ちょっと進んだところになんと開渠を発見。すぐ奥で行き止まりになっているようだが、大きな石で装飾されていて、この辺りではかなり異彩を放つ場所だ。
余談だが、近くでみつけた小さな白い馬頭観世音塔。私道かもしれない場所にあったので場所の特定は避けておく。花崗岩らしき白い石に彫られているのは珍しい気がする。きちんと守られているようなので、そっとしておこう。
水路敷に戻って田柄川緑道へ出たところ。緑道の北側は普通の道路になっていて痕跡はわからない。
その近くには、昭和53年(1978年)に田柄第三小学校が設置したという扁額が残る怪獣のモニュメントがあった。田柄三小は2010年に光が丘七小と統合されて光が丘秋の陽小学校となったので現存しない。きれいに塗り替えられており、地元では大事にされているようだ。
田柄通りに戻ってさらに西へ。マンションの脇にきれいな鳥居のある小祠がある。この右側の道も水路敷であるようだ。
北へ向かう道はしばらく普通の道路がつづくが、電気店の脇から水路敷となり、メトロステージS光が丘という東京メトロ所有の賃貸マンションの北側までは車では通れない。
東京メトロの自己主張が…
さらに西。田柄通りの練馬田柄郵便局脇からも、水路敷が北に向かっている。
この水路敷は比較的人が通っているようできれいに整備されている。途中、古い農家のものとおぼしき屋敷森を眺めることができるが、水路敷そのものは1ブロックで終わってしまう。かつては田柄川緑道に向かって伸びていたようだが、痕跡は見当たらない。
北側に回り込んだところに、田柄川緑道の起点があった。
起点側から田柄川緑道を東向きにみる。
反対側には武蔵野の風景を再現したという秋の陽公園が広がる。かつての田柄用水は写真奥に見える光が丘清掃工場のほうに向かっていたようだが、この辺りでは光が丘団地に飲み込まれてしまい、流路を追いかけることはできない。写真右奥のあたりが、東武啓志線の終点だったと思われる。
笹目通りに向かう前にちょっと寄り道。田柄通りの小祠の向かい側には、不自然な直角三角形のような場所がある。その直角のあたり、民家の間にまったく目立たないが細い路地がある。
ここからの写真は2013/5/3撮影。
どうやらこれも水路敷。
途中、水路敷はカーブしながら進んで行く。足元はマンホールだらけだ。
木々の隙間を出てきたところで東を向いてみる。
道路の反対側にも水路敷は続いているが、写真奥、マンション下の崖で唐突に終わっていて、西側の道路にはそれらしい出口はない。地形から見ても、谷頭だったのかもしれない。
さきほどの道路から田柄通りに出たところに、無造作に置かれた数体の石仏があった。写真左下の地蔵尊には寛文13年(1673年)の銘があった。
この写真は2020/6/28撮影。