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日吉1号~綱島2号踏切
地図その1
OpenStreetMapで日吉駅付近を見る。
平成12年(2000年)に完成した日吉・綱島間の立体交差化で廃止された日吉1号踏切は地図の範囲よりも綱島寄りにあるが、川崎私立中原図書館所蔵の「三千分の一地形図 日吉西部」(内務省復興局, 1927)には日吉駅南側に2ヶ所踏切が描かれている。
日吉駅
複々線化に備えて平成2年(1990年)から3年(1991年)にかけて半地下化された日吉駅。
ひとつめの踏切は地下化される前の駅南側にあったが、現在は改札口付近の位置にあたり痕跡は残っていない。
この踏切は横浜市が公開している横浜市三千分一地形図の「日吉台」(横浜市土木局, 1947)には見えず、戦前に廃止されていたようだ。
ここからの写真は2026/4/28撮影。
銀杏並木
日吉駅東口には慶應義塾大学日吉キャンパスがあり、駅からまっすぐ銀杏並木が伸びている。
東横橋
バスロータリーの南側にある東横橋は開業当初から跨線橋だった。
ここからの写真は2026/5/2撮影。
踏切跡
ふたつめの踏切は東横橋から神奈川県道2号綱島街道を南に進んですぐのところで斜めに渡っていたが、こちらも痕跡は残っていない。
ちなみに写真中央やや左に見える大きな建物は「信長の野望」のゲームを開発しているコーエーテクモホールディングスの社屋のひとつ「コーエージェミニビル」で、そこまでが台地になっている(その先は矢上川と鶴見川の間にある谷)。
日吉村
ここで少し脱線するが、日吉村の歴史について触れておこう。OpenStreeMapで旧日吉村を見る。
多摩川園1号〜元住吉3号踏切のページでも触れた通り、日吉という地名は駅西側にある金蔵寺(こんぞうじ)の日吉大権現に由来するが、明治22年の発足当時は現在横浜市にある日吉地区の4ヶ村(矢上村、駒林村、駒ヶ橋村、箕輪村)だけでなく矢上川左岸の小倉村、鹿島田村、南加瀬村の3ヶ村も加わっていた(さらに大正14年に北加瀬村を編入)。
昭和9年(1934年)に慶應義塾大学が日吉に大学予科することが決まるなどで注目を集めていた日吉村には、昭和8年に横浜市が合併を申し入れると、わずか1ヶ月後には川崎市も合併を申し入れてきた。
その後、村内では大揉めに揉め、4年もかかって最終的には矢上川を境に東を川崎市、西を横浜市に合併することで結論を見た。
ちなみに、川崎市は昭和4年に完成した新鶴見操車場(現在の新川崎駅付近と新鶴見信号場)によって小倉村が東西に分割されてしまい、西側への影響力低下を危惧していたともされている。
(参考文献:国立国会図書館デジタルコレクション所蔵「港北区史」港北区郷土史編さん刊行委員会, 1986、横浜日日新聞「日吉村にあった巨大貨物拠点、「新鶴見操車場」に焦点を当てた企画展」)
地図その2
OpenStreetMapで日吉駅から綱島駅間を見る。
さきほど紹介したふたつの踏切跡に加え、日吉1号踏切の北側にもうひとつ踏切跡があった。
日吉1号踏切から日吉4号踏切までは、平成12年(2000年)に完成した日吉・綱島間の立体交差化により廃止されたが、長福寺入口にあった日吉5号踏切は昭和33年(1958年)に廃止されており、日吉6号踏切から綱島2号踏切も綱島駅の高架化で昭和37年(1962年)までに廃止されている。結果、日吉から大倉山までの間には現在踏切はない。
崖
コーエイジェミニビルの下から綱島方向の崖下を見たところ。現在の東横線はそのまま高架線に移行するが、それまでは綱島に向かって下って行っていた。
地下道
崖下に下りたところに地下道があるが、道路が妙な形に凹んでいるあたりに東急新横浜線工事に伴って2016年に廃止された日吉第一架道橋があった。ここは元から架道橋で踏切はなかったようだ。
廃踏切
地下道と日吉1号踏切の間に西から斜めに線路に突き当たる道路があるが、昭和22年の地形図ではここに踏切が描かれている。
日吉1号踏切
線路東側の保育園脇から日吉1号踏切跡を見る。このあたりでは新横浜線が地下に潜っているため地上には空間がある。
日吉2号踏切
西側に銚子丸の店舗が見える日吉2号踏切跡。
県道
神奈川県道102号日吉元石川線は高架化後の開通なのでここに踏切はなかった。
日吉3号踏切
県道の綱島寄りにある車両通行止めの細道が日吉3号踏切の跡。
水路跡
次の架道橋も高架化後に道路が開通しており、かつては歩道部分にあった水路だけが線路をくぐっていた。
日吉4号踏切
綱島台の東側を回り込む道路が斜めに東横線をくぐっている場所に日吉4号踏切があった。
長福寺
綱島街道の長福寺交差点から西へ向かったところにある長福寺の入口。
昭和33年(1958年)に廃止された日吉5号踏切は東横線の西側にある長福寺本堂に行くための参道にあったらしい。東横線が高架化される以前は跨線人道橋を渡っていたそうだ。
弁財天
長福寺入口のすぐ南側には、池のある弁財天が祀られていた。
綱島跨線橋
弁財天から綱島街道に出ずに東横線の方へ向かうと綱島跨線橋がある。ここは横浜市三千分の一地形図「南綱島」(横浜市土木局, 1940)でもすでに跨線橋として描かれており、踏切ではなかった。
綱島古墳
跨線橋を渡って長福寺の裏山に上っていくと、頂上に綱島古墳がある。5世紀末の築造と推定されており、一見円墳に見えるが東側にわずかに張り出しがみつかったため、帆立貝型前方後円墳などである可能性もあるそうだ。
神明社
一方、東横線東側の綱島街道脇にある小山の頂上には神明社が祀られている。このあたりの山の上には神社が多く、古い街であることが偲ばれる。
日吉6号踏切
綱島駅北側にあったのが日吉6号踏切。写真左側には高架下に作られた綱島駅のバスターミナルがある。
綱島駅東口
綱島駅東口。高架化される前の綱島駅は北寄りにあり、改札口付近に綱島1号踏切があった。ここは先行して昭和36年(1961年)に廃止されている。
綱島2号踏切
もう少し南側、神奈川県道106号子母口(しぼくち)綱島線と東横線が交差する場所に綱島2号踏切があった。
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