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田柄用水(旧埼玉道〜笹目通り)その2

水路の上流端は行き止まりの路地。なぜか奥には焼却炉が置かれている。

北へ向かうのはごくごく普通の水路敷。昔はこのような畑がどこまでも広がっていたのだろう。

田柄川緑道の北側は短い遊歩道になっている。

クリーニング店の横に不自然に張り出した歩道が水路敷の続き。この水路、まだ続きがあるので機会を改めて先へ進んでみたい。

旧流路を西へいくと今後は天祖神社がある。愛宕神社と同じく慶長3年の勧請とされ、こちらは天照皇大神だ。境内には、田柄用水の開通を記念した分水碑があるという。

天祖神社正面の道もかつては水路があったとされる。再舗装されてしまっていて、痕跡は分からない。

南側はごくありふれた水路敷の光景。

田柄川緑道を超えて南へ。行く先は上り坂になっている。

坂を上り、さらに南へ。その先は田柄通りだ。

田柄三丁目、田柄中学校から田柄通りを北へ向かったところに、西向きに水路敷がある。

坂道の途中に坂道とは垂直に水路敷があるので、写真では右側がやや下がった感じに見える。水路敷自体も、写真奥に向かって下っているようだ。

上の写真で奥に見えている交差点の先から東向きに見たところ。田柄地区には、意外とこういう水路敷らしい水路敷は少ないような気がする。

さらに一本西側の道路から東向きに水路敷の入口をみる。

そこから北をみる。この道路も練馬区の資料では水路敷があることになっているが、再舗装されていてわからない。写真左には、さらに西へ向かう水路敷の入口が見える。

隣の道路から東向きに水路敷をみる。このあたり、車止めが1本だったり3本だったり、バラエティに富んでいるところがちょっと面白い。

田柄通りの田柄三丁目バス停横、新聞店の脇から始まる水路敷。次はこれを進む。

ちょっと進んだところになんと開渠を発見。すぐ奥で行き止まりになっているようだが、大きな石で装飾されていて、この辺りではかなり異彩を放つ場所だ。

余談だが、近くでみつけた小さな白い馬頭観世音塔。私道かもしれない場所にあったので場所の特定は避けておく。花崗岩らしき白い石に彫られているのは珍しい気がする。きちんと守られているようなので、そっとしておこう。

水路敷に戻って田柄川緑道へ出たところ。緑道の北側は普通の道路になっていて痕跡はわからない。

その近くには、昭和53年(1978年)に田柄第三小学校が設置したという扁額が残る怪獣のモニュメントがあった。田柄三小は2010年に光が丘七小と統合されて光が丘秋の陽小学校となったので現存しない。きれいに塗り替えられており、地元では大事にされているようだ。

田柄通りに戻ってさらに西へ。マンションの脇にきれいな鳥居のある小祠がある。この右側の道も水路敷であるようだ。

北へ向かう道はしばらく普通の道路がつづくが、電気店の脇から水路敷となり、メトロステージS光が丘という東京メトロ所有の賃貸マンションの北側までは車では通れない。

東京メトロの自己主張が…

さらに西。田柄通りの練馬田柄郵便局脇からも、水路敷が北に向かっている。

この水路敷は比較的人が通っているようできれいに整備されている。途中、古い農家のものとおぼしき屋敷森を眺めることができるが、水路敷そのものは1ブロックで終わってしまう。かつては田柄川緑道に向かって伸びていたようだが、痕跡は見当たらない。

北側に回り込んだところに、田柄川緑道の起点があった。

起点側から田柄川緑道を東向きにみる。

反対側には武蔵野の風景を再現したという秋の陽公園が広がる。かつての田柄用水は写真奥に見える光が丘清掃工場のほうに向かっていたようだが、この辺りでは光が丘団地に飲み込まれてしまい、流路を追いかけることはできない。写真右奥のあたりが、東武啓志線の終点だったと思われる。

