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谷端川と周辺の水路敷群(椎名町〜上流端)その2
昭和22年
国土地理院Webサイトから昭和22年の椎名町駅付近(米軍撮影)を見る。
サミット
線路の北側にサミットストアを見ながら、ホームの南側を迂回していく。水路の跡がどの位置なのかは、南側からはわからない。
踏切
椎名町1号踏切を渡って北側からホームを見る。ホームの左脇に不自然な空間が残っているが、どうやらここが水路敷で、椎名町サンロードから別れて線路の南側へ渡っていたらしい。
サンロード
ここから先は、サンロードに沿って北上していく。古くは谷端川はこのあたりを蛇行しながら流れていたようだが、区画整理されて道路に沿ってまっすぐ下ってきていたようだ。
拡張工事
サンロード商店街を抜けたところ、東西に走る道路は拡張工事に向けた用地買収が進んでいるようだ。
ここからの写真は2017/11/12撮影。
小祠跡
拡張工事が進む道路を西に1ブロック進んだところにある駐車場から谷端川に向かって見たところ。かつてここに水神様として第六天が祀られていたという(Google Mapの2009年版には、小祠があるのが見える)。このあたりに古い水源があったのかもしれない。
支流
谷端川に戻って1ブロック北側で、西向きにやや道路幅が広くなっている。ここから西にある長崎公園に向かって支流があったようなので寄り道してみる。
路地
西に向かってすぐ、北向きに路地があらわれる。道の中央に境界標があり、左右どちらかは私有地なのだろうが、どちらなのかよくわからない。
マンホール
道路の中央にマンホールが並んでいる路地を進む。
未舗装
突き当たりの先には、未舗装の道が西へ続いていた。
細道
上の写真で奥に写っている自動販売機の左側に、水路敷らしい細道があった。
細い
狭い水路敷を進むと、車が通れそうな程度の幅がある路地に出た。
舗装
路地は南半分の舗装が異なっている。かつてはここが側溝だったのだろう。
互い違い
路地の出口。突き当たりの家の右(北)側に舗装水路敷が続いている。
狭くて古い
左側の家から塀が倒れてきそう。
ここからの写真は2017/9/3撮影。
旅館
急に開けた場所に出た。旅館を左手に、水路敷は道路に変わって続く。
西向不動尊
旅館の斜め南側にある西向(にしむかい)不動尊。たしかに西を向いているのだが、領主であった豊島氏の居城(現在の豊島園)の方を向いているためと言われる。
しかし、旅館の方は「にしむかい」でも「にしむき」でもなく、「さいこう」と読むそうだ。
松
旅館の先、道路は四つ角の先で幅が狭くなっており、ここで水路は南側から曲がってきたらしい。
南
四つ角から南を見る。矢印のところに、再び西へ向かう水路敷が現れる。
水路敷
ここから長崎公園に向かって水路敷が伸びている。
苔
苔むした水路敷。
隙間
未舗装の水路敷の先に公園が見えてきた。
長崎公園から
長崎公園まで通り抜けて東側を振り返ったところ。
長崎公園
長崎公園の中にも、西に向かって水路敷が続いている。
上流端
長崎公園の中央を南北に通る道路で水路敷は終わっていた。
公園西側
西側の公園敷地は南半分が窪地になっており、このあたりが上流端ということになるだろう。
地図その3
OpenStreetMapで谷端川再上流部を見る。
北へ
さて、谷端川本流に戻って、最上流部へ向かっていこう。
支流との合流
クリーング店の先で、要町駅から来た支流が合流している。
ヘアーサロン
ヘアーサロンのところで谷端川はやや西向きに方角を変え、要町通りへ近づいていく。
粟島神社
しばらく進んでいくと、粟島神社に突き当たって道路はやや左寄りに避けて通っていく。
粟島神社は新田義貞の祈願所であったと伝わる古い神社で、元々は弁天を祀っていたともいう。ここが、谷端川上流の水源地であったようだ。
分水
粟島神社の先は、千川上水の分水である長崎分水を辿ることになる。
池
粟島神社の中にある池。人工的に整備されているようだが、昔は湧き水だったのだろう。
要町通り
まっすぐ進んでいくと要町通り、千川駅の東側、5番出口の脇に出た。
左折
ここで分水は要町通りに沿わず、西から流れて来ていた。
要町三丁目南
要町三丁目南交差点を右折して、再び要町通りへ向かう。
再び要町通り
千川駅西側の1番出口脇で、再び要町通りへ。分水はこのすぐ西側にある千川上水から分かれていた。
千川上水
要町三丁目交差点北側から見たところ。横断歩道のあたりが千川上水が流れていたところで、写真中央奥に写るCOCO'Sのあたりで分水していたのではないかと思われる。
ようやく、谷端川の出発点までたどり着いた。
by Natrium