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新川(白子川上流)の水路敷群(天神山〜谷戸小学校)その2
保谷新道
蓋暗渠は保谷庁舎前を通る保谷新道(都道233号東大泉田無線)の下をくぐるように抜けている。
遊歩道
保谷新道の西側、駐車場の脇を遊歩道となって進んで行く。
伏見通り
すぐに遊歩道は伏見通りにぶつかって、いったん終了。
続き
伏見通りの西側。トランクルームの脇をふたたび蓋暗渠が進んで行く。
カクカク
小綺麗に整備された蓋暗渠。
カーブ
その先で蓋暗渠は大きく南へ向かって曲がっている。
写真手前にわずかに見えている道路の先、北に向かう方も谷筋になっているが、水路敷ではなさそうだ。その先には、かつてアマヌマと呼ばれた沼があり、いまでも西東京市の道路地図では水路敷が残っている場所があるが、そちらの探索はまたの機会としよう。
道路脇
蓋暗渠は道路に突き当たったところで再び西向きとなり、道路の脇を進んで行く。
泉町水源
上の写真右側のフェンスは、保谷市第4号水源こと、泉町水源。最近になってきれいに整備された様子。
生垣?
生垣というには生い茂り過ぎた緑の壁の間を抜ける。
新品
緑の壁を抜けた先、分譲住宅の前だけ蓋暗渠が新品になっていた。
車止め
控えめな車止めの間を道路が跨いで行く。
開渠?
平成27年3月で閉校した泉小学校の北側で、蓋暗渠はいきなり終了となる。フェンスに囲われた部分は開渠だろうか。
蓋がある
残念ながら、一段下がった位置にはなるものの、やはり水路には蓋がされていた。
歩道橋から
都道36号保谷志木線の歩道橋から下流方向を見る。
この一角だけがかつての川の様子を残しているように見えるが、なぜ残ったのかは謎。
歩道橋下
歩道橋の下、ここだけ見れば普通の川のように見えるが、歩道橋の支柱はその川の水路に立っている。
西側
都道36号の西側は、歩道橋の階段を作るための場所として使われているが、そのまま水路敷が続いているようだ。
如意輪寺
都道36号脇に建つ光明山如意輪寺。真言宗智山派の寺院だが、明治25年(1892年)の火災で由来を示す文書が焼失したため創建年代などは不明という。
如意輪とは紀元前後に使われていた中期イラン語のひとつソグド語に由来するというが、実はこの寺の本尊は如意輪観音ではなく大日如来なのだそうで。
境内には「白子川を知っていますか」によればマツバ池という池があったという。
この写真のみ2016/8/21撮影。
歩道橋下
歩道橋の下はフェンスで立ち入れないようになっているが、しっかりと蓋暗渠が残っている。
外周
歩道橋の先もそのまま蓋暗渠になっており、如意輪寺の外周に沿って南へ回り込んで行く。
裏門
ふたたび進路を西に変えたところで、道路と合流し如意輪寺の裏門に出る。
側溝
そのまままっすぐ道路脇の元側溝が続いている。
道路冠水につき
途中、物騒な看板と出会う。暗渠が下水道を兼ねているのか、近辺が窪地なせいなのか、大雨の時は注意が必要なようだ。
合流
ふたつ上の写真で正面に写っている突き当たりで、左右(南北)から二つの蓋暗渠が合流していた。
どちらが本流なのかはよくわからないのだが、まずは右(北)側の水路を進んでみることにしよう。
新川(北)
北側の流路は合流点のすぐ先で西へ転進している。
横断者に注意
鎌倉時代から残るという横山道との交差点。ここでも横断歩道が水路上に描かれており、「横断者に注意」の看板のある路地が水路敷の続きになっている。
このあたり、「白子川を知っていますか」によれば水路の北側に弁天池という池があったというがそれらしい痕跡は見当たらない。
東禅寺
ここで横断歩道を右に曲がってちょっと寄り道。このあたりには保谷四軒寺と呼ばれる4つの寺院があり、さきほど如意輪寺とこの東禅寺もそのひとつ。
文禄3年(1594年)に開山された曹洞宗の寺院。この寺を開基したのは保谷出雲守直政と伝わり、現在でもこのあたりには保谷さんが何軒もある。もっとも、地名については保谷氏が名乗る以前から穂屋などの記述がみられるそうで、このあたりが実り豊かな場所であったことを伝えているようだ。
尉殿神社
さらにもう少し進んで、都道36号と再会するところにあるのが尉殿(じょうどの)神社。元は尉殿権現といい上保谷村の総鎮守で、水の神たる倶利伽羅不動明王と、風の神たる級長津彦(シナツヒコ)命を祀っていたという。
水路敷?
