妙正寺川・井草川の水路敷群(井草川上流とその支流)その1
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今回は、井荻駅近くにある西山橋から出発し、上流端の切り通し公園まで支流も見ながら進んで行くことにする。
井草川が南北の二つに別れた場所のすぐ北側、井草区民事務所の脇に位置する西山橋。ここから井草川遊歩道を上流へ向かって行く。
井草川遊歩道には、全てではないがいくつかの橋跡に欄干を模した旧橋名を示すモニュメントが置かれている。
ここからの写真は2018/1/3撮影。
遊歩道を進んで行くと、西向きに曲がったところで道路と交差する。ここから
北へ向かう水路敷は以前探索しているので、今回は遊歩道をまっすぐ進んで行く。
しばらくは整備された遊歩道が西へ向かう。写真右寄りにみえる踏切マークは、井荻駅東側にある下井草4号踏切へ向かっていることを示す標識。
井荻駅の南側では、南側が崖になっている。北側は駅前の商店街「PONTE IOGI」あたりまで低地になっているようだ。
井草川遊歩道は、環状8号線に突き当たる直前からインターロッキング舗装となって一旦途切れるが…
環状8号線の西側にも、幅広いインターロッキング舗装の遊歩道が続いている。
途中で比較的状態の良い金太郎の車止めを見つけたが…
どう考えても車が来ない場所に設置されていた。(写真は上流側から撮影)
北側の道路に出たところで、遊歩道は公園脇の植え込みに阻まれて一旦終わっている。
公園の脇、植え込みの北側には水路敷が空間として残されており、西武新宿線と交差するところまで続いている。
井草川はここで西武新宿線の北側へ。交差する部分は第5妙正寺川橋梁と名付けられた鉄橋になっている。鉄橋の銘板は塗りつぶされてしまっていてよく読めないが、気になるのは製造年、西武新宿線の前身である合併前の旧西武鉄道村山線の開通は1927年(昭和2年)であり、1926年(大正15年)製であれば、開通当時の鉄橋がそのまま残っていることになる。
西武新宿線の北側に回ってきて、上流から線路方向を見たところ。川跡らしいややカーブした空間が残っているが、立ち入ることは難しそうだ。
道路から南側を見ても川跡は植え込みに隠されて見えない。上の写真は植え込みの脇から撮影したもの。
矢頭中橋の銘が残る交差点。矢頭町はこのあたりの旧地名(1963年の住居表示実施前まで)で、井草川が北に湾曲している谷頭であるからともいう。
上流側からみた矢頭公園。井草川遊歩道より高い位置にある。
矢頭公園の先で、北に向かって脇道が出ている。支流の水路敷と思われる。
一本北側にある道路で西を見たところ。妙に広い歩道の部分が、元の水路敷と思われる。
一方、ループの西側はいったん西の道路を超えて反対側から回り込んでみよう。道路を越えるところには、矢頭橋の銘があった。
こちらは北側の道路で旧に道幅が広がるところに出た。井草川の北側にぐるりと水路敷がループを描いている。
井草川本流に戻って進んで行く。分岐の先で再び南へ向かった遊歩道は矢頭上橋の先にある第6妙正寺川橋梁でもう一度西武新宿線を渡ることになる。
西武新宿線の南側に回って第6妙正寺川橋梁を見る。鉄橋の銘板を確認するのは難しいが、第5とほぼ同様の鉄橋がかかっており、同時期に作られたものである可能性は高いだろう。
写真手前のガードレールがある部分も、橋の欄干のように見える。
遊歩道の南側にある四宮森公園。公園の入口脇にあった由緒書きによれば、井草川は1981年(昭和56年)にはすべて暗渠化されたという。
さらに、上井草向山公園へ向かって遊歩道を進んで行く。
南に曲がったところにある四の宮中橋跡。四宮町もこのあたりの旧地名で、現在でも小学校や交差点の名称として残っている。
しばらく西へ進んだところで、上井草向山公園に向かう支流を発見。
支流の北側には非常に状態の良い金太郎の車止めが残っていた。
右手に上井草向山公園が見えるところに水路敷がたどり着いた。
上井草向山公園から西に向かって、かつては水路があったと思われる広い道路が伸びている。