熊野神社に向かう前に、道路元標からまっすぐ小島家湧水を目指して滝坂を上ってみよう。
小島家湧水の向かい側。坂の途中で側溝に大量の水が流れ込んでいる。
小島家湧水の佇まいは7年前に訪れた時と変わらない。崖の途中にいきなり水が湧き出している様子がわかる。
さて、白子宿通りへ戻って、通りの北側にある熊野神社へ向かっていこう。
武州白子熊野神社は創建年数不明ながら社伝ではおよそ一千年前と伝わる古い神社で、長らく白子郷の鎮守として祀られてきたという。
ちなみに白子(しらこ)という地名は天平宝字2年(758年)に朝廷が新羅からの渡来僧を移して定めた新羅(志楽木=しらぎ)郷に由来する(志楽木>志楽久>しらこ、または志楽木>白木>白子と転訛したという)とされ、近辺の地名である志木(しき)、新座(元はこれで「しらぎ」と読んだ。今は「にいざ」だが、古くは爾比久良と書いて「にいくら」と読んだらしい)、新倉(にいくら)も同語源であるという。旧新羅郡の郡衙(郡の役場)は、ここからだいぶ北に離れた新倉二丁目の上新倉氷川八幡神社境内にある午王山(ごぼうやま)にあったという説がある。牛房(ごぼう)という和光市の地名はここからだいぶ南に離れた光が丘公園の方にあって、関連があるのかどうかはわからない。
熊野神社本殿の右脇には、白子富士と呼ばれる富士塚がある。1870年の築造で、このあたりで信仰されていた丸吉講(まるきちこう)によるものだという。
白子富士頂上から熊野神社本殿を望む。本殿の向こうには清瀧寺不動院というお寺がある。
不動院では崖下から湧き出す滝を使っての滝行が行われているそうで、熊野神社本殿裏手の坂道を登っていくと湧き水で出来た池が見える。