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田柄用水(笹目通り〜石神井一里塚)その5
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直角
コンクリート製の蓋の上は歩道として使われており、そこを進むと住宅地にぶつかったところで水路敷は西に曲がっている。
裏道
上の写真右端で水路敷は南に進路を変え、宅地の裏道として目白通りへ向かう。
目白通り
目白通り三軒寺交差点の少し西側、関越自動車道練馬出口脇の、写真中央にあるマンション手前の緑の柵があるところ(わかりにくいが)が水路敷。
ここで田柄用水は目白通りを乗り越えることになり、いったん流路がわからなくなる。
地図その2
昭和34年(1959年)地理調査所発行1:10000「石神井」より目白通りから大泉通り(清戸道)までのルートをたどる。
三軒寺交差点の西側で目白通りにぶつかる用水路は、南側では少し西に移動したあたりから斜めに目白通りの下に入っているようだ。
斜め
三軒寺歩道橋から練馬IC方向を見る。側道側に立つマンション群が、道路と並行ではなくやや傾いて立っているのがわかるかと思うが、ちょうどその隙間に水路敷の上流部がある。
上流部
コンテナスペースの先に現れる水路敷を示す緑の柵。
マンション裏
マンション裏手から住宅地に向かって水路敷は進む。
転回
水路敷は三原台駐車場にぶつかるところで南に進路を変える。
この辺りは古い字名が韮窪といい、やはり窪地であることを示す地名になっている。
もともとの枯れ川は、ここでは直進して三原台中学校の南あたりまでの谷になっていたらしい。
谷頭?
三原台中学校の南。南向きにゆるやかに斜めに下っていく道があるが、このあたりが韮窪の谷頭だったのだろうか。
中央分離帯
戻って水路敷を進む。ここからは、中央に植え込みのある広い敷地となっている。
クランク
途中クランク上に水路敷は曲がるが、南へ進むことは変わらない。
水路敷終端
クランクの先、住宅地の真ん中で唐突に水路敷は終わっている(下流に向かって撮影)。
ここからは、しばらく水路としてはわからなくなる。
東へ
水路敷終端を西側から見る。
(ここからの写真は2012/5/6撮影)
水路敷よりも手前の部分が凹んでスリバチ状になっているのがわかる。写真に写っていない右へ進む道路もスリバチ状になっており、地形的にはこの辺りが谷頭のようだが、地形と関係なく田柄用水は写真奥のほう(東)へ進んでいく。
鴨下米穀店
突き当りにある鴨下米穀店。
水路はここの北側を通って、屋敷の裏を南へ転進していた。
鴨下家は大正時代に千川用水沿いからこの地へ移ってきたそうで、精米ではなく精麦を行っていたらしい。
鴨下米穀店跡
2015/11/14に撮影。鴨下米穀店の看板がなくなっており、北側にあった住宅が更地になったためその間にある水路敷が見えている。写真中央から奥に向かって細い蓋暗渠が写真奥の崖まで続いているが、その先は失われているようだ。
工事図
2016/4/16に同じ場所を訪れた時には、工事図が掲示されていた。図面にははっきりと「水路敷」が描かれており、一部はすでに廃止水路(水路としての用途は廃止して払い下げを受けた土地)となっていることが分かる。
上の写真の蓋暗渠というか側溝と公図上の水路敷の位置は異なるようで、上の写真でも水路敷の跡は確認できない。分譲住宅化されると、新設道路がほぼ水路敷の上に敷かれる形となるようだ。

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