Natrium.jp
白子川周辺の水路敷群(百々向川)その1
百々向川
OpenStreetMapで旧白子川緑道から成増駅に向かって伸びている古い支流である百々向川の下流部分を見る。
「すずむきがわ」と読むが、百々女木川と書いて「すずめきがわ」と呼ばれていたこともあったようだ。成増駅北側には「百々女木坂」と呼ばれる坂もある。
金沢に「百々女木」という古い地名があるが、こちらは「どどめき」。いずれにせよ、等々力や轟のように川の水がゴウゴウと流れる場所につけられる地名らしい。
実際、光が丘の台地から、結構な勢いで下ってくるこの川を遡ってみよう。
 
(補足)百々向川下流部の左岸側に「百向」という字名があったらしい。読みはなぜか「ずうこう」で、百光、瑞光の転訛ともされる。そういえば成増北口通りには瑞光橋というバス停があった。和光市側にある地福寺の故事から来ているともいう。また、成増駅方向の上流部を谷津田川ないし「やすだ川」と呼んでいたという話もあるようだ。
(参考)ミツカン水の文化センター 第7回里川文化塾
 
(追記)地元議員のページなどでは地元の方は「ずずむきがわ」と呼んでいるとしており、読み方はどれが正解なのかは難しいところ。
成増五丁目公園
湖池屋の向かい、自然の崖がそのまま公園になっている成増五丁目公園からスタート。
このページの写真は特に記載のない限りいずれも2016/5/3撮影。
階段
公園の南側にはかつて「こどもの遊び場」という広場があったのだが、現在は看護学校が建っている。
その看護学校の南側の道路、突き当りが階段となって崖を登っていくのが分かる。この高低差を覚えておいてもらって…
川筋
すぐ南隣にあるのがこの百々向川。さっきの高低差はどこへ行ったというぐらい平らな川跡の緑道が続いているが、要するに百々向川がこれだけの高さを削り取って谷を穿ったということなのだ。
緑道
そこそこ整備された百々向川緑道を進む。
谷
緑道と道路の交差点から東側を見てみる。ここもなかなかの階段で、百々向川が大きな谷になっていることが分かる。坂の上には菅原神社がある。
ちなみに、西側にはほぼ並走する成増北口通りがあり、こちらはこちらで別の谷になっているのが後で分かる。
カーブ
川筋は、さきほどの崖に向かって左にカーブを切る。
合流
川筋は今度は右にカーブして、天神下公園に向かう道路の下に合流する。このあたりから、緑道はかなりの勢いで登っていくあたり、川だった頃にはそこそこ急流だったのではないかという気がする。
天神下公園
左の森が天神下公園。百々向川緑道は写真右のインターロッキング部分にあたる。
成増北口通り
ここで少し寄り道して、西側の成増北口通りを見てみよう。こちらはバスも通り比較的広い通りだが、こちらも成増駅に向かって谷筋になっている。
西側
成増駅へ登っていく成増北口通りの西側は、結構な階段のある崖地になっている。一見、ここから天神下公園までのひとつの谷間に見えるのだが…
東側
実は東側も急崖。成増北口通り自体がV字谷だったのだ。
崖上から
崖の上から天神下公園の方を見る。間にあるV字谷が百々向川。
崖下
崖下からの眺め。奥の道路が恐ろしい角度で右(西)に登っていくが、これだけの高低差を登って下りてという台地の末端部がここにあるというわけだ。
並走
天神下公園に戻り、緑道を再び進んでいく。左の道路は徐々に上り坂となっていき、緑道と高度差が出てくる。
階段を上る
天神下公園と別れた百々向川は、なんと階段で崖を駆け上がっていく。こんなところに滝があったようには思えないのだが…
階段上から
階段の上から白子川方向を振り返ると、見事なV字谷を一望できる。
とはいえ、この階段は地形としてはあまりに不自然だと思うのだが。
また下る
その答えは階段上の道路を渡った反対側にあった。なんど今度は一気に階段で谷底までご案内。
どうやら、ここは元の川筋を橋で越えるのではなく、谷を埋め立てて道路を通したということのようだ。
(追記)この看板では「すずむきがわ」と書かれているのだが、最初の「す」に濁点を書き足そうとした跡が…
谷底から
谷底から上を見る。埋め立てられた人工台地はそれなりの広さがあり、そこになります児童館とマンションが建てられている。
谷緑道
ダムのような人工台地を背に、緑道は再び谷底を進んでいく。
水路敷
交差点の先、百々向川に向かって赤塚第二中学校から階段脇を落ちてくる水路敷が残っている。
この写真は2020/9/26撮影。
また階段
で、川筋の方はまた階段。
また下る
そしてまた階段を下る。どうやら、谷の高低差がありすぎて、左右の台地を結ぶのに橋を架けるという選択肢にならなかったようだ。
スリバチの底
階段を下りて、成増駅方向を見る。前後左右を崖に囲まれたこの一角はまさにスリバチの底になっているが、ここにも住宅があり人が住んでいる。
スリバチ
三たび階段を上って振り返る。左の家並みが谷底で、細くて深い谷間がそこにはあった。
窪地
階段昇降はさすがに終わりで、その先は西友成増店というか成増アクト1裏の窪地が谷底だったと思われる。
1961年
全国Q地図の東京都3千分の1地図(1961〜1962年)を見ると、実際には川筋は谷底ではなく前の写真右側の道路脇(成増駅寄り)を流れていた。
国会図書館所蔵の「成増駅北口第二地区第一種市街地再開発事業の概要(板橋区都市整備部, 1998.3)」によれば、現在2車線道路になっている西側車線のあたりが水路敷であった。
西友成増店
西友成増店の駐車場入り口あたりが谷底になっているが、百々向川は写真手前を横切って西友の中を通り抜けていたらしい。
成増駅北口
前の写真手前側に成増駅北口がある。南口は台地の上にあるので、地下1階の谷底から地上3階の台地上まで、およそ10m内外の高低差があるのだろう。
蓋
踏切を渡ってちょっと寄り道。成増駅西側の東上58号踏切を渡ってすぐ、パチンコ店の脇と成増駅南口の旧貨物ヤードとの間、自転車駐車場に沿って蓋暗渠がある。成増駅南口は駅ロータリー側が台地で駅舎方向は谷になっており、どこかに湧き水があって駅北側の百々向川に水を流していたのかもしれないが、そもそもどちら側が上流なのかよくわからない。
この写真と次は2022/5/28撮影。
線路脇
東上58号踏切と59号踏切の間、線路南側に沿って蓋暗渠が続いているようだ。
by Natrium