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所沢車両工場引込線の踏切跡

OpenStreetMapで所沢駅近辺を見る。
所沢駅の南西側には平成12年(2000年)まで西武鉄道の車両保守や製造を行っていた西武所沢車両工場があった。
現在跡地はエミテラス所沢となっているが、今回はかつて工場まで伸びていた引込線の踏切跡を見ていこう。
なお、所沢車両工場は特に西武新宿線所属ということではないのだが、西武新宿線が通る所沢駅西側に分岐しているため便宜的に西武新宿線の流れで紹介する。
所沢駅の南西側には平成12年(2000年)まで西武鉄道の車両保守や製造を行っていた西武所沢車両工場があった。
現在跡地はエミテラス所沢となっているが、今回はかつて工場まで伸びていた引込線の踏切跡を見ていこう。
なお、所沢車両工場は特に西武新宿線所属ということではないのだが、西武新宿線が通る所沢駅西側に分岐しているため便宜的に西武新宿線の流れで紹介する。

工場閉鎖からおよそ1年半後、2001/12の空中写真(国土地理院撮影)。
所沢駅から伸びている引込線はまだ残っており、矢印の位置に踏切の跡が見える。
所沢駅西口はその後再開発が行われ道路の位置が変わっている。
所沢駅から伸びている引込線はまだ残っており、矢印の位置に踏切の跡が見える。
所沢駅西口はその後再開発が行われ道路の位置が変わっている。

東村山7号踏切脇から所沢駅へ向かう引込線の跡を見たところ。当時の路盤はそのまま空き地として残されている。
ここからの写真は2026/7/22撮影。
ここからの写真は2026/7/22撮影。

そこから東西に渡る道路を南側に渡って振り返ったところ。
写真左寄りにみえるガードレールの右側を通って引込線は写真手前に進んできており、舗装の切れ目があるあたりに踏切があった。
鉄道ピクトリアル2002年4月臨時増刊号「【特集】西武鉄道」の記事「西武鉄道 沿線観察」(小松 丘)によれば、車両工場1号踏切という名称が付いていたという。
写真左寄りにみえるガードレールの右側を通って引込線は写真手前に進んできており、舗装の切れ目があるあたりに踏切があった。
鉄道ピクトリアル2002年4月臨時増刊号「【特集】西武鉄道」の記事「西武鉄道 沿線観察」(小松 丘)によれば、車両工場1号踏切という名称が付いていたという。

北側に戻って工場方向を見たところ。
踏切を渡った先の線路跡は店舗になっていて、そこから写真後方に見える立体駐車場の方向へ単線で伸びていた。
踏切を渡った先の線路跡は店舗になっていて、そこから写真後方に見える立体駐車場の方向へ単線で伸びていた。

店舗から自転車駐車場脇を通り抜けていく細い道があるが、この道は引込線の北側を通っていた。

細道の南側に線路があったが、その向こうにあった民家ともども整地されて駐車場になってしまっている。
写真左にはまだ住宅があってそこにアプローチする路地が残されているが、元は線路南側から回り込む形になっており写真中央付近にまっすぐ南へ渡る踏切があったようだ。
先述の資料によればこの踏切に名称はなく、警報機や遮断機がない第四種踏切だっという。
写真左にはまだ住宅があってそこにアプローチする路地が残されているが、元は線路南側から回り込む形になっており写真中央付近にまっすぐ南へ渡る踏切があったようだ。
先述の資料によればこの踏切に名称はなく、警報機や遮断機がない第四種踏切だっという。

駐車場南側から入口を見たところ。
駅の西側を通る埼玉県道337号久米所沢線は現在よりもやや東側を通っており、ちょうど駐車場入口付近に車両工場2号踏切があった。
駅の西側を通る埼玉県道337号久米所沢線は現在よりもやや東側を通っており、ちょうど駐車場入口付近に車両工場2号踏切があった。

県道西側から駐車場入口方向を見る。手前には歩道にレールが埋め込まれており、おおよそそのあたりに引き込み線が通っていたようだ。

県道側から立体駐車場方向を見たところ。埋め込まれたレールは立体駐車場に吸い込まれていくように見える。

レールの脇に設置されている引込線跡のプレート。
西武鉄道は鉄道会社としては珍しくここで自社車両の製造を行っており、引退が近い新2000系や、多摩湖線でまだよく見かける9000系もここで製造された。
西武鉄道は鉄道会社としては珍しくここで自社車両の製造を行っており、引退が近い新2000系や、多摩湖線でまだよく見かける9000系もここで製造された。

そこから少し所沢駅方向に戻ったところ、エミテラス所沢の1階に山口線を走っていた「おとぎ電車」こと蓄電池機関車B11形B15号車が保存されている。
B15は昭和35年(1960年)に所沢車両工場で製造された同形最後の車両で、昭和59年(1984年)まで山口線を走り、その後紆余曲折を経てここへ戻ってきた。
B15は昭和35年(1960年)に所沢車両工場で製造された同形最後の車両で、昭和59年(1984年)まで山口線を走り、その後紆余曲折を経てここへ戻ってきた。