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田柄用水(西本村の支流)その1
地図
ねりまっぷで北町から平和台二丁目近辺を見る。
このあたりでは田柄川は緑道として残っているが、その北側を走る旧川越街道に田柄用水から流れていた水路があったともされ、北町一丁目と二丁目の境で平和台から流れてくる水路が合流していたらしい。
もっとも、この辺りは非常に平坦な土地柄なので、どちらが上流なのか正直わかっていないのだが、今回はとりあえず平和台駅近辺が上流端と考えて遡っていくことにする。
道標
今回たどる水路跡よりも東側、旧川越街道が環状8号線北町若木トンネルを跨いでいる場所に大山道の道標が残されている。
もともとこのあたりに旧川越街道から現在環状8号線になっている富士街道(ふじ大山道)の分岐点があり、それを示す道標が置かれていたのだそうだ。
ここからの写真は2018/2/10撮影。
下練馬宿
そこから西側の旧川越街道沿いは江戸時代には下練馬宿の中心として栄えたところ。当時もこんな道幅で、道の脇には水路が流れていたのだろうか。
通行止め
街道に足を踏み入れてすぐ、畳店の脇に南へ向かう通行止めの路地を発見。水路敷のようにも見えるが、私道なのかもしれない。
路地
その先、たこ焼き店の脇を南に向かう細い路地。これは水路敷だろうか。
狭い
細い路地を南に進んでいく。
ランドリー
ランドリーの前に出た。
田柄川へ
ランドリーの脇に、田柄川に向かっていく水路敷らしき道があるが、民家に阻まれて田柄川緑道とはつながっていないようだ。
写真奥に見える歩道橋は田柄川緑道が環状8号線を越えるためのもの。
浅間神社
旧川越街道に戻って下練馬駅に向かったところにある浅間神社。なぜか手前の鳥居の扁額は富士嶽神社となっている。写真奥、社殿の左には廃踏切を探せ東上30〜40号踏切で紹介した下練馬の富士塚がある。
このあたり、旧川越街道から東武東上線に向かって結構高低差のある崖地になっているが、東武練馬駅の北側も北に向かってさらに大きな崖があり、石神井川水系の田柄川と、新河岸川水系の前谷津川の分水嶺となっている。
分かれ道
さて、それでは浅間神社から少し西側に戻って、歯科医院の脇から上流に向かって南に進んでいこう。
カーブ
緩やかなS字カーブが川跡っぽさを醸し出しているような気もするが…
田柄川緑道
途中、田柄川緑道と交差する。この水路が自然河川だったころはここで終わっていたはずで、旧川越街道に向かっている部分は人工的な水路だとすれば、別に微妙にカーブさせる必然性はなかったと言える。
徳川綱吉御殿跡
ところで、前の写真に写っている寛永通宝をかたどった石碑は「徳川綱吉御殿跡の碑」というものだった。
写真左に写っている北町小学校のあたりは徳川家の鷹場で、館林藩主だったころの綱吉が寛文年間(17世紀後半)に鷹狩御殿を建てた場所といわれる。
直線
石碑の先は直線的に川越街道を越えて環状8号線の陸橋まで続いている。西側には自衛隊の官舎があったのだが、建て替え中なのか大半が更地の状態だ。
ドンキ
川越街道に出て、ドン・キホーテ練馬店を横目に環状8号線へ進む。右側は陸上自衛隊練馬駐屯地になっている。昭和5年(1930年)に陸軍造兵廠練馬倉庫として開設された施設だ。
環八
ドン・キホーテの駐車場入り口越しに環状8号線が見えてきた。もともとは富士街道と呼ばれ、川越街道から分かれて富士山に向かう巡礼の道だった。

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