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田柄用水(笹目通り〜石神井一里塚)その2

OpenStreetMapで田柄用水中流部の三軒寺交差点付近を見る。

右(北)からさきほどのY字路右側の道と交差する地点で、水路は完全に西向きとなる。
暗渠になる前は、道路脇を水路が流れている様子が見られたのだろう。
暗渠になる前は、道路脇を水路が流れている様子が見られたのだろう。

ここからは今までの田柄用水にはなかったまっすぐな道。

三たび、地蔵通りと出会う。
写真右側のたばこ店のあたりに、用水の水で麦を挽くための水車(関口水車)があったという。
写真左側の用水から水を引いて水車を回し、さきほどの二度目の交差点に向かって水を回していたようだ。
写真右側のたばこ店のあたりに、用水の水で麦を挽くための水車(関口水車)があったという。
写真左側の用水から水を引いて水車を回し、さきほどの二度目の交差点に向かって水を回していたようだ。

交差点から地蔵通りを北方向に見る。
こうやって見ると、用水と用水の間に結構起伏があるのがわかる。
こうやって見ると、用水と用水の間に結構起伏があるのがわかる。

一方、交差点の南側。
交差点の向こうが窪んでいるのがわかる。枯れ川はもともと窪地のほうを通っていたのではないかという説があり、地形を見るともっとものように思える。
交差点の向こうが窪んでいるのがわかる。枯れ川はもともと窪地のほうを通っていたのではないかという説があり、地形を見るともっとものように思える。

関口水車跡からしばらくそのまま進んでいくと、日辰という会社の向かい側でいきなり水路敷が道路と別れて南へ直角に曲がっている。

水路敷は道路と別れてからすぐに再び西に90°ターンし、じめじめとした日当たりの悪い道となって西へ向かう。
このあたりは、もともとも枯れ川の流路を利用した可能性が高い場所だ。
このあたりは、もともとも枯れ川の流路を利用した可能性が高い場所だ。

このあたり、水路敷を挟んで南北で道路が分断されている。
かつては、橋がなかったのかもしれない。
かつては、橋がなかったのかもしれない。

少し進むといきなり開けた場所に出る。
南側の仮囲いのある部分が、改築中の練馬清掃工場。
南側の仮囲いのある部分が、改築中の練馬清掃工場。

清掃工場を南に見ながら進んでいくと現れるのがこれ。
サーキットのシケインさながら、逆Z字方のクランクになっている。これは地上から見るより、空中写真で見てもらったほうがよくわかる。
サーキットのシケインさながら、逆Z字方のクランクになっている。これは地上から見るより、空中写真で見てもらったほうがよくわかる。

ねりまっぷの平成20年版空中写真。
実は、直進している道のほうがずっと後に作られたもので、もともとの道は左上に斜めに駐車場の中を抜けていくように通っていた。
それでもその道も南側は直角カーブで、この不思議な道筋は明治時代からこんな感じだったらしい。
実は、直進している道のほうがずっと後に作られたもので、もともとの道は左上に斜めに駐車場の中を抜けていくように通っていた。
それでもその道も南側は直角カーブで、この不思議な道筋は明治時代からこんな感じだったらしい。

新旧道路に挟まれて、不思議な形に取り残された土地。
つい最近まで、ここも農地として耕作されていたが、最近は休耕中のようだ。
つい最近まで、ここも農地として耕作されていたが、最近は休耕中のようだ。

クランクを過ぎると、直線道路西側に都内では珍しい蓋暗渠らしい暗渠が現れる。

その暗渠だが、2016/10/29の様子。上の写真右側の畑地で宅地開発が始まり、それに伴って暗渠を掘り出して埋めてしまう工事が始まっていた。11月上旬には大半がアスファルト敷になってしまって、もはや暗渠の面影は残っていない。
それにしても、てっきり凹の字型の水路の上に蓋が乗っかっている蓋暗渠だとばかり思っていたのだが、掘り出されたものは四角いコンクリートの筒になっていた。どうりで上を歩いても蓋暗渠らしいベコベコという音がならなかった訳だ。
それにしても、てっきり凹の字型の水路の上に蓋が乗っかっている蓋暗渠だとばかり思っていたのだが、掘り出されたものは四角いコンクリートの筒になっていた。どうりで上を歩いても蓋暗渠らしいベコベコという音がならなかった訳だ。

コンクリート製の蓋の上は歩道として使われており、そこを進むと住宅地にぶつかったところで水路敷は西に曲がっている。

上の写真右端で水路敷は南に進路を変え、宅地の裏道として目白通りへ向かう。

目白通り三軒寺交差点の少し西側、関越自動車道練馬出口脇の、写真中央にあるマンション手前の緑の柵があるところ(わかりにくいが)が水路敷。
ここで田柄用水は目白通りを乗り越えることになり、いったん流路がわからなくなる。
ここで田柄用水は目白通りを乗り越えることになり、いったん流路がわからなくなる。

三軒寺歩道橋から練馬IC方向を見る。側道側に立つマンション群が、道路と並行ではなくやや傾いて立っているのがわかるかと思うが、ちょうどその隙間に水路敷の上流部がある。

コンテナスペースの先に現れる水路敷を示す緑の柵。

マンション裏手から住宅地に向かって水路敷は進む。

水路敷は三原台駐車場にぶつかるところで南に進路を変える。
この辺りは古い字名が韮窪といい、やはり窪地であることを示す地名になっている。
もともとの枯れ川は、ここでは直進して三原台中学校の南あたりまでの谷になっていたらしい。
この辺りは古い字名が韮窪といい、やはり窪地であることを示す地名になっている。
もともとの枯れ川は、ここでは直進して三原台中学校の南あたりまでの谷になっていたらしい。

