土支田農業公園は、実習を通して農業を学ぶ施設と公園が併設されている。
水路敷は農業公園の西側に続いている。
ここから写真右側に向かって枯れ川の谷が橋戸新田公園を目指していたようだが、痕跡はわからない。
橋戸新田公園。
(この写真は2012/5/6撮影)
枯れ川はこのあたりから始まっていたという。
土支田通り、大泉二丁目バス停付近から、谷頭(こくとう)があったとされる場所を見る。
写真奥の華屋与兵衛とグラッチェガーデンズの間が低く落ち込んでおり、そのあたりが谷頭と思われる。
左側には白子川に落ちる崖があるので、写真を撮影しているあたりは分水嶺といえなくもない。
再び土支田農業公園からの水路敷へ戻る。
公園を出ると、路地裏の水路敷が続く。
路地裏から、きれいに植え込みが作られた場所に出る。
このあたりで水路は緩やかに南へターンしていく。
水路が南を向いたところでやや大きい道と交差する。
ここから、水路は大きく東(写真では左)へ転回して地蔵通りに向かって元来た向きに戻っていく形になる。
S字カーブの中央付近。
右側(南側)が1m近い段差があって、南方向は台地状になっている。一方、この先では左側も1m近い段差になる部分があり、このあたりは枯れ川ではなく人工的に掘削した可能性が指摘されている。
土支田創生苑の裏側(南側)を下流方向に見る。左側(南側)の段差がよくわかる。右側は植え込みでよくわからないが、土支田創生苑の敷地とは段差がある。
東鋼管工業とスカイハイムドシダの間はやや広くなっている。そこを抜けていくと、再び地蔵通りが見えてくる。
水路敷と地蔵通りの交差点を北向きに見る。
(この写真は2012/5/6撮影)
道がカーブしているため、先ほどとおってきたS字カーブの上辺はほとんど見えない。
水路敷はいったん道路の下に吸収されるが、すぐにシンメトリックなY字路で復活する。
左が水路敷だが、右側もいかにも川らしくゆるやかなカーブを描いており、昭和14年の地図では右が水路だったようにも見える。
Y字路の先で、水路はまたしても南へターンし、三度地蔵通りを目指す。
右側から南向きに出てきた水路敷は、古くから地図にある道にぶつかって西に向きを変える。
ここから少しの間は、道路の南側を進んでいく。