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田柄川(桜川〜棚橋)
地図その1
OpenStreetMapで田柄川が石神井川に合流する部分を見る。
練馬区側は「田柄川」、板橋区側は「桜川」と呼ばれ遊歩道として整備されているが、板橋区側では元の流れが大きく変更されており、元々は桜橋で石神井川に合流していたのではなく、もう少し下流の複数箇所で石神井川に注いでいたらしい。
桜橋
石神井川の桜橋から北側の城北中央公園を見たところ。橋のたもとに大きな排水口が開いているのがわかる。
通常はそれほど流量はないようだが、立派に現役の田柄川との合流点ということになる。ここから上流に向かって進んで行こう。
このページの写真は2019/9/22撮影。
桜川緑道
田柄川は上に書いたように板橋区内では桜川と呼ばれており、桜橋北側には立派な桜川緑道の銘板が設置されている。
城北中央公園は板橋区と練馬区に跨って整備中の大きな公園だが、桜川緑道はその東側を練馬区との区界までの区間で、練馬区側に比べるとかなり気合を入れて整備されている。
緑道
公園と一体にきれいに整備された緑道を北へ進んでいく。
ベンチ
緑道が道路と別れて西へ向かう場所には、大きなベンチが設置されている。雰囲気としては東屋があっても良い気がするが、もともとこういう作りになっているようだ。
桜川中
桜川中学校の北側を進んでいく。
体育館前
上板橋体育館の前を通り過ぎる。遊歩道の右側は親水公園のように整備されているのだが、水は流れていなかった。
上板みたけ橋
交差点に「上板みたけ橋」という橋の名前が残っている。御嶽神社は交差点南側の公園内にある。
区界
遊歩道がアスファルト舗装から砂利舗装に変わるこの場所が板橋区と練馬区の区界。ここまでが桜川緑道ということになる。
地図その2
OpenStreetMapで田柄川緑道を見る。
田柄川は光が丘公園の方から流れてきて、いったん東武練馬駅近くまで北上したあと大きく南へ流れを変え、蛇行しながら桜川へつながっている。
終点
練馬区側から区界を見ると、植え込みに「終点」と書かれた銘板が設置されていた。光が丘公園の東側に設置されている「起点」と対になっているのだろう。
田柄川緑道
練馬区側もこのあたりはきれいに整備されている。遊歩道が砂利舗装なのは両区の整備方針の違いというべきか。
4.4km
緑道脇に置かれている距離標。起点からの距離を表しているものと思われる。
西側
公園西側の道路まで出てきた。多少荒れてきたが、ここからインターロッキング舗装に変わっている。
続き
田柄川緑道は道路を跨いで西へ続いている。
金越橋跡
道路を渡って最初の交差点から下流方向を見る。ここから先の遊歩道には元の橋名が書かれた看板が設置されており、ここは「金越橋」という名前であったことがわかる。
遊歩道
このさきしばらくはインターロッキング舗装の遊歩道が続く。写真奥には「仲一橋」が見えており、その次は「宮元橋」という名称であった。
東西南北
宮元橋の西側と、その次の今神橋の東側には東西南北の方角を示す植え込みがある。二つの橋の間はちょうど緑道が東西に走っているためのようだ。
カーブ
今神橋の西側で遊歩道は北に向かって曲がっている。今神は下練馬村の字名だそうだ。
円明院
次の円明橋(えんみょうばし)の交差点を右に曲がったところにあるのが、真言宗豊山派の円明院。文亀5年(1502年)の板碑が発掘されたことから、1500年前後の創建と推定されている。境内には穴守弁財天が祀られており、古くから弁財天信仰が行われていたらしい。
合流
円明院の先で、遊歩道は道路と合流して並走していく。写真奥には横寺橋というなんともそのままな名前の橋がある。
渡戸橋
渡戸橋の先では遊歩道は道路と別れてまっすぐ進んでいく。
東本村庚申講
渡戸橋のたもとには「東本村庚申講」という石柱のある青面金剛庚申塔が祀られている。貞享2年(1685年)造立という。
東本村も下練馬村の字名であった。
弁財天
渡戸橋を北に進むと、遊歩道脇に弁財天が祀られていた。
金乘橋
次の金乘橋跡。水路敷がかなり幅広いのがよくわかる。橋の名前は近くにある金乗院から来ているらしい。
北町橋
北町にあるから北町橋。
水路敷
金乘橋と北町橋の間、都営錦一丁目第2アパートの東側に水路敷と思しき細道が残されている。
改修される前の田柄川は現在の遊歩道よりも一つ東側の道路あたりを流れていたようなのだが、そこに流れ込む小さな湧水があったのかもしれない。
高徳橋
川越街道を越える場所には高徳橋があったらしい。写真はそこから下流方向を見たもので、結構大きなブロンズ像が建っている。
台座には銘板があり、田中昭という富山県生まれの彫刻家の作であるそうだ。田中氏の彫刻は練馬区内の公園などにもいくつか建てられている。
北町一丁目
北町一丁目バス停の脇から、田柄川は川越街道の北側に渡ってさらに上っていく。
案内板
だいぶ痛みの激しい案内板が置かれていた。
下宿橋
下宿橋の先には、東武啓志線が鉄橋で田柄川を越えていたはずだが、痕跡はまったく残っていない。川越街道の南北には、啓志線に沿って道路に沿わずに斜めに建っているアパートなどが残っているが、廃線跡を辿るのは難しい。
橋
途中、橋を模した通路があるが、本来は川に架かっているはずの橋が川の流れに沿って架かっているのはどうしたものか。
棚橋
田柄川緑道は環状八号線にぶつかって一度途切れている。
石碑
棚橋の脇に置かれていた石碑。かつての棚橋は富士大山道、その後の富士街道が田柄川を越える場所に架かる橋であった。
下流方向
棚橋から下流方向を見る。
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