善福寺川周辺の水路敷群(四面道口分水)
OpenStreetMapで
四面道交差点の南側を見る。
四面道口分水は新青梅街道を流れていた六ヶ村分水から善福寺川方向で導水していたもので、善福寺川左岸のそれほど広くない低地を流れている。位置取りから考えると、この水が
高野ヶ谷(こやがいど)の水路や、新堀用水を通して桃園川にも供給されていたのかもしれない。
春日橋から北へ向かう直線道路が元の分水とされる。
ここからの写真は2021/5/29撮影。
崖上まで藪は続いていた。このあたりに湧き水があったということだろうか。
その先、荻窪高校の北側にも崖に向かって蓋暗渠が残っている。こちらは途中で荻窪高校の敷地に紛れ込んでしまうようで、崖上に水路敷は見当たらない。
桃井第二小学校の脇を抜けていく。正面写真奥で道路は右へ曲がるのだが、水路はもともと直進方向から流れてきていたようで、いったん水路敷としては見失うことになる。
環八通りの東電荻窪支社前交差点。分水は写真右側の路地から流れてきていたようで、かつては環八に沿って直接善福寺川に流れていく水路もあったらしいが、環八工事で跡形もない。
交差点の手前の路地を北へ向かう。写真奥には中央線が見えている。
突き当たりの中央線側道の擁壁。中央線は嵩上げされており、いったん水路敷の跡は途切れてしまう。
中央線が環八を渡る陸橋の脇には、真言宗豊山派の光明院(荻寺)がある。和銅元年(708年)開創という言い伝えのある古刹で、あたりに生えていた荻を使って仏像を祀るお堂を建てたといい、そこから荻窪の地名が起こったと言われている。
環八の西側に戻り、中央線の北側で荻窪駅方向を見たところ。分水のあったところが窪んでいるのがわかる。
窪んだところから北に向かって車止めのある水路敷が伸びている。
水路敷に入ってすぐ、東向きに水路敷かどうかはわからないが細い道があった。
東側から見たところ。バイク駐車禁止と書かれた車止めが道を塞いでいて、またいで乗り越えるか、両脇の私有地に踏み込まないと入っていけない。
水路敷の東側には、荻窪白山神社の参道が並走している。文明年間(1469〜1486年)創建と伝わる。萩の箸で食事をすると歯痛が治るという逸話があって、歯痛除けの神社として知られているそうだ。
北側から下流方向を見たところ。蔦に覆われた住宅の左には白山神社の塀が見える。
そこから振り返って環八通りを四面道方向に見る。かつては環八のあたりに水路があったはずだが跡形もない。四面道交差点西側で六ヶ村分水から水を分けていたはずだが、その痕跡もよくわからなくなってしまっている。