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鵠沼1号〜湘南海岸公園6号踏切

OpenStreetMapで境川から江ノ島駅までを見る。
片瀬海岸に近いこの付近には開業当時から5つの駅(昇降場、停留場。臨時停留場がもうひとつ設置されたことも)があったが、駅間距離は最短で107mしかないところもあり昭和23年(1948年)までに湘南海岸公園駅と江ノ島駅を除いて順次廃止されていった。
もっともそこに至るまでに利便性や距離の調整で停留場は移転を繰り返しているため、地図が非常に分かりにくくなっているがご理解いただきたい。
なお、昭和18年(1943年)の資料には踏切名称が記載されているものがあるが、現在と異なり当時の駅名を基準に付番されているため地図では括弧内に記載した。
そのほか、江ノ電の非公認踏切などに関する撮影スタンスなどは藤沢1号〜柳小路3号踏切のページを参照されたい。
片瀬海岸に近いこの付近には開業当時から5つの駅(昇降場、停留場。臨時停留場がもうひとつ設置されたことも)があったが、駅間距離は最短で107mしかないところもあり昭和23年(1948年)までに湘南海岸公園駅と江ノ島駅を除いて順次廃止されていった。
もっともそこに至るまでに利便性や距離の調整で停留場は移転を繰り返しているため、地図が非常に分かりにくくなっているがご理解いただきたい。
なお、昭和18年(1943年)の資料には踏切名称が記載されているものがあるが、現在と異なり当時の駅名を基準に付番されているため地図では括弧内に記載した。
そのほか、江ノ電の非公認踏切などに関する撮影スタンスなどは藤沢1号〜柳小路3号踏切のページを参照されたい。
参考資料:
・国立公文書館所蔵
- 「停留場廃止の件」(江ノ島電氣鐵道, 1931)
- 「臨時停留場設置の件」(江ノ島電氣鐵道, 1931)
- 「臨時停留場廃止の件」(江ノ島電氣鐵道, 1931)
- 「石上外八停留場廃止の件」(江ノ島電氣鐵道, 1931)
- 「停留場廃止及位置変更の件」(江ノ島電氣鐵道, 1940)
- 「停留場変更の件(停留場設計変更認可並に特別設計許可申請)」(江ノ島電氣鐵道, 1943)
- 「停留場廃止」(江ノ島電氣鐵道, 1948)
・国土地理院Webサイト
- 「昭和21年空中写真」(米軍撮影, 1946)
- 「昭和38年空中写真」(国土地理院撮影, 1963)
・藤沢市立総合市民図書館所蔵「藤沢市明細地図 第3輯 昭和40年」など(明細地図社, 1965)
・国立国会図書館デジタルコレクション所蔵「江ノ電讃歌」(吉川文夫, 1985)
・「グラフ江ノ電の100年」(江ノ島電鉄, 2002)
・鎌倉市立中央図書館所蔵「知られざる江ノ電踏切の謎」(武相高校鉄道研究同好会, 2016)
注:本書では非公認を含め踏切数を111としているが、10年前の資料であり現況とは一致しないものがある(本書の111ヶ所については今回現況確認を行った)。
・ひこねの駅研究所(廃止された停留場の位置について参考とさせていただいた)
・江ノ電公式サイト「当方見聞録」
・国立公文書館所蔵
- 「停留場廃止の件」(江ノ島電氣鐵道, 1931)
- 「臨時停留場設置の件」(江ノ島電氣鐵道, 1931)
- 「臨時停留場廃止の件」(江ノ島電氣鐵道, 1931)
- 「石上外八停留場廃止の件」(江ノ島電氣鐵道, 1931)
- 「停留場廃止及位置変更の件」(江ノ島電氣鐵道, 1940)
- 「停留場変更の件(停留場設計変更認可並に特別設計許可申請)」(江ノ島電氣鐵道, 1943)
- 「停留場廃止」(江ノ島電氣鐵道, 1948)
・国土地理院Webサイト
- 「昭和21年空中写真」(米軍撮影, 1946)
- 「昭和38年空中写真」(国土地理院撮影, 1963)
・藤沢市立総合市民図書館所蔵「藤沢市明細地図 第3輯 昭和40年」など(明細地図社, 1965)
・国立国会図書館デジタルコレクション所蔵「江ノ電讃歌」(吉川文夫, 1985)
・「グラフ江ノ電の100年」(江ノ島電鉄, 2002)
・鎌倉市立中央図書館所蔵「知られざる江ノ電踏切の謎」(武相高校鉄道研究同好会, 2016)
注:本書では非公認を含め踏切数を111としているが、10年前の資料であり現況とは一致しないものがある(本書の111ヶ所については今回現況確認を行った)。
・ひこねの駅研究所(廃止された停留場の位置について参考とさせていただいた)
・江ノ電公式サイト「当方見聞録」

