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三軒茶屋1号~若林4号踏切

OpenStreetMapで三軒茶屋周辺から松陰神社前駅までを見る。
玉川線の踏切ですでに紹介したように玉川線と三軒茶屋交差点で分かれた世田谷線は現在の三軒茶屋駅よりも東側にあったが、今回は現在の三軒茶屋駅から松陰神社駅までを見ていこう。
世田谷線は渋谷と二子玉川を結んでいた玉川電気鉄道(のちの玉川線)の支線として大正14年に三軒茶屋〜世田谷間が開通(当時は下高井戸線)、同年中に下高井戸まで全通している。昭和44年に玉川線は廃止されたが、前線が専用軌道になっている三軒茶屋〜下高井戸間は廃止を免れ、世田谷線に改称され現在まで東急の中で唯一の軌道線として存続している。現在でも「玉電」と呼ばれるのはこのような歴史があるためだ。
参考資料:
・キャンブックス「玉電が走った街 今昔」(林順信/JTBパブリッシング, 1999)
・がんばれぼくらの世田谷線
玉川線の踏切ですでに紹介したように玉川線と三軒茶屋交差点で分かれた世田谷線は現在の三軒茶屋駅よりも東側にあったが、今回は現在の三軒茶屋駅から松陰神社駅までを見ていこう。
世田谷線は渋谷と二子玉川を結んでいた玉川電気鉄道(のちの玉川線)の支線として大正14年に三軒茶屋〜世田谷間が開通(当時は下高井戸線)、同年中に下高井戸まで全通している。昭和44年に玉川線は廃止されたが、前線が専用軌道になっている三軒茶屋〜下高井戸間は廃止を免れ、世田谷線に改称され現在まで東急の中で唯一の軌道線として存続している。現在でも「玉電」と呼ばれるのはこのような歴史があるためだ。
参考資料:
・キャンブックス「玉電が走った街 今昔」(林順信/JTBパブリッシング, 1999)
・がんばれぼくらの世田谷線

三軒茶屋2号踏切側から三軒茶屋駅方向を見たところ。
現在の三軒茶屋1号踏切は駅を出てすぐのところにあるが、かつては東側の駅前ロータリー付近にあった。
写真手前左に「教学院入口」と彫られた石柱があるが、左側にある天台宗最勝寺教学院(目青不動)のことで、かつてはその門前に踏切があった。
ここからの写真は2026/5/25撮影。
現在の三軒茶屋1号踏切は駅を出てすぐのところにあるが、かつては東側の駅前ロータリー付近にあった。
写真手前左に「教学院入口」と彫られた石柱があるが、左側にある天台宗最勝寺教学院(目青不動)のことで、かつてはその門前に踏切があった。
ここからの写真は2026/5/25撮影。
全国Q地図に国土地理院Webサイトの昭和22年空中写真(米軍撮影)を重ねてみた(ロールアップで地図)。
昭和22年の空中写真では現在の三軒茶屋2号踏切の左右に踏切があることがわかる。右側の旧踏切が教学院の門前にあったもので、かつては世田谷通りから参道が伸びていた様子が見える。参道の位置にはNTT世田谷ビル(旧世田谷電報電話局)が建っている。
昭和22年の空中写真では現在の三軒茶屋2号踏切の左右に踏切があることがわかる。右側の旧踏切が教学院の門前にあったもので、かつては世田谷通りから参道が伸びていた様子が見える。参道の位置にはNTT世田谷ビル(旧世田谷電報電話局)が建っている。

昭和22年の空中写真には存在しない三軒茶屋2号踏切。

その西側に南北から道路が突き当たって曲がる場所があるが、そこに踏切があった。東急電鉄では軌道線である世田谷線の踏切数については昭和35年(1960年)以前の記録を残していないため、二つの踏切が廃止された時期については資料が見当たらない。

西太子堂駅前にある西太子堂1号踏切。西太子堂駅は開業から昭和14年(1939年)までは西山駅(太子堂村の字名が由来)という名称だった。
太子堂という地名の由来は烏山川周辺の水路敷群(池尻~太子堂)で紹介している。
太子堂という地名の由来は烏山川周辺の水路敷群(池尻~太子堂)で紹介している。

次の西太子堂2号踏切は斜めに線路を渡っている。

西太子堂3号踏切は北向き一方通行になっている。

西太子堂4号踏切は踏切南側(写真手前)の道路が北向き一方通行になっていて、実質的に踏切を車両で南に渡ることは難しい。

世田谷線が環状七号線を渡る若林踏切は電車が信号待ちをする踏切として有名。

踏切脇には西太子堂5号踏切の看板がついているのだが、実は2012年に踏切部分が併用軌道扱いとなっているので踏切としては廃止されている。

とはいえ、環状七号線側にも「踏切注意」の看板はあるし、法的位置付けはともかく一般的には踏切として認識されている。
この写真は2026/1/23撮影。
この写真は2026/1/23撮影。

若林踏切脇から若林駅方向を見たところ。写真奥に見える西太子堂6号踏切の手前(写真左の草むら)に、昭和14年(1939年)まで使用されていた下りホームの跡が残っている。
ここからの写真は2026/5/25撮影。
ここからの写真は2026/5/25撮影。

若林駅東側の西太子堂6号踏切。環状七号線が開通するまでは、こちらが南北を通るメインとなる道路だった。

若林駅西側の若林1号踏切もけっこう斜めに線路を渡っている。
若林駅は昭和14年から44年(1969年)まで玉電若林駅と称していた。
若林駅は昭和14年から44年(1969年)まで玉電若林駅と称していた。

踏切の接近方向を示す標識は電球式でなんだかレトロな雰囲気。

南側の踏切手前が丁字路になっている若林2号踏切。

そこから南側の側道を西へ向かったところ。写真左から斜めに道路が来ているが、国立国会図書館デジタルコレクション所蔵の「東京府荏原郡世田谷町全圖 番地界入」(小林又七, 1930)を見るとそこから写真右に向かって斜めに踏切が渡っているように見える。
国土地理院Webサイトの昭和22年空中写真(米軍撮影)には踏切はないので、それまでに廃止されていたのかもしれない。
国土地理院Webサイトの昭和22年空中写真(米軍撮影)には踏切はないので、それまでに廃止されていたのかもしれない。

踏切際まで住宅が立ち並び見通しが悪そうな若林3号踏切は南向き一方通行になっている。

松陰神社前駅手前にある若林4号踏切。
松陰神社については烏山川周辺の水路敷群(太子橋〜勝橋)で訪れている。
松陰神社については烏山川周辺の水路敷群(太子橋〜勝橋)で訪れている。

松陰神社前駅も昭和14年まで下りホームが踏切東側にあった。
