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水路敷ペイントその1(石神井川)
石神井川支流・エンガ堀の水路敷
地図その1
OpenStreetMapでエンガ堀西側の地図を見る。
No.001
小竹町一丁目29番地。練馬区の水路敷には、入口となる部分に写真のような水色のペイントのうえに、白く「水路敷」と描かれた舗装が施されているものが多く見かけられる。
写真のペイントはだいぶ水色も文字も掠れてしまっているが、典型的な水路敷ペイントといえる。練馬区の中ではここが確認できているなかで最も東に位置するペイントになる。
ここからの写真は2017/6/19撮影。なお、写真は特に断りがなければ下流側から上流に向かって撮影したもの。
No.002
小竹町一丁目30番地。手前のペイントは何故か写真左の私有地部分にはみ出して塗られているように見える。
No.003
小竹町一丁目38番地。向かい合わせの上流側ペイントはかなり状態が悪く、文字は読み取れない。
この写真は2021/9/11撮影。
No.004
小竹町一丁目39番地。向かい合わせのペイントの手前、下流側は微かに文字が残っているのがわかる。
この写真は2017/6/19撮影。
No.005
小竹町一丁目48番地。上流側はまだ文字を読み取ることができる。
この写真は2021/9/11撮影。
No.006
小竹町一丁目47番地。上流側の小竹通りからみたところ。
この写真は2017/6/19撮影。
石神井川支流・羽沢〜桜台の水路敷
地図その2
OpenStreetMapで羽沢付近の地図を見る。
No.007
羽沢二丁目1番地、新桜台駅から正久保通りに入ったところの酒屋の脇にあるペイントを上流側から見たところ。比較的状態が良い。
ここからの写真は2013/7/27撮影。
No.008
同じく羽沢二丁目1番地、さきほどの水路敷をたどっていくと介護老人保健施設の前に現れるペイント。こちらはだいぶ状態が悪い。
No.009
桜台二丁目33番地、開進第三中学校の裏手の細い水路敷。この幅だと自動車は入れないので車止めは設置されていない。
この写真は2012/12/1撮影。
No.010
桜台二丁目51番地。路地の脇にかつては側溝があったのだろう。ペイントはもはや消えかかっている。
ここからの写真は2017/7/15撮影。
No.011
桜台二丁目43番地。丁字路になっているところに塗られているペイントだが、文字が見当たらない。
No.011とNo.012
突き当たっている道路側から見ると、すぐ先にもう一つペイントがあるのがわかる。
No.012
上流側からみたところ。「敷」の字が消えてしまっていて水路になっている。
No.013
同じく桜台二丁目43番地の南側。車止めの前に植え込みが設置されている珍しいタイプ。車止めがなくても自動車が侵入するのは難しそうだ。水色がだいぶ薄れてしまっているが、水路敷の文字は残っている。
No.014
桜台六丁目37番地北側。側溝の蓋が水色に塗られているだけ。
ここからの写真は2017/7/19撮影。
No.015
同じく桜台六丁目37番地南側。こちら側は側溝を跨いできちんと「水路敷」と書いてある。
石神井川支流・貫井川の水路敷
地図その3
貫井川下流域の地図。
No.016
春日町五丁目8番地、春日小学校正門前の横断歩道を渡った向かい側にあるペイント。かすかに「敷」の字が残っているが、文字も水色に見える。
この写真は2018/12/1撮影。
No.017
貫井五丁目5番地、目白通りの新道と旧道に挟まれたところにある水路敷。この先、南側は旧道に突き当たっているが高低差があるので行き止まりになっている。
ここからの写真は2014/2/1撮影。
No.018
貫井五丁目4番地、貫井弁財天と御嶽神社の入り口にあるペイント。文字は読み取れない。
消失その18
貫井三丁目41番地と貫井四丁目3番地の南側。一見ペイントがないように見えるが…
ここからの写真は2022/5/22撮影。
消失その18-2
グレーチングの横にある側溝の蓋に、かすかに水色のペイントが残っている。
消失その18-3
車止め手前のマンホール蓋と側溝の蓋にもわずかにペイントが残る。
No.019
貫井三丁目41番地と貫井四丁目3番地の北側。水路敷の文字がある場所から考えると、道路の左側(西側)だけが水路敷ということか?
