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京浜鶴見第1踏切〜京急東神奈川第1踏切

OpenStreetMapで京急鶴見駅付近を見る。
京浜鶴見駅(当時)付近、鶴見川橋梁南側から国鉄鶴見線(当時)高架手前までの京急本線高架化は昭和56年(1981年)に完成している。
一方、鶴見線の南側は現在でも踏切が残っている区間になるが途中廃止された踏切もある。
京浜鶴見駅(当時)付近、鶴見川橋梁南側から国鉄鶴見線(当時)高架手前までの京急本線高架化は昭和56年(1981年)に完成している。
一方、鶴見線の南側は現在でも踏切が残っている区間になるが途中廃止された踏切もある。
参考資料:
・国立国会図書館デジタルコレクション所蔵
- 「開発往来22(2)(229) - 京浜鶴見駅付近の鉄道連続立体交差化事業」(曽我雄郎/開発行政懇話会, 1978)
- 「京浜急行八十年史」(京浜急行電鉄, 1980)
・国土地理院Webサイト
- 「昭和22年空中写真(京急鶴見駅附近)」(米軍撮影, 1947)
- 「昭和22年空中写真(生麦駅〜京急新子安駅)」(米軍撮影, 1947)
- 「昭和22年空中写真(京急東神奈川駅付近)」(米軍撮影, 1947)
・国立国会図書館デジタルコレクション所蔵
- 「開発往来22(2)(229) - 京浜鶴見駅付近の鉄道連続立体交差化事業」(曽我雄郎/開発行政懇話会, 1978)
- 「京浜急行八十年史」(京浜急行電鉄, 1980)
・国土地理院Webサイト
- 「昭和22年空中写真(京急鶴見駅附近)」(米軍撮影, 1947)
- 「昭和22年空中写真(生麦駅〜京急新子安駅)」(米軍撮影, 1947)
- 「昭和22年空中写真(京急東神奈川駅付近)」(米軍撮影, 1947)

京急鶴見駅の南側、JR鶴見駅ロータリーから南へ進んだところから見た京浜鶴見第1踏切跡。
ここからの写真は2026/10/15撮影。
ここからの写真は2026/10/15撮影。

JRの廃止された総持寺踏切を奥に見る形の京浜鶴見第2踏切跡。
總持寺踏切が廃止されたのは2012年なので、京急の方がかなり早く廃止されていたことになる。
總持寺踏切が廃止されたのは2012年なので、京急の方がかなり早く廃止されていたことになる。

京浜鶴見第3踏切は鶴見線をくぐって花月総持寺駅へ向かう途中、子育観音道が線路脇に出てくるところにあったが線路西側の区画が国鉄の拡張で失われており、高架化以前に廃止されていることもあって正確な位置はわからない。
この写真は2026/11/3撮影。
この写真は2026/11/3撮影。

花月総持寺駅の手前、JR花月園前踏切の南側に京急鶴見第4踏切が残っている。
この写真は2026/10/15撮影。
この写真は2026/10/15撮影。

OpenStreetMapで花月総持寺駅から京急新子安駅までを見る。
花月総持寺駅と生麦駅の間にある3ヶ所の人道橋は昭和22年の空中写真では踏切であった。この付近については先にJR東海道線の踏切で紹介しているのでそちらを参照していただきたい。
花月総持寺駅と生麦駅の間にある3ヶ所の人道橋は昭和22年の空中写真では踏切であった。この付近については先にJR東海道線の踏切で紹介しているのでそちらを参照していただきたい。

生麦駅脇の生麦第1踏切からJR生見尾(うみお)踏切方向を見たところ。
生見尾踏切は今年(2026年)12/7に廃止されることが決まっているが、生麦第1踏切は存続するようだ。
ここからの写真は2026/10/15撮影。
生見尾踏切は今年(2026年)12/7に廃止されることが決まっているが、生麦第1踏切は存続するようだ。
ここからの写真は2026/10/15撮影。

高島線(JR東海道線の貨物支線)の東海道生麦ガード近くにある生麦事件碑。
いまは生麦といえばビール工場だが、文久2年(1862年)京都に向かう薩摩藩島津久光の行列とすれ違うことになった4人のイギリス人が薩摩藩士にって殺傷される事件がこの付近で発生、のちの薩英戦争のきっかけともなった。
いまは生麦といえばビール工場だが、文久2年(1862年)京都に向かう薩摩藩島津久光の行列とすれ違うことになった4人のイギリス人が薩摩藩士にって殺傷される事件がこの付近で発生、のちの薩英戦争のきっかけともなった。

