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東上122号~146号踏切

OpenStreetMapでふじみ野駅から上福岡駅までを見る。
ふじみ野駅近辺の踏切が2012年まで行われていた富士見市勝瀬原特定土地区画整理事業に伴う道路の付け替えなどでほとんど廃止されている一方、ふじみ野市内となる上福岡駅近辺の踏切はほとんどが現役なのが目立つ。
参考資料:
・国立国会図書館デジタルコレクション所蔵
- 「高階の歴史」(高階の歴史編集委員会, 1990)
・国土地理院Webサイト
- 「昭和22年空中写真(ふじみ野〜上福岡)」(米軍撮影, 1947)
- 「昭和22年空中写真(上福岡〜新河岸)」(米軍撮影, 1947)
- 「昭和36年空中写真」(国土地理院撮影, 1966)
・富士見市立図書館所蔵「後世に伝える〜新しいまちの息吹〜 竣功記念誌」(富士見市勝瀬原特定土地区画整理組合, 2011)
・踏切道 ~Railroad crossing~「東武鉄道東上線の踏切000 東上線の踏切一覧 - 1973年1月1日現在」(takanobu0121, 2018)
ふじみ野駅近辺の踏切が2012年まで行われていた富士見市勝瀬原特定土地区画整理事業に伴う道路の付け替えなどでほとんど廃止されている一方、ふじみ野市内となる上福岡駅近辺の踏切はほとんどが現役なのが目立つ。
参考資料:
・国立国会図書館デジタルコレクション所蔵
- 「高階の歴史」(高階の歴史編集委員会, 1990)
・国土地理院Webサイト
- 「昭和22年空中写真(ふじみ野〜上福岡)」(米軍撮影, 1947)
- 「昭和22年空中写真(上福岡〜新河岸)」(米軍撮影, 1947)
- 「昭和36年空中写真」(国土地理院撮影, 1966)
・富士見市立図書館所蔵「後世に伝える〜新しいまちの息吹〜 竣功記念誌」(富士見市勝瀬原特定土地区画整理組合, 2011)
・踏切道 ~Railroad crossing~「東武鉄道東上線の踏切000 東上線の踏切一覧 - 1973年1月1日現在」(takanobu0121, 2018)

昭和26年(1951年)に「ききょう原信号所」として開設され、複線化に伴って昭和29年(1954年)にいったん廃止となったが平成5年(1993年)に改めて開業した「ふじみ野」駅。
ただし、住所は「富士見市ふじみ野東一丁目」にあって、「ふじみ野市」にはない。現在の住所になったのは平成22年(2010年)で、それまでは富士見市大字勝瀬であった。一方、ふじみ野市は上福岡市と大井町が平成17年(2005年)に合併して発足した自治体で、元々は平成の大合併時に検討が進んでいた富士見市、三芳町を含む2市2町の合併後の名称として採用される予定の地名で駅名もそちらの方にちなんで名付けられたという。
ここからの写真は2026/9/1撮影。
ただし、住所は「富士見市ふじみ野東一丁目」にあって、「ふじみ野市」にはない。現在の住所になったのは平成22年(2010年)で、それまでは富士見市大字勝瀬であった。一方、ふじみ野市は上福岡市と大井町が平成17年(2005年)に合併して発足した自治体で、元々は平成の大合併時に検討が進んでいた富士見市、三芳町を含む2市2町の合併後の名称として採用される予定の地名で駅名もそちらの方にちなんで名付けられたという。
ここからの写真は2026/9/1撮影。

東上122号踏切から125号踏切までは区画整理によって旧道が廃止されているため正確な場所はわからない。
東京122号踏切はおおよそ駅北側のマンションよりもやや手前にあったと思われる。
東京122号踏切はおおよそ駅北側のマンションよりもやや手前にあったと思われる。

東上123号踏切はマンションの向かい側から線路に突き当たる道路のあたりにあったようだ。

東上124号踏切はひとつ北側の突き当たりよりもやや上福岡寄りにあったらしい。

東上125号踏切の跡を示すようなランドマークは残っていない。線路東側にあるマンション(写真右)の前にあったはずだ。

東上126号踏切は市道幹線8号線のアンダーパスを越えたところにある線路東側の残余地がそれ。

東上127号踏切はその北側、線路にぶつかって道路が北に曲がるところにあった。

埼玉県道272号東大久保ふじみ野線が渡る久々現役の東上128号踏切。

次の東上129号踏切は廃止されている。

桁下2.2mしかない架道橋(丸山橋梁)は元々水路を跨いでいた場所で、両側に丸山橋と書かれた標柱が置かれている。

東上130号踏切は丸山橋を越えて線路東側(写真左)に見える西武文理大学付属調理師専門学校跡地を通ってミラーの向こう(ふじみ野寄り)に渡っていたようだが、前後の道路を含め痕跡は残っていない。