ここからの写真は2014/12/27撮影。
No.020
貫井四丁目42番地南側。かすかに文字が読み取れる。
消失その19
貫井四丁目42番地北側。側溝の蓋に水色のペイントが残っている。
ここからの写真は2022/5/22撮影。
消失その20
向かい側の貫井四丁目48番地南側にも同じようにペイントの跡がある。
消失その21
貫井四丁目48番地と49番地の間。細い路地との交差点を挟んで南北にペイントの跡が残っている。
消失その22
水路敷を挟んで描かれている「止レ」は住民の手描きなのだろうか。
消失その23
貫井四丁目23番地にある、たじま児童遊園の西端。側溝の蓋にかすかにペイントの跡(矢印部分)が残るが路面のペイントは消えてしまっている。
ここからの写真は2022/5/15撮影。
No.190
貫井四丁目25番地と貫井三丁目52番地の間(東側)。ここにチェック漏れが一か所あった。薄れているがペイントと細い水路敷の文字が残っている。
No.021
富士見台三丁目47番地。環状八号線から南側に進んだところにある下流向きのペイント。水路敷の文字が細身で若干頼りない感じ。
ここからの写真は2021/8/28撮影。
No.022
富士見台三丁目48番地。都営富士見台三丁目アパートの脇を抜けていくところに向かい合わせにペイントされている。
No.023
富士見台三丁目51番地。アパート脇で下流向きに塗られているペイント。
消失その1
南田中三丁目10番地、石神井東小学校の南側にあったペイントは2015年に行われた改修工事で失われてしまったため、現存しない。
ここからの写真は2014/12/27撮影。
No.024
富士見台二丁目43番地。歩道化された路肩の部分にペイントが残っている。
No.025
富士見台二丁目6〜12番地。向かい合わせにペイントが残っている。
ここからの写真は2021/8/28撮影。
No.026
奥にある下流向きの方は文字が「小路敷」になってしまっていた。
No.027
富士見台二丁目11番地と12番地の間、下流に向かってペイントがある。
地図その6
貫井川上流部分の地図。
No.028
南田中四丁目6番地南側。南が丘中学校の校庭脇にあるペイントには文字は描かれていないようだ。
No.029
南田中四丁目8番地西側。南が丘中学校裏門のペイントはほとんど剥げてしまっている。
No.030
南田中四丁目8番地の北寄り。車止めの手前にペイントされている珍しいパターン。消えかかっているが水路敷の文字が描かれていたのがわかる。
No.031
南田中四丁目20番地。やまびこ児童遊園脇のものはペイントがほとんど見えないのに、文字はしっかり残っている。
No.032
南田中四丁目7番地と22番地の間。旧早稲田通り北側には薄れてはいるものの文字とペイントが残っている。
No.033
下石神井二丁目15番地と16番地の間。うっすら「水」の字が見えるのだが、ほとんど文字はみえない。
No.034
下石神井二丁目16番地西側を上流側から見たところ。道路との合流点で微妙に中途半端な感じでペイントされている。
No.035
下石神井二丁目17番地。向かい合わせの西側。
No.036
下石神井二丁目22番地西側。向かい合わせの東側。
No.037
下石神井二丁目22番地東側。下石神井小学校前にあるペイントには太い文字が描かれているが、「敷」は掠れてしまってほとんどみえなくなっている。
確認しているなかでは、ここが最も南に位置する水路敷ペイント。
石神井川・富士見台〜高野台の水路敷
地図その7
道楽橋近辺の地図。
No.038
貫井五丁目22番地東側。道路脇の歩道に塗られたペイント。
ここからの写真は2012/11/25撮影。
No.039
同じく貫井五丁目22番地の西側。歩道が途切れるところにうっすら水色のペイントが残っている。
No.040
富士見台四丁目19番地。四商通りから西へ向かう水路敷のペイント。
No.041
富士見台四丁目20番地西側。坂本遊園脇の下流向きに塗られたペイント。
No.189
向かい側に水路敷ペイントがあったのを忘れていたので追加。
No.042
富士見台四丁目22番地。坂道の上にある水路敷に、下流に向かって塗られている。
No.043
富士見台四丁目23番地にある3つの水路敷ペイントのうち最も東寄り、下流向き。車止めが外されているので文字がよくわかるが、この辺りは細身の文字で描かれている。
