谷端川と周辺の水路敷群(中丸川)
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中丸川周辺を見る。
「板橋の地名」(板橋区教育委員会発行、1995年)によれば、幸町に発し谷端川まで東西に流れていた川を地元で中丸川と呼んでいたという。
二つある支流も含めてたどってみたい。
谷端川との合流地点から西へ向けてスタート。
ここからの写真は2017/11/19撮影。
山手通りの西側。大山金井町と熊野町の境目に水路敷が続いている。
学習塾(と看板に書いてある)に突き当たったところで、水路は南へ転進する。
南に向かって、水路敷跡にありがちな妙に幅広い道が。
突き当たったところで、写真中央右側に見える祠の右側へ。
こんどはやたらと幅の広い歩道が現れる。おそらく道路の右側に水路があったのだろう。
そのまままっすぐ、川越街道の中丸町交差点へ向かう。
中丸町交差点を川越街道池袋よりから見る。交差点付近が微妙な谷底にあるのがわかる。
中丸町交差点の西側は「さいわい通り」と名付けられた広い片側一車線道路になっている。そのままさらに西へ進んでいこう。
右折して北側を見ると、片側だけ不自然に広い道路があった。どうやらここが水路敷なのだろう。その先のやや窪んだ部分、道路が狭くなるところで水路は西に向かっている。
一方、南側から先程の交差点を見ると、手前側にも道路幅が広い部分がある。こちらにも支流の水路敷があるようだ。
実は、最初気がつかず、あとで空中写真を見ていて南西へ斜めに進む空間を見つけ、再訪して分かった部分だ。ブルーマップでも、途切れ途切れだが水路敷が取り残されている様子が確認できた。
とりあえず先にこの支流へ寄り道してみよう。
ここからの写真は2017/11/23撮影。
道路が狭くなる場所で、松の木の向こうに南西方向へ向かう蓋暗渠を発見。入って行くことは出来ないので、反対側に回ってみる。
四角い住宅街の区画を斜めに渡って西側の道路に現れた水路敷。
振り返って上流側を見る。水路はそのまま道路を横切って南西へ行くのではなく、いったん道路に沿って南へ向かい、ふたたびすぐに道路から西へ分かれているようだ。
トタンで塞がれていて中は伺えないが、奥の建物は道路に対して壁が斜めになっており、水路の存在が想像される。
そのまま南側の路地に入ってみると、水路敷としての形跡はなかったが民家の境界が点線に沿って斜めになっており、かつては水路があったのではないかと思わせる。
もう一歩南側の路地でも、同じように境界線が斜めになっていた。
さらに南側の道路。マンション脇の壁沿いに水路敷らしき空間が残っていた。どうやら、ここが支流の上流端らしい。
さて、それでは改めて本流の遡上を再開しよう。西へ向かって伸びる水路敷を進んで行く。
ここからの写真は2017/11/19撮影。
塀の間を抜けて行くと道路と交差し、さらに水路敷が続く。
ところで、上の写真の交差点で北を向いてみる。ここから北へ向かってもう一つの支流があったという。今度はこちらに寄り道してみよう。
いかにも川筋らしいクネクネした道だが、いったん板橋二中に突き当たったところで川筋が辿れなくなる。
小学校の北側、更地になった民家と駐車場の間に北へ伸びて行く溝を発見。どうやらこれは水路敷らしい。
その先はマンション敷地に入ってしまうので、北側へ回ってみる。
さらに北側の道路は千川上水。塀と塀の間に微妙な空間が残されているが、ここが分水口なのかどうかはよく分からない。
ところで、板橋二中の北側で見つけた溝の東側にも、水路敷かと思える細道を発見。しかし、この道は行き止まりだった。
さらに東側に、水路敷の可能性がある小道がある。ここは千川上水まで繋がっているようだ。
ここからの写真は2017/11/23撮影。
しばらく進むと、さきほどのマンション北側の道が突き当たるあたりから先は自動車が通れない幅になっていく。
すこし上り坂となっている場所を抜け、千川上水にたどり着く。
そこから少し東寄りに、千川上水の水神様が祀られていた。
玉川上水の分水である千川上水は、元禄9年(1696年)の開通とされ、西東京市から駒込、本郷、湯島まで水を運んでいたという。
昭和45年(1970年)までに大半の流域が暗渠化されたが、
西武新宿線の上井草2号踏切付近には、開渠が残されている。
さて、本流へ戻り、いよいよ上流端へ向かって行こう。水路敷はしばらくの間、西へ向かってほぼ一直線に進んで行く。
ここからの写真は2017/11/19撮影。
日も暮れかかった頃、ようやくマンションに突き当たった。
そこから少し広くなっている道路を南へ進み、板橋区と豊島区の区境になっている場所で水路敷らしき草叢を見つけたが、入って行くことは出来ないので南へ回ってみるしかない。
日が暮れてしまったので改めて続きを探索。さいわい通りまで戻って西へ進んで行くと、空き地の向こうにある塀の手前に水路敷らしき空間が見えた。
この場所はGoogle Mapで見ると2016年にはまだ家が建っていて見えていない。
ここからの写真は2017/11/23撮影。
西側の小道に回ってみると、分かりにくいが矢印のあたりに蓋暗渠が残されているようだ。
いったんさいわい通りに合流した水路は、再び分かれて北寄りの路地に向かっていたと思われる。
千川上水へ到達。ここが中丸川本流の上流端と思われる。
千川上水の脇には、柱の陰に青面金剛庚申塔が置かれていた。
で、その庚申塔の隣、犬小屋の前に置かれていた謎の台座。片足だけ残っているのだが、いったい何の像が置かれていたのだろうか。
鉄筋が見えるところから古いものではないと思うが、謎だ。