東禅寺の西側にある、ひばりヶ丘中学校の敷地の端に怪しい空間を発見。覗きこむと側溝のようなものが見えるのだが、新川に向かう水路があったのだろうか。
続き
さて、戻って新川(北)を進もう。横断歩道の先は、アーチになった木立をぬけて進んでいる。
橋
かつては民家の入り口にかかっていた橋だったと思われるものが、蓋暗渠と一体になって残っている。
階段
じょじょに南側との段差がついて、階段が必要なレベルになっていた。
橋?
クネクネとした蓋暗渠を進んで行くと、ひばりヶ丘駅へ向かう道路と交差する場所に出る。橋の欄干のような構造が残っているが、柵が両側で異なったデザインなのはなぜだろう。
手前の錆びた箱のようなものは中身が見えていたが、どうやらかつては樋門のゲートを開閉するためのハンドルがついていたのではないかと思われる。バーティゴさんに教えていただいたところでは水路を渡る送水管に取り付けられた調圧弁(背圧弁)であるとのこと。
ポンプメーカーのサイトを見てみましたが、弁を抑えている力以上の圧力が掛かると水が流れる仕組みで、バーティゴさんの情報によれば川を渡る水道管に異常な圧力が掛かった時に水を川に捨てて配管を保護するためのものだそうです。情報ありがとうございました。
地図その3
OpenStreetMapで如意輪寺から谷戸小学校までを見る。
現在進んでいるのは写真中央下を東西に進む新川の北側流路。そのさらに北側にも新川の支流とおぼしき水路が見えるが、こちらも機会を改めて探索してみたい。
北へ行く道
新川を渡る橋の跡から、ひばりヶ丘駅方向を見る。かつてはこの道路に沿って水路があったらしく、途中ところどころそれらしい遺構も残っているのだが、探索はまたの機会として、写真左の新川を進んで行くとする。
続き
さて、新川の続き。欄干部分に柵があるが、その脇が通路になってしまっており、普通に通路として利用されているのがわかる。
階段と通路
このあたりでも南側とはそこそこの段差がある。階段の先は通路状の路地になっていた。
行き止まり
その通路を出て西を向いたところに、不思議な行き止まりを発見。いかにも普通に繋がっている道路が一箇所だけ封鎖されていて自動車は通り抜けれられない。
谷戸一丁目第1公園
行き止まりの北側、新川との間には谷戸一丁目第1公園がある。このあたりは、「白子川を知っていますか」によればツルマの弁天池と呼ばれる池があったとされる場所に近い。
北側
新川の蓋暗渠に回って北側から公園を見る。かなりの高低差があり、擁壁が土圧のためか若干オーバーハング気味になっているのが気になる。
奥行き
その先はしばらくのんびりとした雰囲気の蓋暗渠が続く。
谷戸幼稚園の裏に出た。
境界標
幼稚園の敷地との境界には、田無市の境界標があった。このあたりは、旧田無市の領域に入っていたのだ。保谷市との市境はかつて住吉町と谷戸町の間にあり、谷戸町は田無市の一番北端の町だった。
たなし
反対側にはひらがなで「たなし」と書かれた古そうな境界標が。
上流端へ
幼稚園の裏を抜け、上流端へ向かって蓋暗渠を進んで行く。
起点
コンビニの裏で蓋暗渠の出発点にたどり着いた。向こうに見えるのは都道112号(谷戸新道)だ。
出発点
谷戸新道から新川の最上流部を見る。
谷戸新道
コンビニの前から谷戸新道のひばりヶ丘駅方向を見る。もともと新川は谷戸新道が開通する前にあった水源から流れ出していたらしいが、現在ではその跡はわからなくなっている。
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