三原台中学校の南。南向きにゆるやかに斜めに下っていく道があるが、このあたりが韮窪の谷頭だったのだろうか。

戻って水路敷を進む。ここからは、中央に植え込みのある広い敷地となっている。

途中クランク上に水路敷は曲がるが、南へ進むことは変わらない。

クランクの先、住宅地の真ん中で唐突に水路敷は終わっている(下流に向かって撮影)。
ここからは、しばらく水路としてはわからなくなる。
ここからは、しばらく水路としてはわからなくなる。

水路敷終端を西側から見る。
(ここからの写真は2012/5/6撮影)
水路敷よりも手前の部分が凹んでスリバチ状になっているのがわかる。写真に写っていない右へ進む道路もスリバチ状になっており、地形的にはこの辺りが谷頭のようだが、地形と関係なく田柄用水は写真奥のほう(東)へ進んでいく。
(ここからの写真は2012/5/6撮影)
水路敷よりも手前の部分が凹んでスリバチ状になっているのがわかる。写真に写っていない右へ進む道路もスリバチ状になっており、地形的にはこの辺りが谷頭のようだが、地形と関係なく田柄用水は写真奥のほう(東)へ進んでいく。

突き当りにある鴨下米穀店。
水路はここの北側を通って、屋敷の裏を南へ転進していた。
鴨下家は大正時代に千川用水沿いからこの地へ移ってきたそうで、精米ではなく精麦を行っていたらしい。
水路はここの北側を通って、屋敷の裏を南へ転進していた。
鴨下家は大正時代に千川用水沿いからこの地へ移ってきたそうで、精米ではなく精麦を行っていたらしい。

2015/11/14に撮影。鴨下米穀店の看板がなくなっており、北側にあった住宅が更地になったためその間にある水路敷が見えている。写真中央から奥に向かって細い蓋暗渠が写真奥の崖まで続いているが、その先は失われているようだ。

2016/4/16に同じ場所を訪れた時には、工事図が掲示されていた。図面(左が北)にははっきりと「水路敷」が描かれており、一部はすでに廃止水路(水路としての用途は廃止して払い下げを受けた土地)となっていることが分かる。
上の写真の蓋暗渠というか側溝と公図上の水路敷の位置は異なるようで、上の写真でも水路敷の跡は確認できない。分譲住宅化されると、新設道路がほぼ水路敷の上に敷かれる形となるようだ。
上の写真の蓋暗渠というか側溝と公図上の水路敷の位置は異なるようで、上の写真でも水路敷の跡は確認できない。分譲住宅化されると、新設道路がほぼ水路敷の上に敷かれる形となるようだ。

OpenStreetMapで鴨下米穀店跡から石神井一里塚までを見る。

鴨下米穀店の裏側から南へ向かう道。
妙に道幅が広いが、ここを田柄用水が流れていたらしい。
妙に道幅が広いが、ここを田柄用水が流れていたらしい。

そのまま進むと都道24号(大泉街道・清戸道)に突き当たる。
突き当りにかつては福室漬物店があり、用水で大根などを洗っていたらしい。
突き当りにかつては福室漬物店があり、用水で大根などを洗っていたらしい。

大泉街道から石神井公園駅へ向かう細い路地。写真奥で道が広くなっているあたりまでが用水路で、福室漬物店に向かって曲がっていたらしい。

ピアレスを奥に見る道路の屈曲点。
用水路は左の木の左(東側)を通っていたようだ。一方、右側の建物の裏には速水水車があったという。
用水路は左の木の左(東側)を通っていたようだ。一方、右側の建物の裏には速水水車があったという。

水路はそのまま進み、光和公園のところで西に折れる。
(この写真から2012/5/12撮影。この写真は下流に向かって撮影)
(この写真から2012/5/12撮影。この写真は下流に向かって撮影)

光和公園の南側を水路が西へ進む。

公園の先で道は細くなり、水路敷の左右現れる謎の建物。

その先でようやく水路敷が復活。
謎の建物は、こちらでは荒れ放題。
謎の建物は、こちらでは荒れ放題。

うねうねと進む。

水路敷脇の怪しい隙間。上の写真右のちょっとしたでっぱりの部分から別れている。
ここもかつては水路だったのかもしれない。
ここもかつては水路だったのかもしれない。

道路の手間で南へ90°ターン。
奥の道路とはずいぶん段差がある。
奥の道路とはずいぶん段差がある。

水路は直進している未舗装路のほうだったようだ。
そのまま道は民家の敷地に突進するが、民家の裏庭に都のマンホールがあるので、そこが水路敷と思われる。
そのまま道は民家の敷地に突進するが、民家の裏庭に都のマンホールがあるので、そこが水路敷と思われる。

民家の裏を回り込んで道路に出てくる水路。写真の右側にはライフ石神井公園店がある。
(この写真は下流に向かって撮影)
(この写真は下流に向かって撮影)

かつてはこの歩道部分が水路だったのではないかと思われる。歩道の中央に不自然に立木があるのが気になる。
田柄用水はこのまま南へ向かい、西武池袋線を旧石神井公園2号踏切で越えて、石神井一里塚の脇で富士街道へ合流する。
田柄用水はこのまま南へ向かい、西武池袋線を旧石神井公園2号踏切で越えて、石神井一里塚の脇で富士街道へ合流する。

富士街道脇に立つ石神井一里塚。

田柄用水は富士街道を田無からここまで流れてきて、右(北)へ向きを変える。
今回の探訪はここが終点となる。
今回の探訪はここが終点となる。