No.044
同じく富士見台四丁目23番地。上流に向かって坂道を下っていくという不思議な場所にあるペイント。
No.045
富士見台四丁目23番地西側。ここも車止めが外されている。
消失その2
対岸へ渡って高野台二丁目17番地と18番地の間。この路地にあったペイントは改修工事で2014年ごろに消失している。
ここからの写真は2012/9/29撮影。
消失その3
同じく高野台二丁目17番地と18番地の間。ここも消失している。
No.046
再び右岸側に戻って富士見台四丁目39番地。半分だけきれいに再塗装されている。
ここからの写真は2012/12/8撮影。
No.047
富士見台四丁目38番地。道路の突き当たりに塗られているが、文字は下流に向かって描かれている。
No.048
富士見台三丁目43番地。道路から稲荷神社の下に向かって分かれていく水路敷。
No.049
同じく富士見台三丁目43番地。神社の手前に下流向きにペイントされている。
No.050
富士見台三丁目58番地。西武池袋線に向かう水路敷を上流からみたところ。
No.051
南田中三丁目31番地。長光寺橋緑地の階段下、落ち葉に埋もれているが水色が見える。
No.052
左岸側の高野台一丁目2番地東側。笹目通りへ向かう路地を挟むように水色のペイントがある。
ここからの写真は2013/1/5撮影。
No.053
高野台一丁目2番地西側。笹目通りからみたところ。水路敷の文字が横書きなのは珍しい。
No.054
笹目通りを渡って右岸側の南田中五丁目4番地。元締山の森緑地から都営南田中アパートの脇に入っていくところにある水路敷。駐車場と一体化していて、車止めの意味はあまりなさそうだ。
No.055
南田中五丁目25番地。水路敷に崖上から階段で下りてきたところに水色のペイントが施されているが、ほとんど剥げてしまっている。
石神井川・石神井公園周辺の水路敷
地図その11
石神井公園近辺の地図。
No.056
石神井町三丁目4番地。和田堀公園の西側にある水路敷の入り口。
ここからの写真は2013/1/5撮影。
消失その4
同じく石神井町三丁目4番地西側。補助132号線脇のペイント。
2018年には車止めの位置を後退させて写真左の敷地へ車両が入れるように改修工事が行われたため、再舗装され失われてしまった。
No.057
石神井町五丁目2番地。南田中団地西交差点から石神井公園前交差点に向かう道路脇の水路敷。ほとんどペイントは残っていないが、「敷」の字が残っている。
この写真は2013/4/20撮影。
No.058
石神井町五丁目3番地。石神井公園前バス停脇の水路敷。薄れてはいるが、太い文字で水路敷と描かれているのが読み取れる。
ここからの写真は2013/5/11撮影。
No.059
右岸側の下石神井三丁目31番地。石神井川の川岸に合流する水路敷。下半分だけ塗り直されたのだろうか。
No.061
左岸側に戻って石神井町五丁目4番地。石神井公園通りから石神井川に向かう水路敷だが、「路」の字しか残っていない。
ここからの写真は2013/11/23撮影。
No.060
路の字から水路敷を進んだところにもう一つペイントがある。なぜか突き当たりの道路に向かって逆向きに文字が描かれている。
地図その12
石神井公園南側の地図。
No.064
右岸側の下石神井六丁目24番地。道路から水路敷に切り替わるところにあるペイント。
ここからの写真は2013/5/11撮影。
No.062とNo.063
そこから石神井川へ進んだところには、道路を挟んでペイントが塗られている。
No.065
下石神井六丁目31番地東側。「水路」の文字がかろうじて読めるが、車止めはなく道路として利用されているようだ。
ここからの写真は2013/10/12撮影。
No.067
そのまま進んでいくと半分舗装で消されてしまったペイントが残っていた。
No.066
そこから右を向くと石神井川に向かう水路敷がある。こちらも舗装で消されて「水」の字しか残っていない。
No.068
下石神井六丁目33番地。車止めで行き止まりにした道路に横向きに文字が描かれている。
No.069
そこからさらに上流へ進んだ下石神井六丁目33番地西側には、下流向きにペイントがある。
No.188
左岸側の石神井町五丁目9番地西側。道路脇に残った水路敷にペイントがあるのを忘れていたので追加。
この写真は2022/5/11撮影。