笹目通りに向かう前にちょっと寄り道。田柄通りの小祠の向かい側には、不自然な直角三角形のような場所がある。その直角のあたり、民家の間にまったく目立たないが細い路地がある。
ここからの写真は2013/5/3撮影。
ここからの写真は2013/5/3撮影。

どうやらこれも水路敷。

途中、水路敷はカーブしながら進んで行く。足元はマンホールだらけだ。

木々の隙間を出てきたところで東を向いてみる。

道路の反対側にも水路敷は続いているが、写真奥、マンション下の崖で唐突に終わっていて、西側の道路にはそれらしい出口はない。地形から見ても、谷頭だったのかもしれない。

さきほどの道路から田柄通りに出たところに、無造作に置かれた数体の石仏があった。写真左下の地蔵尊には寛文13年(1673年)の銘があった。
この写真は2020/6/28撮影。
この写真は2020/6/28撮影。

光が丘団地内は旧成増飛行場時代に整地されてしまったため、田柄用水の流路跡を辿ることはできない。団地の西側道路の向こう側に見える道路から、改めて水路のあとを追ってみよう。
ここからの写真は2012/5/19撮影。
ここからの写真は2012/5/19撮影。

OpenStreetMapで旭町一丁目付近を見る。
田柄用水はつぶれた「ひ」の字のような形で旭町一丁目を流れていくが、現在の笹目通りに重なるように北へ転進しているのがわかる。
田柄用水はつぶれた「ひ」の字のような形で旭町一丁目を流れていくが、現在の笹目通りに重なるように北へ転進しているのがわかる。

旭町1丁目商店街から、インターロッキング舗装された道路として田柄用水はかつて練馬土支田町1丁目だったあたりを西へ流れていく。

途中、鰻屋の前が親水公園のようになっているが、水は流れていなかった。

インターロッキング舗装が終わったあたりで南側を見る。用水が流れていたところに比べ、南側がかなり高くなっているのがわかる。

笹目通りへの中間地点、区立旭町市民農園(区民農園ではない)あたりでインターロッキング舗装が復活。そこから振り返って東向きにみる。

水路敷らしいクネクネ道。写真右側のビルは笹目通りの向こうだ。

旭町一丁目バス停付近で用水路は笹目通りに出会う。

歩道橋に上って光が丘方向を振り返る。

歩道橋から笹目通りを北向きに見る。田柄用水は笹目通り沿いに若干左右に曲がりながら北上していた。
その様子は、実はブルーマップを見ると地番の区割りできれいに残っているのが分かるのだが、手前の斜めにマーキングされている部分は水路敷かもしれない。
その様子は、実はブルーマップを見ると地番の区割りできれいに残っているのが分かるのだが、手前の斜めにマーキングされている部分は水路敷かもしれない。

ところで、少し戻って旭町児童遊園のところで南側の道に入ってみると、突き当たりの旭町一丁目緑地が崖の上にあるのがわかる。
そこから西に向かって崖下の道が続いているのだが、これはかつての流路ということでいいのだろうか?
ここからの写真は2015/2/21撮影。
そこから西に向かって崖下の道が続いているのだが、これはかつての流路ということでいいのだろうか?
ここからの写真は2015/2/21撮影。

崖下の道は笹目通り沿いのアコレにぶつかって消えるのだが、その裏側、笹目通りの旭町一丁目交差点に回ってみると、西側のビルの1階部分が、けっこういびつに窪地になっているのがわかる。もともと、この辺りが谷頭だったのかもしれない。

そこから笹目通りを北へ。バイクショップで笹目通りと別れていく田柄用水だが、その手前、ダイハツの北側にも水路敷らしき細い路地を発見。

北側のマンションを回り込むような形で、いかにも水路っぽい路地が続く。路地はそのままバイクショップの裏を通り抜ける。

バイクショップの隣にある「ひまわり遊園」の向こうで、裏道は田柄用水から分かれていたようだ。