そのまま横浜環状道路もくぐって西側にある生麦第2踏切へ。北側にはJRの滝坂踏切がある。


踏切の南側を通る国道15号第一京浜国道を西へ向かう。
道路の南側、ENEOS横浜製造所の構内に踏切が見えるが、構内を横切っている高島線の小倉(おぐら)踏切だ。
道路の南側、ENEOS横浜製造所の構内に踏切が見えるが、構内を横切っている高島線の小倉(おぐら)踏切だ。

生麦第4踏切は京急とJRの間に境内がある高野山真言宗の遍照院(へんじょういん)山門前にある。
遍照院が当地に移転してきたのは天正18年(1590年)徳川家康の江戸入りに合わせてのことといい、踏切部分は京急の開通に合わせ無償で貸与したものだという。
(参考:はまれぽ:新子安の境内の真ん中を電車が走る「遍照院」、なぜこんなことになってしまった?)
遍照院が当地に移転してきたのは天正18年(1590年)徳川家康の江戸入りに合わせてのことといい、踏切部分は京急の開通に合わせ無償で貸与したものだという。
(参考:はまれぽ:新子安の境内の真ん中を電車が走る「遍照院」、なぜこんなことになってしまった?)

生麦第5踏切は京急新子安駅よりも少し生麦寄りにある車両通行禁止の踏切。

京急新子安駅から西側にある京急新子安第1踏切を見たところ。
右奥にはJR京浜東北線の新子安駅が見える。現在は地名にもなっている新子安だが、JR(当時は運輸通信省=省線)の駅が出来たのは昭和18年(1943年)。京急新子安駅は明治43年(1910年)の開業で元はこちらが新子安駅だったが、省線新子安駅の開業に伴って京浜新子安に名称を変更したという(昭和62年=1987年から京急新子安)。
右奥にはJR京浜東北線の新子安駅が見える。現在は地名にもなっている新子安だが、JR(当時は運輸通信省=省線)の駅が出来たのは昭和18年(1943年)。京急新子安駅は明治43年(1910年)の開業で元はこちらが新子安駅だったが、省線新子安駅の開業に伴って京浜新子安に名称を変更したという(昭和62年=1987年から京急新子安)。

OpenStreetMapで京急新子安駅から京急東神奈川駅付近を見る。

子安駅手前にある京急新子安第2踏切。子安駅の改札口は踏切を渡った北側(写真左奥)にある。
ここからの写真は2026/10/15撮影。
ここからの写真は2026/10/15撮影。

踏切から子安駅を見たところ。
写真で一番左にある1番線は10/2に使用停止となり、踏切の品川寄りに車止めが設置されて下りホームでは改修工事が進められている(通過待ちを神奈川新町で行うようになったため、2025/7には下りホームの番線表記が削除されていた)。
横浜市民からはこのスペースを使って踏切南側に改札口を設置して欲しいという要望も出ているが、いまのところ京急電鉄から正式な発表はないようだ。
写真で一番左にある1番線は10/2に使用停止となり、踏切の品川寄りに車止めが設置されて下りホームでは改修工事が進められている(通過待ちを神奈川新町で行うようになったため、2025/7には下りホームの番線表記が削除されていた)。
横浜市民からはこのスペースを使って踏切南側に改札口を設置して欲しいという要望も出ているが、いまのところ京急電鉄から正式な発表はないようだ。

子安駅西側にある子安第1踏切の北側にはJ、R横浜線の浦島ガードを挟んでJR東海道線の浦島踏切がある。

神奈川新町駅西側にある神奈川新町第1踏切。本線の北側には新町検車区がある。
ここからの写真は2026/10/17撮影。
ここからの写真は2026/10/17撮影。

新町検車区の入口には神奈川新町車庫線踏切がある。

京急東神奈川駅(令和2年=2020年までは仲木戸駅であった)は築堤上にあるため、前後には踏切がない。
写真右側の架道橋は現在も仲木戸架道橋となっている。
写真右側の架道橋は現在も仲木戸架道橋となっている。

すぐ次の架道橋付近には昭和22年の空中写真を見ると築堤に上る踏切があったようにも見えるが、周辺が区画整理されてしまったため痕跡がなくよくわからない。

滝の川を渡って西側にあるのが京急東神奈川第1踏切(旧仲木戸第1踏切)。
横浜駅手前はここが最後の踏切となっている。
横浜駅手前はここが最後の踏切となっている。