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相模原線調布1号~8号踏切

OpenStreetMapで調布駅から相模原線の京王多摩川駅までを見る。
京王相模原線は大正5年(1916年)に調布と多摩川原の間で開業した砂利運搬用の支線(多摩川支線または多摩川原支線)を橋本まで延伸したもの(計画としては津久井湖近くの相模中野までだったが1988年に免許失効)で、多摩川を渡った先にはもともと踏切が造られていない。
今回は、平成24年(2012年)の調布駅付近地下化にともなって廃止された踏切と、それ以前に廃止されていたと思われる踏切跡を探してみる。
京王相模原線は大正5年(1916年)に調布と多摩川原の間で開業した砂利運搬用の支線(多摩川支線または多摩川原支線)を橋本まで延伸したもの(計画としては津久井湖近くの相模中野までだったが1988年に免許失効)で、多摩川を渡った先にはもともと踏切が造られていない。
今回は、平成24年(2012年)の調布駅付近地下化にともなって廃止された踏切と、それ以前に廃止されていたと思われる踏切跡を探してみる。

調布駅で京王線と別れた相模原線は、京王線と共用していた調布1号踏切から大きく南へカーブして行っていた。
調布東山病院の看板手前を右に向かう遊歩道の北寄りに相模原線が通っていて、写真手前あたりに踏切があった。
ここからの写真は2025/12/29撮影。
調布東山病院の看板手前を右に向かう遊歩道の北寄りに相模原線が通っていて、写真手前あたりに踏切があった。
ここからの写真は2025/12/29撮影。

国土地理院Webサイトの昭和36年空中写真(国土地理院撮影)をみると、線路は遊歩道ではなくその右側にあったようだ。

カーブしていく途中で遊歩道は駐車場出入口の車道になるが、その先にある交差点右(西)側が2012年に廃止された相模原線調布1号踏切の跡。ここからは相模原線としての踏切番号になる。
ここから先の線路跡(写真右奥)は自転車駐車場として使用されている。
ここから先の線路跡(写真右奥)は自転車駐車場として使用されている。

自転車駐車場南側の出入口になっている通路から東側を見たところ。
写真手前側が一見踏切のようにも見えるが、全国Q地図の東京都3千分の1地図(1959〜1960年)を見ても踏切はない。
地籍マップ(β版)では線路上も含めて道路として描かれているので、鉄道が開通する前には道路だったのだろう。
写真手前側が一見踏切のようにも見えるが、全国Q地図の東京都3千分の1地図(1959〜1960年)を見ても踏切はない。
地籍マップ(β版)では線路上も含めて道路として描かれているので、鉄道が開通する前には道路だったのだろう。

相模原線調布2号踏切は写真左側の調布市文化会館「たづくり」から点線のように斜めに伸びていた道路の先、現在は調布市立鉄道敷地公園(タコ公園)部分にあったのだが、道路ごとなくなっている。

線路跡を利用した鉄道敷地公園には、街を襲うガメラのジオラマ風立像がある。ガメラといえば大映の製作で、調布市には大映東京撮影所があった。京王多摩川駅近くにあるKADOKAWA大映スタジオの壁面にもガメラが描かれている。

鉄道敷地公園の南端付近から調布方向を見たところ。相模原線調布3号踏切は写真左側に見える小道から線路を斜め手前に横断していた。

そのすぐ南側、品川通りが相模原線調布4号踏切の跡。
ここは地上に線路があったときには品川通りがアンダーパスで通っていたが、相模原線の地下化を行うため2007年に品川通りをオーバーバスにする仮説跨線橋が造られ、2013年に道路が地上を通るように戻されるという大工事になった場所であった。
ここから先の線路跡は防災倉庫に利用されていて通ることができない。
ここは地上に線路があったときには品川通りがアンダーパスで通っていたが、相模原線の地下化を行うため2007年に品川通りをオーバーバスにする仮説跨線橋が造られ、2013年に道路が地上を通るように戻されるという大工事になった場所であった。
ここから先の線路跡は防災倉庫に利用されていて通ることができない。

品川通りの西側から相模原線沿いに南へ進んで相模原線調布5号踏切跡を見たところ。
西側は行き止まりとなっている道路の入口付近になっているが、反対側はアパート敷地になっているようで痕跡は見当たらない。
この写真は2026/5/25撮影。
西側は行き止まりとなっている道路の入口付近になっているが、反対側はアパート敷地になっているようで痕跡は見当たらない。
この写真は2026/5/25撮影。

