入れないようになっているが、しっかりと蓋暗渠が残っている。
外周
歩道橋の先もそのまま蓋暗渠になっており、如意輪寺の外周に沿って南へ回り込んで行く。
裏門
ふたたび進路を西に変えたところで、道路と合流し如意輪寺の裏門に出る。
側溝
そのまままっすぐ道路脇の元側溝が続いている。
道路冠水につき
途中、物騒な看板と出会う。暗渠が下水道を兼ねているのか、近辺が窪地なせいなのか、大雨の時は注意が必要なようだ。
合流
ふたつ上の写真で正面に写っている突き当たりで、左右(南北)から二つの蓋暗渠が合流していた。
どちらが本流なのかはよくわからないのだが、まずは右(北)側の水路を進んでみることにしよう。
新川(北)
北側の流路は合流点のすぐ先で西へ転進している。
横断者に注意
鎌倉時代から残るという横山道との交差点。ここでも横断歩道が水路上に描かれており、「横断者に注意」の看板のある路地が水路敷の続きになっている。
このあたり、「白子川を知っていますか」によれば水路の北側に弁天池という池があったというがそれらしい痕跡は見当たらない。
東禅寺
ここで横断歩道を右に曲がってちょっと寄り道。このあたりには保谷四軒寺と呼ばれる4つの寺院があり、さきほど如意輪寺とこの東禅寺もそのひとつ。
文禄3年(1594年)に開山された曹洞宗の寺院。この寺を開基したのは保谷出雲守直政と伝わり、現在でもこのあたりには保谷さんが何軒もある。もっとも、地名については保谷氏が名乗る以前から穂屋などの記述がみられるそうで、このあたりが実り豊かな場所であったことを伝えているようだ。
尉殿神社
さらにもう少し進んで、都道36号と再会するところにあるのが尉殿(じょうどの)神社。元は尉殿権現といい上保谷村の総鎮守で、水の神たる倶利伽羅不動明王と、風の神たる級長津彦(シナツヒコ)命を祀っていたという。
水路敷?
東禅寺の西側にある、ひばりヶ丘中学校の敷地の端に怪しい空間を発見。覗きこむと側溝のようなものが見えるのだが、新川に向かう水路があったのだろうか。
続き
さて、戻って新川(北)を進もう。横断歩道の先は、アーチになった木立をぬけて進んでいる。
橋
かつては民家の入り口にかかっていた橋だったと思われるものが、蓋暗渠と一体になって残っている。
階段
じょじょに南側との段差がついて、階段が必要なレベルになっていた。
橋?
クネクネとした蓋暗渠を進んで行くと、ひばりヶ丘駅へ向かう道路と交差する場所に出る。橋の欄干のような構造が残っているが、柵が両側で異なったデザインなのはなぜだろう。
手前の錆びた箱のようなものは中身が見えていたが、どうやらかつては樋門のゲートを開閉するためのハンドルがついていたのではないかと思われる。バーティゴさんに教えていただいたところでは水路を渡る送水管に取り付けられた調圧弁(背圧弁)であるとのこと。
ポンプメーカーのサイトを見てみましたが、弁を抑えている力以上の圧力が掛かると水が流れる仕組みで、バーティゴさんの情報によれば川を渡る水道管に異常な圧力が掛かった時に水を川に捨てて配管を保護するためのものだそうです。情報ありがとうございました。

by Natrium