Natrium's @lacoocan edition
石神井川周辺の水路敷群(中板橋・弥生町の水路)その3
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蓋
駅前に残されている蓋暗渠。残念ながら通り抜けることはできないようだ。
反対側
反対側まで回り込んで下流方向をみたところ。こちらからは入っていけないようになっていた。
駐車場
上流側は駐車場を回り込むように蓋暗渠が続いている。ここは通り抜けることができそうだ。
住居表示
住宅の間を蓋暗渠が通り抜けていく。
道路を渡る
やよい児童遊園のところで道路を渡るが、橋になっているのではなく蓋暗渠のまま渡っていく。
やよい児童遊園
やよい児童遊園のまわりを蓋暗渠が回り込んでいく。
階段
児童遊園南側の道は徐々に高くなっており、蓋暗渠はそこに上がるための階段にぶつかって消えてしまう。
その先は藪の中だが、おそらくは弥生小学校の中を流れていたのではないかと思われる。ちなみに弥生町という地名の由来はこの小学校名なのだそうで。
私道
弥生小学校の西側で私道扱いになっている水路敷を発見。
軒先
反対側に回って下流方向をみたところ。ここが蓋暗渠としては上流端となる。
行き止まり
上流側には行き止まりの道があるが、ここが水路敷かどうかはわからない。
豊敬稲荷
蓋暗渠上流端のすぐ南側に豊敬稲荷神社がある。「とようけ」「とよけ」「とよけい」「ほうけい」など読み方は正確に伝わっていないようだ。この道は下頭橋通りと呼ばれているが旧川越街道にあたり、このあたりは上板橋宿であった。地元の市神を江戸末期から明治初期に改めて建立されたものだと伝わる。
保育園
一度石神井川まで戻り、続いては遊泉園の跡を探しにいく。
田柄川下流域で紹介した水神宮の川向かい、住宅街になっているこのあたりに板橋遊泉園というブールが昭和2年(1927年)ごろ作られた(遊泳施設そのものは大正末期にすでにあったらしい)。中板橋駅はもともとそこへ客を運ぶための臨時駅だったという。しかし時は戦時下、昭和12年(1937年)ごろには廃止されてしまったというから短命に終わったということか。
その後蛇行する川筋もろとも埋め立てられてしまい、宅地化されて現在はまったく痕跡を見ることができない。
ここからの写真は2020/6/6撮影。
オレンジ
東武東上線の北側にあるオレンジ色に塗られた柵の向こう側には、当時の水路の名残らしきものが残されている。
溝
線路に沿って残る溝。側溝というには大きく深い。古地図ではここに水路があったので、それがそのまま残されていると考えた方がしっくりくる。
防災ひろば
最後に川越街道脇にある小さな谷を見ておこう。石神井川への出口はつながっていないが、川越街道脇にある防災広場あたりから谷が残っている。写真では小さくてわかりにくいが、奥には防災井戸が設置されている。
ここからの写真は2019/9/1撮影。
谷筋
大谷口北町交差点から北側へ向かってすぐ、ゆるやかにうねる谷筋がある。
萬福寺
谷頭には真言宗智山派の萬福寺がある。慶安4年(1651年)に入寂した法印覚雲の開山という。

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