さて、改めて前新田の森から上流を目指そう。この辺りは、両側から崖が接近してきてかなり細い谷になっている。
少し進んだところで、小井戸川は道路から外れ、水路敷らしい道となって上っていく。
水路敷の出口から下流方向を見る。左奥の森が前新田の森。
上流方向は一般道路になっていて、川らしさはない。
その先、右側の農地が広がっているが、やはり川跡は分からない。
しかし、1ブロック先の矢印のあたりに注目。
写真中央の矢印あたりがV字谷の底になっているのが分かる。
そこに行ってみると、なんと結構深い谷と、谷底には側溝がある。どうやらこれが小井戸川の流路らしい。
上の写真右側には、上赤塚公園がある。その公園を抜けて反対側から谷間を見たところ。段差の下に側溝があるのが分かる。
ここで再び寄り道。上赤塚公園から少し東北にいくと、何本かの谷筋に囲まれた台地の上に、氷川神社が鎮座している。長禄元年(1457年)の創建というから室町時代の話だ。
境内には、写真左側に鳥居の見える浅間神社と、本殿奥の2箇所の富士塚があり、古くから盛んに富士講が行われていたとされる。
氷川神社のまわりはこんな急坂だらけ。
氷川神社参道にも庚申塔が。中央の文字碑は萬延元年(1860年)の銘があるので、幕末期のもの。
その氷川神社参道前の飛び地には、「赤塚乳房大神」という碑が置かれたケヤキの巨木が立っていた。
この木、樹齢1750年(!)という謂れがあり、幕末から明治の落語家である三遊亭圓朝の新作落語「
怪談乳房榎」のモデルの一つとされているのだそうだ。
(物語に出てくる乳を出す榎は近くの松月院にあり、乳房のように見える瘤欅はこれまたその近くの新大宮バイパス沿いにある浅間神社の元境内にあるのだが)
さて、ふたたび小井戸川へ戻って上赤塚公園の南へ。住宅の間にある隙間が水路敷と思われるが、さすがに中には入れない。
1ブロック先では、うっすらとしたV字谷の谷間にある鉄板の蓋あたりが水路敷のようだが、水路は確認できない。
上赤塚交番南交差点から、南西に向かう赤塚高台通りを見る。かろうじて残るV字谷の向こうが地名としては赤塚高台になる。百々向川との間に広がる高台部分のことだろう。
赤塚高台通りの北側。こちらから下流方向には、蓋暗渠が残っているが、工場の敷地に飲み込まれてしまっている。
南側は駐車場の塀に沿って緑色のシートが敷かれている部分(矢印部分)が水路敷のようだが、よく分からない。
1ブロック先ではもうほとんど谷は分からない(点線が川筋と思われる場所)。写真は西側から撮影しているが、左の下流側には民家の塀沿いに蓋暗渠らしきものが残っていた。
さらに進んで赤塚五丁目西交差点から成増駅方向を見る。もはや谷はなくなっているので、このあたりで今回の探訪は終わりということになる。