境川左岸にある江ノ電の架道橋。昭和59年(1984年)に境川橋梁が架け替えられるまでは地上を線路が走っていたはずだが、この位置に踏切があった記録はない。
ここからの写真は2026/9/14撮影。
ここからの写真は2026/9/14撮影。

架道橋と鵠沼1号踏切のおおよそ中間地点にある短絡路になっている非公認踏切。
線路料がの柵にはチェーンが張られており、一般の通行を認めていないことがわかる。
線路料がの柵にはチェーンが張られており、一般の通行を認めていないことがわかる。

さきほどの非公認踏切から線路脇を進もうとすると民家の駐車場(写真左)があって通り抜けるのは憚られるで、ぐるっと西側から回って南側の行き止まり路地に出る。引退予定の1101編成が通り抜ける手前の線路脇フェンスに切り欠きがあり、ここにも非公認踏切があった(昭和37年藤沢市明細地図にも記載がある)が、現在線路東側は民家脇の草むらになっていて事実上封鎖されており、西側もチェーンが張られていて使用はできなくなっているようだ。
このあたりに初代新屋敷(あらやしき)停留場があったことが昭和6年(1931年)の資料からわかる。
このあたりに初代新屋敷(あらやしき)停留場があったことが昭和6年(1931年)の資料からわかる。

そこから南へ進んだところ、道路が線路の東西から斜めに集まってくる場所も昭和37年の地図では踏切として描かれているが、昭和18年の江ノ電資料などでは踏切として確認はできない。

鵠沼駅から出発して最初の正式な踏切である鵠沼1号踏切。
昭和18年(1943年)資料では踏切が描かれているものの番号が付いておらず、当時は公式な踏切でなかった可能性がある。
昭和18年(1943年)資料では踏切が描かれているものの番号が付いておらず、当時は公式な踏切でなかった可能性がある。

踏切の東側に自動販売機とベンチが置かれて休憩できる場所があるが、ここに昭和6年10月に移転した二代目の新屋敷停留場があった。
新屋敷停留場は昭和19年(1944年)に休止となり、そのまま昭和23年(1948年)廃止されている。営業休止時点の乗客は1日の乗車205人、降車235人だったとあり、西方(にしがた)停留場(現湘南海岸公園駅)が近いことから不要と判断されたようだ。
ちなみに新屋敷も西方も旧片瀬村の字名であった。Wikipediaでは湘南海岸公園駅の説明で「にしかた」と呼んでいるが、江ノ電資料には「にしがた」とフリガナが振られており、字名としても「にしがた」の方が正しいようだ。
新屋敷停留場は昭和19年(1944年)に休止となり、そのまま昭和23年(1948年)廃止されている。営業休止時点の乗客は1日の乗車205人、降車235人だったとあり、西方(にしがた)停留場(現湘南海岸公園駅)が近いことから不要と判断されたようだ。
ちなみに新屋敷も西方も旧片瀬村の字名であった。Wikipediaでは湘南海岸公園駅の説明で「にしかた」と呼んでいるが、江ノ電資料には「にしがた」とフリガナが振られており、字名としても「にしがた」の方が正しいようだ。

