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伊勢崎24号~30号踏切
地図
OpenStreetMapで小菅駅から西新井駅付近を見る。
この付近では荒川放水路の開削に伴って東武伊勢崎線(スカイツリーライン)は大きく位置を変えている。西寄りを走っていた旧線の大半は道路として利用されており、今回はこちらの踏切跡も見ていこう。
参考資料:
・国立国会図書館所蔵「東武鉄道百年史〔本編〕」(東武鉄道社史編纂室, 1998)
・国立国会図書館デジタルコレクション所蔵「交通技術 26(5)(314) / 東武・伊勢崎線梅島駅附近の高架化工事について」(瓜生竹男/, 1971)
・国土地理院Webサイト
 - 「旧1万地形図(千住)」(大日本帝國陸地測量部, 1917)
 - 「昭和22年空中写真」(米軍撮影, 1947)
・「東武伊勢崎線、日光線 古地図さんぽ」(坂上正一/フォトパブリッシング, 2018)
伊24
小菅駅西側から荒川堤防方向を見たところ。東武線の荒川放水路橋梁は現在下り線として使用されている方が古く、大正11年(1922年)に中央部分架橋されたが、その後両岸寄りが改築されているためここから見えている部分は北千住・竹ノ塚間複々線化が完成する昭和49年(1984年)までに造られた部分と思われる。
それ以前の東武伊勢崎線はもう少し低い位置を通っていたと思われ、全国Q地図の東京都3千分の1地図(1961〜1962年)などを見ると写真左側の右幅が広がっている部分(左手前は道路ではなくレンタル収納スペースの入口)付近に線路に上っていく坂道があって伊勢崎24号踏切があったようだ。記録を見つけることができていないが、五反野駅が高架化された昭和43年(1968年)ごろに廃止されたのではないかと思われる。
この写真は2026/8/15撮影。
通路
現在の通路はすこし北側にある。
伊25
昭和43年に高架化された五反野駅の西新井寄りに伊勢崎25号踏切があった。
伊26
伊勢崎26号踏切は大相模架道橋の位置にあった。踏切北側(手前)に横断歩道があるため、南側は高架線の手前に車道の停止線が敷かれている。
伊27
弥生街道架道橋の位置に伊勢崎27号踏切があった。
伊28
国道4号日光街道が渡っていた伊勢崎28号踏切。昭和43年の高架化までは道路のほうがオーバーパス(旧梅島陸橋)で伊勢崎線を越えていた。
昭和43年時点ではここから梅島駅に向かって高架線は地上に下りていっていた。
伊29
梅島(うめじま)駅付近は五反野側に遅れて昭和44年(1969年)に高架化工事が始まったが、狭い用地で複々線化を行うため上下線のホームが駅舎を挟んで南北にそれぞれ伸びた形になっている。
改札口前を通る旧日光街道に伊勢崎29号踏切(写真奥)があった。正確な廃止時期を示す資料が見つかっていないが、複々線化が完成した昭和49年に廃止したものと思われる。
梅島駅のホーム上屋には旧レールが数多く使用されており、製造年もバラエティに富んでいる。下りホームには昭和2年(1927年)と昭和36年(1961年)のレールが組み合わせて使用されている場所があった。このほかにも昭和4年(1929年)、昭和40年(1965年)製のものを見かけた。
(8/19追記)梅島駅ホームでの写真撮影は2014年から禁止となっているとのことです。
旧踏切1
ここで一度小菅駅近くまで戻って旧線の方を見ていこう。
小菅駅から荒川沿いに上流へ向かうと旧線時代の踏切跡がある。写真右側のビルが旧線跡地に建っており、左から右へ斜めに走る線路に対して、手前の道路から渡る踏切があったものと思われる。
高砂神社
旧線沿いにある高砂神社は元は現在の荒川河川内にあり、荒川放水路に伴って個人邸内に移転したのち昭和25年(1950年)に当地に移ってきたという。天明年間(1787〜89年)に創建された頃は勘七稲荷と称していたとされる。
旧踏切2
神社西側にある旧線脇の道路を進んで行き、斜めに渡っていた踏切の跡を南側から見たところ。写真右の道路に対して斜めに建っている住宅が線路跡になる。一方ここから江北橋通りまでは区画整理によって線路跡が失われている。
仏具店
江北橋通りと日光街道が交差する梅田交差点の南側にある仏具店が入っているマンションが線路跡に建っている。
梅田通り
仏具店側から西新井駅方向へ斜めに進む梅田通りは旧線の路盤をそのまま転用しており、まっすぐ伸びている。
ちなみに日光街道も江北橋通りも大正時代にはまだ出来ていなかったのでこの交差点に踏切はなかった。
旧踏切3
「ゆめろ〜ど千代田」と名付けられた商店街が梅田通りと交差するところに踏切があった。
千住車庫
踏切跡の北側に都営バス千住自動車営業所がある。
旧踏切4
車庫の北側にある踏切跡は横断歩道になっている。
旧踏切5
梅田病院脇にあった踏切の跡。
旧踏切6
梅田通りを斜めに渡る道路にも踏切があったはず。
旧日光街道
旧日光街道の南側から梅田通りが合流する交差点を見る。ここにも踏切があったが、西新井方向はいったん線路跡が失われる。
石碑
交差点には「左東武鉄道旧線跡 右旧日光道中」と刻まれた石碑が建っている。
斜め
旧日光街道を北へ進んで環七南通りを西へ。足立区立第九中学校北側にある通りに向かって斜めに出る行き止まりの路地と写真左側の駐車場や住宅があるあたりが旧線の路盤と思われる。
旧線はそのまま写真奥へ進む。
亀田トレイン通り
環七南通りの北側は亀田トレイン通りとしてふたたびまっすぐ旧線跡が残っている。写真では見づらいが、一番奥には東武線が見えている。
写真右側は平成16年(2004年)に廃止された東武鉄道西新井工場の跡地で、現在はマンションになっている。
伊30
西新井工場後の北側で亀田トレイン通りから東向きに線路をくぐっている場所に伊勢崎30号踏切があった。
側線
亀田トレイン通りは線路に合流する前に左(西)へ曲がっていくが、まっすぐ進んだ先には西新井駅の側線末端部が見えている。
ここからの写真は2026/8/18撮影。
専用線跡
側線の脇、フェンスの外側に水路敷のような細い路地があるが、左(西)に曲がっていく細道に沿って日清紡専用線が伸びていた。
カーブ
写真右奥にある西新井駅に向かわず左へ曲がっていく。
パサージオ西新井
細道が西向きに曲がり切ったところで、西新井駅前のショッピングモールであるパサージオ西新井に出る。
日清紡の工場はここから南側に大きく広がっていたが、専用線は工場の北端に向かっていた。
終端部
専用線の終端部は一つ西側に建つマンションの北東角あたりにあった。
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