パステル宮の下は大谷口にある氷川神社の門前商店街という位置づけになると思われるが、石神井川から大谷口通り(旧大谷道)までつながっている。
大谷口の丘の上にある氷川神社。創建年代は不明で、延宝2年(1674年)には記録に見え、16世紀まで遡る可能性もあるという。
神社の西側は切り立った崖になっている。かつて大谷を流れる水が削っていったのだろう。
一方、パステル宮の下にぶつかったところで、水路の跡はしばらく辿れなくなる。
地形からすると、パステル宮の下を上っていくのではなく、動物病院の西側に回り込んでいたように思えるが。
ここからの写真は2017/5/6撮影。
上流側に回り込んで見た。西側を流れるエンガ掘のすぐそばに北に向かって下っている道がある。このあたりに水路があったのかもしれない。
その道を振り返った場所が向原団地前交差点。向原団地は今のコーシャハイム向原だが、交差点の名前は昔のままのようだ。
写真右側に見える商店街の途中にエンガ堀が流れており、このあたりで二つの流れは繋がっていたのかもしれない。
交差点を越えて進んでいくと、左に分岐する一方通行の出口がある。かつての水路はこちらだったらしい。
川筋らしい緩やかなカーブで左右に蛇行する道の途中には、突如道路と同じくらいの幅の路側帯が現れる。
水路の蛇行跡なのかどうか…
途中東側の崖を見る。崖の上に見えているのは大谷口二丁目児童遊園。
コーシャハイム向原を囲んでいる道が西側に曲がる場所。住宅の隙間に細い水路敷が残されている。
薄暗い道を抜けると、水路敷は不自然な上り坂になっていく。
どんどん上っていくと、先に出口があるようだ。
なんど、坂の途中に出た。正面は向原中学校の校庭で、そこだけが大きくえぐられたスリバチのようになっている。
その理由を探るには、周辺を見て回るしかない。ここで一度、コーシャハイム向原の北側まで戻ってみると、すぐ西側にももう一本、水路敷があるのが分かる。
実は最初に来た時には東側の水路敷を見逃しており、こちらから辿っていったのだが。
ここからの写真は2017/4/29撮影。
こちらの水路敷も上っていくが、東側の水路敷ほどの傾斜はない。