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狭山市1号~11号踏切

OpenStreetMapで狭山市駅から新狭山駅までを見る。
狭山市は昭和29年(1954年)に市制施行する前は入間川(いるまがわ)町、入間(いりま)村など6つの町村であったが、郡としては川越から現在東京都になっている瑞穂町までまたがる入間(いるま)郡の一部であった。
昭和41年(1966年)に西南にある武蔵町が市制施行し入間(いるま)市となったため、狭山丘陵や狭山茶の主産地が入間市、航空自衛隊入間基地の大半が狭山市というなんだかややこしい状況になっている。
新狭山駅が開業したのは昭和39年(1964年)であったため踏切番号は南大塚駅手前まで狭山市○号踏切となっているが、今回は前半の新狭山駅までを見ていく。
参考資料:
・国土地理院Webサイト
- 「昭和21年空中写真」(米軍撮影, 1946)
・狭山市立中央図書館所蔵「狭山市全圖」(狭山市, 1956)
狭山市は昭和29年(1954年)に市制施行する前は入間川(いるまがわ)町、入間(いりま)村など6つの町村であったが、郡としては川越から現在東京都になっている瑞穂町までまたがる入間(いるま)郡の一部であった。
昭和41年(1966年)に西南にある武蔵町が市制施行し入間(いるま)市となったため、狭山丘陵や狭山茶の主産地が入間市、航空自衛隊入間基地の大半が狭山市というなんだかややこしい状況になっている。
新狭山駅が開業したのは昭和39年(1964年)であったため踏切番号は南大塚駅手前まで狭山市○号踏切となっているが、今回は前半の新狭山駅までを見ていく。
参考資料:
・国土地理院Webサイト
- 「昭和21年空中写真」(米軍撮影, 1946)
・狭山市立中央図書館所蔵「狭山市全圖」(狭山市, 1956)

狭山市駅北側にある狭山市1号踏切。
ここからの写真は2026/8/1撮影。
ここからの写真は2026/8/1撮影。

狭山市駅で大きく東向きにカーブした西武新宿線は、本川越駅手前まで東北方向にまっすぐ進んでいく。
不老川(としとらずがわ)支流の谷を越えるためここからしばらくは築堤となっている。
不老川(としとらずがわ)支流の谷を越えるためここからしばらくは築堤となっている。

谷頭付近を越える入間川第1架道橋。ちなみに狭山市第1架道橋でないのは、昭和54年(1979年)まで狭山市駅が入間川駅だったためと思われる。

すぐ隣にある入間川第2架道橋。

銘板は確認できないがもうひとつ架道橋がある。

昭和21年(1946年)の空中写真では、築堤が終わる手前の写真左側に上って線路を渡る狭山市2号踏切があった。

築堤が終わったところにある狭山市3号踏切。

狭山市3号踏切の新狭山寄りには埼玉県道126号所沢堀兼狭山線と同397号堀兼根岸線の接続部になるアンダーバス(狭山架道橋)があるが、狭山市4号踏切はその脇(新狭山寄り、写真奥)にあった。

狭山市5号踏切は6号踏切の手前にあった。

入間川変電所(写真左)脇にある狭山市6号踏切。埼玉県道340号中新田入間川線が渡っている。
交通量がそこそこある相互通行の踏切だが幅が狭く、両側から車が来ると譲り合いながら踏切に入っていく。踏切の前後では拡幅工事が進められているようだ。
交通量がそこそこある相互通行の踏切だが幅が狭く、両側から車が来ると譲り合いながら踏切に入っていく。踏切の前後では拡幅工事が進められているようだ。

廃止されている狭山市7号踏切は東西から斜めに道路が線路にぶつかる場所にある。

狭山市8号踏切は線路北側(写真右)の道路が直角カーブになっている。

狭山市9号踏切はすぐ近く、線路東側(写真右奥)から道路が伸びてきている場所にあったと思われる。

狭山市10号踏切は11号のすぐ手前にある丁字路の先にあったようだ。

新狭山駅手前にある狭山市11号踏切も狭い上に通行量が多く、踏切の前後ですれ違い待ちをしている様子が見られる。