次の鵠沼2号踏切も昭和18年資料では番号のない踏切になっている。

踏切から湘南海岸公園駅方向を見たところ。
昭和6年資料では踏切の江ノ島駅寄りに西方停留場があったが、同年現在の湘南海岸公園駅の位置へ移設されたようだ。
昭和6年資料では踏切の江ノ島駅寄りに西方停留場があったが、同年現在の湘南海岸公園駅の位置へ移設されたようだ。

湘南海岸公園駅北側にある鵠沼1号踏切(昭和18年資料では新屋敷1号踏切)。
踏切北側はマンションの敷地で私有地になっているため、駅に入るための構内踏切のような位置付けになっている。
踏切北側はマンションの敷地で私有地になっているため、駅に入るための構内踏切のような位置付けになっている。

この日は1日乗車券「のりおりくん」を買っているので湘南海岸公園駅のホームに入らせてもらい、南側の湘南海岸公園1号踏切を見る。踏切を西(写真右)に向かうと境川を渡る西浜橋がある。
昭和6年にここへ移設された西方停留場は線路西側にあり、この場所に踏切はなかった。一方、写真奥に非公認踏切の踏み板が見えているのだが、昭和18年資料ではそこが西方1号踏切と記載されている。当時から踏切東側は住宅だが、公式踏切として扱われていたのだろう。大きな門扉を構えた邸宅で、そこに渡る非公認踏切としては立派な造りになっているのも頷ける。
ところでこの位置に最初に停留場ができたのは昭和6年7月の西濱臨時停留場が最初で、当時の西方と浜須賀の中間地点に海水浴客の利便を図るために設置され、8月末で廃止されている。
ここに西方停留場が移転してきた日が記載された資料はみつかっていないが、新屋敷停留場が移転した昭和6年10月にはすでにこの位置が西方停留場になっていることから、その間に移転したものと思われる。
その西方停留場は浜須賀停留場に近いことから昭和15年(1940年)に廃止申請が出ているのだが、地元住民が上家を寄付して建築していたなどの事情で廃止対象から除外され、昭和33年(1958年)に現駅名に改称している。
昭和6年にここへ移設された西方停留場は線路西側にあり、この場所に踏切はなかった。一方、写真奥に非公認踏切の踏み板が見えているのだが、昭和18年資料ではそこが西方1号踏切と記載されている。当時から踏切東側は住宅だが、公式踏切として扱われていたのだろう。大きな門扉を構えた邸宅で、そこに渡る非公認踏切としては立派な造りになっているのも頷ける。
ところでこの位置に最初に停留場ができたのは昭和6年7月の西濱臨時停留場が最初で、当時の西方と浜須賀の中間地点に海水浴客の利便を図るために設置され、8月末で廃止されている。
ここに西方停留場が移転してきた日が記載された資料はみつかっていないが、新屋敷停留場が移転した昭和6年10月にはすでにこの位置が西方停留場になっていることから、その間に移転したものと思われる。
その西方停留場は浜須賀停留場に近いことから昭和15年(1940年)に廃止申請が出ているのだが、地元住民が上家を寄付して建築していたなどの事情で廃止対象から除外され、昭和33年(1958年)に現駅名に改称している。

湘南海岸公園2号踏切(西方2号踏切)の江ノ島寄りには初代浜須賀停留場があったが、昭和6年に西方駅が近づいてきたことに伴って江ノ島駅寄りに移設されたものの、昭和15年には西方停留場の廃止申請に伴って元の場所に戻すことになったが、西方停留場の廃止が撤回されたため浜須賀停留場の移設も取りやめとなっている。
しかし結局は利用客が少なかった(1日の乗車客219人、降車客258人であった)と見え、昭和19年に休止となりそのまま昭和23年に廃止されていた。
しかし結局は利用客が少なかった(1日の乗車客219人、降車客258人であった)と見え、昭和19年に休止となりそのまま昭和23年に廃止されていた。

