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不動通りから上流側の前谷津川緑道を見る。
徳丸五丁目から六丁目に渡って、ほぼ東西に流れていた前谷津川が暗渠となった緑道を遡っていこう。
不動通りから前谷津川緑道を見る。緑道の両側に一方通行の道路が置かれているが、緑道となっている部分は昭和22年の空中写真を見てもすでに改修済みとなっている部分にあたる。
ここからの写真は2019/4/28撮影。
米軍撮影の空中写真(昭和22年/1947年)を見てみる。
点線は昭和11年の空中写真から推定した旧流路。現在の前谷津川緑道とはかなりずれているのがわかるが、不動通りから西側の上流部分は住宅地として再開発されてしまっており、旧流路をたどることはできない。
不動通りの東側になる下流部分はまだ
旧流路跡が残っている。
谷の深さからも流量が多かったと思われる前谷津川は、改修時にかなりの川幅があったのがわかる。現在では植えられた木も大きく成長し、きれいに整備された緑道になっている。
途中北側斜面に農地が残っているところを見つけた。
交差点で緑道の南側を見ると、緑道よりもやや凹んでいるように見える。土手を作るために少し盛り土されているのだろうか。
昭和22年の空中写真で整備された部分の西端あたりに、宮下大山不動明王の石碑がある。元は15mほど上流、現在徳丸通りが通っているあたりにあった宮下橋のたもとにあったそうだが、現在では上部の不動明王像が失われてしまっている。
徳丸通りは前谷津川緑道の上を陸橋で越えていく。徳丸通りにはここから少し南で西徳通りと交差する宮の下交差点があるが、宮は北側にある徳丸北野神社のことだろうか。北野神社は長徳元年(995年)創建と伝わる。
徳丸通りから西側の前谷津川緑道を見る。東側と異なり南側の道路がなくなっている。
ちょっと寄り道して、西徳通りから南側斜面の階段を見たところ。北側に比べると大きな落差になっている。
ウサギの置物が置かれている場所に、南側から合流してくる支流があった。
西徳通り側から支流の水路敷を見る。なぜか微妙に傾いた少年の像が入り口を守っていた。
西徳通りの南側にも水路敷が続いている。
すぐに水路敷は道路にぶつかって終わっていた。
その脇には青面金剛庚申塔が安置されている。享和2年(1802年)造立の庚申塔の脇にあるのは、大正4年(1915年)の銘がある道標。
そこから先は北野小学校に向かって支谷となっている。
支谷といっても、崖上との高低差はかなりある。