No.072
石神井町五丁目10番地。旧早稲田通りから石神井川へ向かう水路敷の入り口。
ここからの写真は2013/10/12撮影。
No.071
そのから川に向かって道路と合流するところ、道路部分を挟んで向かい合わせにあるペイントの北側。
No.070
向かい合わせの南側。
石神井川・蛍橋〜愛宕橋の水路敷
河川敷(消失その1)
蛍橋南詰の下流側。改修工事前には「河川敷」と描かれたペイントがあったのだが、改修工事で護岸が拡張されたため消失している。
この写真は2014/1/3撮影。
河川敷(消失その2)
蛍橋北詰の下流側。こちら側は改修工事で拡幅されていないが、再舗装され消失している。
ここからの写真は2013/10/12撮影。
河川敷(消失その3)
松ノ木橋北詰の下流側。大きな木の根元に河川敷のペイントが施されていたが、改修工事で消失してしまった。
河川敷(消失その4)
石神井台一丁目6番地。横向きに「河川敷」と描かれたペイントがあったのだが、改修工事で消失した。
No.073
上石神井三丁目7番地東側。石神井公園団地の南側を流れる水路敷。ペイントにタイヤ痕らしきものが残っている。
No.074
同じく上石神井三丁目7番地。水路敷に向かって突き当たる道路を遮る横向きに描かれた水路敷の文字。
No.075
上石神井三丁目7番地西側。こちらも道路に接する形で描かれている。
No.076
上石神井三丁目8番地。道路との交差点、下流向きにペイントが残っている。
No.077
上石神井三丁目18番地東側。いったん道路に水路敷が合流する場所に上流向きに描かれている。
No.078
上石神井三丁目18番地西側。上御成橋に向かう道路との交差点に下流向きに描かれている。石神井川本流に沿う水路敷では、確認しているものではここが最も上流に位置するペイント。
河川敷(消失その5)
上御成橋南詰上流側。この河川敷ペイントも護岸改修で消失した。
No.079
左岸側の石神井台二丁目1番地。写真ではわかりにくいがうっすら水色のペイントが残っている。
ここからの写真は2021/9/11撮影。
文字
近づいてみたところ。おそらくは水路敷の文字が描かれていたのだと思うが、読み取ることは難しい。
消失その5
石神井台二丁目2番地。Google Mapでは2009年までここに水路敷ペイントがあったことが確認できるが、再舗装により消失している。
消失その6とその7
石神井台二丁目3番地南側。北向きに残る水路敷の石神井川寄りと、その先の路地にはGoogle Mapで2009年まで水路敷ペイントがあったが、護岸工事と再舗装で消失している。奥の路地には道幅いっぱいに大きな文字が描かれていたのだが、残念ながら痕跡は残っていない。
消失その8
水路敷を北へ進んでいくと、途中には西側から道路が突き当たっており、かつては車止めのところがペイントされていた。水路敷上のペイントは消えてしまっているのだが、車止めの土台部分に水色の塗料が残っているのを見つけた。
消失その9
石神井台二丁目3番地、北側の道路から車止め越しにみたところ。ここもペイントは消されているが、マンホールの脇の縁石にほんの少し水色が残っていた。
河川敷(消失その6)
石神井台二丁目3番地と4番地の間。この河川敷ペイントも改修工事で消失している。
この写真は2013/10/12撮影。
関町の河川敷ペイント1
石神井川では絶滅したと思っていた河川敷ペイントだが、武蔵関駅北側にいくつか残っているのを発見した。写真は稲荷橋北詰西側。金網の下にわずかに水色のペイントが残る。
ここからの写真は2022/1/4撮影。
関町の河川敷ペイント2
庚申橋北詰東側のペイント。こちらは文字はないがそこそこ全体に残っている。
関町の河川敷ペイント3
同じく庚申橋北詰西側のペイント。ほとんど剥がれてしまっている。
関町の河川敷ペイント4
庚申橋南詰西側。ほとんど消えかかっているが、うっすら「河川敷」の文字が読める。文字が残っている河川敷ペイントはこれが練馬区最西端かつ最南端。
関町の河川敷ペイント5
ひとつ西側の関新橋南詰東側。かろうじて土台部分に水色のペイントが残っている。ここが河川敷ペイントの最南端。
関町の河川敷ペイント6
同じく関新橋北詰東側。擁壁部分にわずかに水色のペイントが残っている。さらに西側にある若宮橋にはペイントはないので、ここが河川敷ペイントの最西端ということになろう。
by Natrium