車両通行止めになっている湘南海岸公園3号踏切(浜須賀1号踏切)の江ノ島寄りには、昭和6年に廃止された山本橋停留場があった。
開業当時の浜須賀と山本橋の駅間は65間(約118m)しかなく、乗り遅れても走って追いつけそうな距離しかなかった。
開業当時の浜須賀と山本橋の駅間は65間(約118m)しかなく、乗り遅れても走って追いつけそうな距離しかなかった。

湘南海岸公園4号踏切から境橋に架かる山本橋方向を見たところ。
江ノ電開業時にはこの道路はなく、山本橋は川沿いの道路から丁字路の形で架かっていた。
江ノ電開業時にはこの道路はなく、山本橋は川沿いの道路から丁字路の形で架かっていた。

踏切から江ノ島駅方向を見たところ。昭和18年資料では右側2件目の住宅奥付近に浜須賀2号踏切が描かれているのだが、現在は線路の両側に住宅とマンションがあってアクセスする道も残っていない。
一方、もう少し奥の方、河川敷よりひとつ内側の細道にある水産加工会社の前から線路に向かう路地があり、枕木一本分しかない踏み板を渡る非公認踏切が残っているが、線路東側は私有地で立入禁止の看板も見えるので掲載は遠慮しておく。
一方、もう少し奥の方、河川敷よりひとつ内側の細道にある水産加工会社の前から線路に向かう路地があり、枕木一本分しかない踏み板を渡る非公認踏切が残っているが、線路東側は私有地で立入禁止の看板も見えるので掲載は遠慮しておく。

湘南海岸公園5号踏切(浜須賀3号踏切)も車両通行止めの小さな踏切。
踏切の向こうは砂利舗装なのだが、藤沢市道片瀬315号線として登録されている。
踏切の向こうは砂利舗装なのだが、藤沢市道片瀬315号線として登録されている。

江ノ島駅手前の湘南海岸公園6号踏切(浜須賀4号踏切)。
この踏切は踏切内に丁字路(実際は写真手前の道路からやや食い違いながら斜めに通り抜ける道路がある)とポイントがあって随分と横長の踏切になっている。以前は写真奥の遮断機は奥の方で道路をまっすぐ塞いでいたのだが、踏切内に入ってしまう人が多かったのか中折れ式の長い遮断桿を使って斜めに封鎖している。
それでも写真にも外国人観光客が踏切内に立ち止まってしまっており、このあと慌てて移動していた。
この踏切は踏切内に丁字路(実際は写真手前の道路からやや食い違いながら斜めに通り抜ける道路がある)とポイントがあって随分と横長の踏切になっている。以前は写真奥の遮断機は奥の方で道路をまっすぐ塞いでいたのだが、踏切内に入ってしまう人が多かったのか中折れ式の長い遮断桿を使って斜めに封鎖している。
それでも写真にも外国人観光客が踏切内に立ち止まってしまっており、このあと慌てて移動していた。

写真奥(鎌倉駅寄り)に留置線を持つ江ノ島駅は明治35年(1902年)に片瀬駅として開業したのち、昭和4年(1929年)に江ノ島駅に改称している。江ノ島電鉄の登記上の本店所在地となっており、駅員が常駐している江ノ電としては大きな駅のひとつだ。
2024年に構内踏切が廃止されて上下線を構内から渡ることができなくなったため、間違って反対側のホームに入ってしまった人は入場料金を払わずに駅を一度出て踏切を渡って反対側の改札から入ることができる。
2024年に構内踏切が廃止されて上下線を構内から渡ることができなくなったため、間違って反対側のホームに入ってしまった人は入場料金を払わずに駅を一度出て踏切を渡って反対側の改札から入ることができる。

構内踏切があったころの江ノ島駅。
この写真は2008/2/1撮影。
この写真は2008/2/1撮影。