西に向かってすぐ、北向きに路地があらわれる。道の中央に境界標があり、左右どちらかは私有地なのだろうが、どちらなのかよくわからない。
道路の中央にマンホールが並んでいる路地を進む。
突き当たりの先には、未舗装の道が西へ続いていた。
上の写真で奥に写っている自動販売機の左側に、水路敷らしい細道があった。
狭い水路敷を進むと、車が通れそうな程度の幅がある路地に出た。
路地は南半分の舗装が異なっている。かつてはここが側溝だったのだろう。
路地の出口。突き当たりの家の右(北)側に舗装水路敷が続いている。
左側の家から塀が倒れてきそう。
ここからの写真は2017/9/3撮影。
急に開けた場所に出た。旅館を左手に、水路敷は道路に変わって続く。
旅館の斜め南側にある西向(にしむかい)不動尊。たしかに西を向いているのだが、領主であった豊島氏の居城(現在の豊島園)の方を向いているためと言われる。
しかし、旅館の方は「にしむかい」でも「にしむき」でもなく、「さいこう」と読むそうだ。
旅館の先、道路は四つ角の先で幅が狭くなっており、ここで水路は南側から曲がってきたらしい。
四つ角から南を見る。矢印のところに、再び西へ向かう水路敷が現れる。
ここから長崎公園に向かって水路敷が伸びている。
苔むした水路敷。
未舗装の水路敷の先に公園が見えてきた。
長崎公園まで通り抜けて東側を振り返ったところ。
長崎公園の中にも、西に向かって水路敷が続いている。
長崎公園の中央を南北に通る道路で水路敷は終わっていた。
西側の公園敷地は南半分が窪地になっており、このあたりが上流端ということになるだろう。