昭和34年地理調査所発行の1:10000「下保谷」に等高線に沿って高低を分けてみた。
新川が流れる谷が大きく南北に蛇行する様子がよく分かる。
上の地図の上端には保谷駅があるが、そこに向かう手前で西向きに蓋暗渠が出現。
さて、この蓋暗渠に向かう前に、そのまま区市境の道を進んで保谷駅の方へ向かってみよう。
電柱と塀の位置関係がなんだかおかしい。区市境はねりまっぷを見るとこの塀に沿っているわけではないようだが、このデッドスペースは西東京市の看板があることから見て、西東京市側なのだろう。
このあたり、区市境以外にも水路敷かのような細い路地が縦横に走っているが、戦前から住宅街だったようで理由は分からない。自治体が異なるために、再開発の動きもないようだ。
戻って蓋暗渠を進む。住宅と農地に挟まれたここだけ蓋暗渠が残っているのは不思議といえば不思議だ。
そのまま進むと、蓋暗渠はかえで通りに突き当たって終了。
新川はここから南へ向きを変えていたはずだが、かえで通りはきれいに改修され拡幅されているのでまったく痕跡がない。
かえで通りから西東京市役所保谷庁舎へ向かう都道234号の支線(写真右)。「西東京都市計画道路3・4・11号練馬東村山線」という壮大な名前が付いているが、まだ供用されているのは770mだけだそうだ。
その計画道路が登りになっているのと比べると、左の道は登っていないのが分かる。こちらの道を進んで行く。
西東京市立東小学校の通用門へ向かう道。西東京市の道路地図では、通用門のところから校庭に向かって水路敷があることになっている。
東小学校の通用門。正面の通路が水路敷となっている部分だが、見た感じではまったく分からない。
体育館の南側へ。ガードレールのある部分に橋の欄干のような構造が残っている。西東京市の道路地図でも、手前の建物のところまでが水路敷となっている。
体育館の南側を進んで行くと、小学校の前で水路敷は南へ転進。Fの字の下の部分は小学校の敷地外になっている。
南に向かってみようとしたが、ガードレールの先は藪になっていて入ることはできない。
Fの字の根元まで来た。左の幼稚園と右の老人ホームの間に水路敷があるはずだが、こちら側は見ても分からない状態。
かえで通りへ戻り、南へ進む。天神山バス停の手前で住宅の間に新川の流路が顔を出している。この先、わずかに残る開渠があるのだが、それは次のページで。