板橋区図で旧白子川緑道から南東へほぼ一直線に登っていく小井戸川を見る。
小井戸川といえば白子側上流部の古い名称でもあるが、そちらは「おいどがわ」、こちらは「こいどがわ」。
明治24年(1891年)埼玉県新座郡の榑橋村と新倉村の一部が東京府北豊島郡石神井村から分離した上土支田と越境合併して東京府に編入されたときに、村域にある井頭池(現在の大泉井頭公園)を「泉」、小井戸(おいど)川から「小(お)」を取って小泉(おいずみ)村と名付けようとしたが(小は榑橋村の大字である小榑の小という説もある)、それでは「こいずみ」になってしまうので大泉(おおいずみ)村としたという逸話が伝わっているが、関係があるのかないのかはともかく、いずれも水が湧き出る場所を示す地名なのだろう。
旧白子側緑道の途中、成増五丁目第2アパートの向かい側から小井戸川はスタート。
このページの写真はいずれも2016/5/5撮影。
写真左下に「こいど川緑道」の文字が見える。隣の百々向川と比べると交通量も少ないのか、あまり整備されている感じのない緑道になっている。
少し進むと、いきなりかなりの角度の上り坂になる。川跡としてはちょっと角度がありすぎる気が…
商店もある通りから見たところ。写真右前に「こいど川緑道」の出口があり、小井戸川は写真左の道に続いているのだが、左の道が下りになっているのが分かる。
どうやらここは通りの高さまで盛り土されていて、もともとも川はもっと低いところを流れていたのだろう。
左の道を下って行くと、その先は両側が切り立った崖になった谷間。この狭い空間を小井戸川が流れていたらしい。
その先、歩道が右側の崖下から、左側へ移る。左側は崖まで多少の空間があり、もともと川はその辺りを流れていたのだろう。
道中、左(北)側の崖を見る。かなりの高低差がある。
またしても結構な勢いで上っていく川筋。今度は盛り土ではなく、こういう角度で流れていたようだ。
途中、右(南)側に上る脇道。あいかわらずのすごい崖地。
そのまま上っていくと、成増四丁目前新田の森が見えてくる。前新田、というのが地名らしいが、ここで谷は二手に分かれている。
上の写真で右に曲がったところ。こちらは小井戸川の流路ではないが、谷筋になっているようだ。
谷筋を上り、反対側の谷(百々向川)へ降りる途中に小松原阿弥陀堂と呼ばれるお堂と、その向かいに庚申塔がある。
小松原阿弥陀堂は東武東上線の
旧東上61号踏切近辺にある地福寺の境外堂だそうだ。
だいぶ磨り減ってしまっているが、青面金剛庚申塔と、左は大典紀念碑。大典紀念とは即位の礼を紀念しているものだろう。
戻ってみたら前新田の森の交差点にも庚申塔があった。こちらは文字のみ。
もうちょっと寄り道。谷筋の反対側は、南向き斜面になっていて一面の緑。