相模原線が地下から高架へ映るあたり2012年に廃止された相模原線調布6号踏切があった。現在は線路をくぐるアンダーバスが南側にあった踏切跡の下に造られている。
ここからの写真は2025/12/29撮影。
ここからの写真は2025/12/29撮影。

左(南)に曲がって坂を下り、直角に曲がるところに相模原線調布7号踏切があった。

アンダーバスの中から東側を見たところ。自動車は東向きの一方通行なのだが自転車は逆向き(西向き)にも通行できるため注意看板が設置されている。右側の壁には衝突した際のショックをやわらげるためと思われるクッションがあるが、はたしてどれくらい機能するのだろうか。

高架化前の京王多摩川駅は現在よりも北寄り、東京都道120号桜堤通りの手前にあった。
駅跡北側に高架下を通る二つの道路があるが、手前側が相模原線調布8号踏切の跡だ。旧京王多摩川駅跡は現在多摩川児童館子育てひろばなどになっている。
駅跡北側に高架下を通る二つの道路があるが、手前側が相模原線調布8号踏切の跡だ。旧京王多摩川駅跡は現在多摩川児童館子育てひろばなどになっている。

桜堤通り西側から相模原線の高架を見たところ。現在の京王多摩川駅は写真右(南)側にあるが、旧京王多摩川駅は左(北)にあった。
写真右側、桜堤通りの南側には昭和2年(1927年)開業で遊園地や野球場、演芸場などがあるレジャー施設「京王閣」があった。現在の駅付近には大きな池があったが、現在は埋め立てられて東側は住宅や商店になっている。西側には2021年まで京王フローラルガーデンANGE(1956年から東京菖蒲園、1961年から京王百花苑、1997年閉園ののち2002年再開園)があったが、現在は再開発中となっている。
写真右側、桜堤通りの南側には昭和2年(1927年)開業で遊園地や野球場、演芸場などがあるレジャー施設「京王閣」があった。現在の駅付近には大きな池があったが、現在は埋め立てられて東側は住宅や商店になっている。西側には2021年まで京王フローラルガーデンANGE(1956年から東京菖蒲園、1961年から京王百花苑、1997年閉園ののち2002年再開園)があったが、現在は再開発中となっている。

京王閣といえば駅南側に東京オーヴァル京王閣(京王閣競輪場)が残っている。写真右側の高架下には競輪開催日だけ使用される臨時改札口がある。
写真手前には京王閣が1947年に閉鎖された後1955年に開園した京王遊園という遊園地もあったが、1964年に対岸の稲城市と川崎市多摩区にまたがる遊園地「よみうりランド」が開園しており1971年には閉園となっている。
写真手前には京王閣が1947年に閉鎖された後1955年に開園した京王遊園という遊園地もあったが、1964年に対岸の稲城市と川崎市多摩区にまたがる遊園地「よみうりランド」が開園しており1971年には閉園となっている。

京王多摩川駅上りホームから閉鎖中の臨時口を見たところ。

おまけで京王多摩川駅の高架下にあった案内看板。
「ハサミを省略」とは何のことやらと思う人も今や多いと思うが、電車に乗るため切符(キップ)を買うのが必須だった頃には駅の改札口で駅員が切符に使用開始したことを示すため改札鋏(かいさつきょう、改札パンチ)という専用のハサミを使って切れ込みを入れていた。
ところが、競輪開催日には大量の乗客が改札口を通過するので「キップを切る」作業が間に合わなくなることから、やむを得ず「ハサミを省略」してそのまま改札を通ってもらっていたということになる。このとき販売された切符には「入鋏省略」と印字されていたはずだ。
「ハサミを省略」とは何のことやらと思う人も今や多いと思うが、電車に乗るため切符(キップ)を買うのが必須だった頃には駅の改札口で駅員が切符に使用開始したことを示すため改札鋏(かいさつきょう、改札パンチ)という専用のハサミを使って切れ込みを入れていた。
ところが、競輪開催日には大量の乗客が改札口を通過するので「キップを切る」作業が間に合わなくなることから、やむを得ず「ハサミを省略」してそのまま改札を通ってもらっていたということになる。このとき販売された切符には「入鋏省略」と印字されていたはずだ。