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石神井川・高野台の水路敷群(愛宕神社〜光和小学校)その2
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地図
昭和34年(1959年)地理調査所発行1:10000「石神井」。
地図には、旧道からしばらくの部分は水路が描かれていない。
交差点
区民農園のすぐ先が、地図に水路が現れる交差点。
ユリノキ並木はここで終わる。
地図
ねりまっぷで昭和22年(1947年)当時を見る。
東側に道路はなく、西側はほぼ同じ位置に道路があるのが分かる。
旧水路
交差点から南側を見る。上の地図で水路が道路に合流してくるのが矢印のあたり。
そこから手前はやや道路が広くなっており、かつては水路だったことが想像される。
大木その1
次の交差点には大きな木が一本立っていた。
水路敷は、このあたりでやや低地になっているところを進んでいたようだ。
溝
高野台児童公園の向かい、水路敷北側の畑にあった謎の溝。
かつては用水路の支流だったのかもしれない。
大木その2
かつてはこのあたりにも並木があったようだが、現在残るのはこの大木のみ。
切り株
伐採された街路樹の切り株だけが残る。
五叉路
高野台三丁目と石神井町二丁目の境目にある五叉路で、水路敷は北にターン。
水路は病院の看板の左側の道を進む。
サミット
水路は道路の左側に沿いながら、富士街道を目指す。
高野台三丁目交差点
高野台三丁目交差点で富士街道を超える。
坂
2012/11/17に改めて高野台三丁目交差点を富士街道西側から見る。
交差点が谷間のスリバチ状地形になっているのがわかる。水路はこのあたりの谷あいを進んでいたのだろう。
高野台デイサービスセンター
アパートの間を抜けて北へ。
地図
アパート群の北側に位置する練馬区立むくのき公園。
かつての水路は、この公園をジグザグに通り抜けていたと思われる。
水路跡
むくのき公園を過ぎ、補助132号線側から公園を見ると、駐車場の奥にわずかに水路敷らしき痕跡が見つかった。
光和小学校
痕跡を見た場所から補助132号線を振り返る。左にあるのが光和小学校。補助132号線はこのあたりで最も土地が低くなっている。
水路は道路を渡って小学校の敷地内へ向かっていたはずだが、ここから先は完全に痕跡がなくなっている。
周辺の道路に比べ、小学校の敷地が降車の南側でなぜか低くなっているあたり、水路があったことを示しているのかもしれない。小学校のあたりは湿地だったということなので、水源となっていたのかもしれない。
富士街道
光和小学校の周りを回り込む形で富士街道へ戻る。
写真中央のあたりで、富士街道がいったん谷間になっていて、地形図でも、このあたりが谷頭だったことが推測される。
水路の上流端もこのあたりとされるが、痕跡はまったく残されていない。
この水路は田柄用水が石神井一里塚で北上するところから別れ、最後は石神井川の谷原三之橋まで流れていたという。田柄用水が増水したときに水を逃がしたのだという話もあるようだ。

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