水路(暗渠)の左岸側を上ったところにある東上131号踏切。ここから上福岡駅まではすべて現役の踏切が残っている。

東上132号踏切は線路の方が低くなっているため自転車も通行には注意が必要だ。

東上133号踏切はこの幅でも車両通行可能。特に禁止標識はないが大型車の通行は無理だろう。

やや斜めに線路を渡る東上134号踏切。

上福岡駅手前の東上135号踏切。埼玉県道56号さいたまふじみ野所沢線が渡っており、線路東側は上福岡大通り、西側は富士見通りと呼ばれているらしい。

上福岡駅は平成22年(2010年)に北口・南口だった出口の呼称を東口・西口に変更している。東口側のバス停留場に向かって突き当たる一方通行の道路があるが、線路を跨いで西側にも対応する道路があり、東上線が走る前は繋がっていたと思われる。
昭和22年の空中写真でもすでに踏切はなく、踏切があったかどうはわからない。
昭和22年の空中写真でもすでに踏切はなく、踏切があったかどうはわからない。

OpenStreetMapで上福岡駅から新河岸駅までを見る。
昭和48年(1973年)時点では東上138号踏切が残っていたようだがその後廃止されており、現在は東上143号踏切まで現役の踏切がない。
廃止された踏切については資料が見当たらないため、ここからは主に空中写真を参考に位置を推定している。このため今後資料が見つかれば修正する可能性がある。
昭和48年(1973年)時点では東上138号踏切が残っていたようだがその後廃止されており、現在は東上143号踏切まで現役の踏切がない。
廃止された踏切については資料が見当たらないため、ここからは主に空中写真を参考に位置を推定している。このため今後資料が見つかれば修正する可能性がある。

上福岡駅北側に2ヶ所、踏切跡と思われる場所がある。いずれも線路西側がURのマンションになっていて道路が失われており、東側から線路に突き当たる道路だけが残っている。

二つ目も東側から突き当たる道路が見える。

北へ進んで線路を跨ぐ藤間北野歩道橋の下に、東上136号踏切があった空間が残っている。
ここから新河岸駅方向は川越市に入る。
ここから新河岸駅方向は川越市に入る。

並木通りはもともとは水路で、両岸の歩道は線路の下を潜っていたため踏切はなかった。

途中の路地に貼られていた防犯模範地区の看板。字面からみて相当古いものであろうと思われる。いわゆる「押売り」が横行していたのは昭和30年代の話だ。

東上137号踏切は東側から斜めに道路が線路に突き当たっていた場所にあったと思われる。

東上138号踏切は線路西側の川越市大字藤間で昭和38年(1963年)から42年(1967年)まで実施された藤間土地区画整理事業の完成後に廃止されたと思われ、現在は線路をくぐるトンネルになっている。

東上139号踏切の跡は東側から線路に突き当たる道路として残っている。

谷間になっているところに桁下2.4mの架道橋があるが、写真右手前には蓋暗渠がありここも水路の跡で踏切ではない。

線路東側、水路左岸の台地上にある藤間諏訪神社。慶長17年(1612年)創建と伝わるが、それ以前から藤間大明神として祀られていたという。

諏訪神社から線路に向かって上っていく道が突き当たるところに東上140号踏切があった。

東上141号踏切は西側から道路が突き当たる場所にあった。東側は最近まで空き地だったが、現在新築住宅の建築が進んでいる。

そのすぐ北側に東上142号踏切があったはずなのだが、痕跡が残っておらず正確な位置はわからない。

現役の東上143号踏切。

東上144号踏切は東西にとも道路が残っておらず、おそらくは東側マンション脇の駐車場に入る通路が踏切へ向かう道路の跡ではないかと推定される。

東上145号踏切の跡は東側に未舗装の残余地が残っている。

新河岸駅手前にある現役の東上146号踏切。

新河岸駅北側には詰所に渡る構内踏切が残っている。
新河岸の名前は川越五河岸にと呼ばれる新河岸川の河岸場(船着場)であった上新河岸、下新河岸に由来している。
新河岸の名前は川越五河岸にと呼ばれる新河岸川の河岸場(船着場)であった上新河岸、下新河岸に由来している。