田柄川(棚橋〜旧埼玉道/東田柄橋)
OpenStreetMapで
北町一丁目、二丁目の田柄川緑道を見る。
このあたりでは南側を流れる田柄川と北側を流れる田柄用水が並行しているが、今回は南側の田柄川を進んでみる。
環状八号線の西側から田柄川緑道を歩いて行こう。
ここからの写真は2019/11/30撮影。
橋を模したモニュメントがあったが、実際の橋はもう少し西側だったらしい。
北町小学校東端に「旧北子橋跡」という看板が置かれている。
北町小学校西端にある富士橋のたもとには「徳川綱吉御殿跡之碑」が置かれている。
富士橋からさらに西へ。ここから先はしばらく、あまり他では見かけないタイプの車止めが続く。
北側にある金乗院阿弥陀堂が由来と思われる阿弥陀橋。
阿弥陀堂には千川上水を開き、代々下練馬村に住んで千川上水の取締役を担ったという千川家の墓所がある。
観音橋。北(右)側には都営住宅、南(左)側には公務員官舎の大きな建物が並んでいる。
北町中学校東側にある池の上橋。ここに南側から支流が合流しているが、そちらはあとで行ってみるとして、まずは田柄川緑道を直進する。
大豊橋を越えたあたりから田柄川緑道は南に向かって曲がっていく。
ここまで歩いてきた田柄川緑道は練馬区ランニング走路として整備されているようだ。
川越街道から田柄川緑道を下流方向に見たところ。ここは新興橋という名前が付いている。
川越街道南側に緑道は続いている。川越街道を境に車止めの形が変わったようだ。
その先、田柄川を上書きする形で放射35号線が横断している場所に出る。
田柄川緑道から放射35号と川越街道が交差する新大宮バイパス入口交差点を見る。この時点ではまだ交通開放されていなかった(2020/3/30開放)。
ところでこの交差点、不完全クローバーリーフが作れるような土地が確保してあり、最終的には川越街道をアンダーパスで通り抜けるはずなのだが、暫定的に平面交差で開通させることになったらしい。
ちなみにいささかややこしいのだが、氷川台駅近辺で工事が止まっている道路は放射36号線で、放射35号線は早宮区民会館のあたりで分かれ南へ向かって練馬駅近傍を抜け、豊玉氷川神社のあたりで環七に出るような道路計画らしいのだが、区民会館の前にある不自然な空き地を除けばまったく計画は進んでいないように見える。
放射35号線を渡って南側には、だいぶ幅が狭くなった田柄川緑道が続いている。写真奥のあたりにかつて東武啓志線が通っていたというが、現在その痕跡は残っていない。
次の交差点から下流方向を見たところ。緑道の看板があるが、妙に手書き風なのはなぜだろう。
看板の先は、道路に挟まれた中央に緑道が走る形となり、徐々に西向きに曲がっていく。
曲がり掛けのところにこのあたりの旧字名(小名)を関した大松橋跡がある。
さらにその先、南へ向かう水路敷らしき通路を見つけたが、入っていくことは難しいようなのであとで反対側を探してみよう。
都道442号北町豊玉線との交差点が東田柄橋。田柄川緑道を辿るのは今回はここまでとなる。このあと、いくつかある支流を見て行こう。
川越街道を渡り、陸上自衛隊練馬駐屯地の西側を進んで行くと、北町西小学校東というどっちの方角を向いているのかよくわからない交差点のところに、水路敷らしい車止めが見つかった。
すぐに西へ曲がり、まっすぐ放射35号線へ向かっていくが、側道との交差点は撮影時点では未開通のため封鎖されていた。
工事中の放射35号線を迂回して西側へ。もともと東西の道路はつながっていたのだが、放射35号線工事で分断されてしまった。
西に向かって上流端へ進んで行こう。道路の両側に歩道があるが、どちらかが元は水路敷だったと思われる。
北側の田柄通りから環八(富士街道)へ抜ける道との交差点。コインランドリーであろうと思われるが、営業しているようには見えない。
その脇に所在なげに置かれている石仏。顔が削られてしまっており、損傷が激しいが、不動明王像だろうか。
歩道が終わって突き当たりとなるあたりが上流端と思われる。写真左の路地は分譲住宅の道路で、水路敷ではないようだ。
さて、最後にさきほど見かけた通路っぽい支流について見てみよう。田柄川緑道からひとつ南側の通りから見ると、どうやら水路敷ということで間違ってはいないように見える。
南側を見ると、蓋暗渠と呼ぶには細いが水路が続いているようだ。
水路は民家の敷地の中をどんどん南へ進んで行く。道路からではよく見えないが、写真中央のフェンスの手前に水路が残っている。
写真左のフェンスが切れたところで、水路は西へ向かっている。反対側の路地に出たあたりが上流端ということになるらしい。