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亀戸1号~22号踏切

OpenStreetMapで東武亀戸線を見る。
亀戸線は明治37年(1904年)に当初は浅草方面に延伸を進めていた向島線(現スカイツリーライン)の吾妻橋駅(現とうきょうスカイツリー駅)に代わって都心を目指すために開通し、総武鉄道(現JR東日本総武本線)の両国橋駅(現両国駅)まで乗り入れを行った。
しかし、明治40年(1907年)に総武鉄道が国有化されたことで明治43年(1910年)に乗り入れを廃止、以降は浅草方面が本線となって亀戸線は支線として運行されている。
亀戸線の踏切はスカイツリーライン(伊勢崎線)との分岐駅である曳舟駅側から番号が振られており22号まであるが、番号付きで廃止されている踏切は1ヶ所(11号)しかない。一方中間駅は複雑な経緯を辿って改廃が繰り返されており、現在廃止されている駅は移設されたものも含めて6つある。今回は廃駅も含めて確認していこう。
なお、亀戸線の踏切にある表示では「亀 第○号踏切道」となっているが、このページでは便宜上「亀戸○号」の表記で進めていくのでご了承されたい。
参考資料:
・国土地理院Webサイト所蔵「旧1万地形図(向島)」(1909〜1960)
・特別区協議会/特別区自治デジタルアーカイブ
- 「大東京区分図三十五区之内向島区詳細図」(植野録夫/東京地形社)
- 「大東京区分図三十五区之内城東区詳細図」(植野録夫/東京地形社)
・葛飾区立中央図書館所蔵「東武亀戸線・JR新金線物語」(澤村英仁, 2015)
・「東武伊勢崎線、日光線 古地図さんぽ」(坂上正一/フォトパブリッシング, 2018)
亀戸線は明治37年(1904年)に当初は浅草方面に延伸を進めていた向島線(現スカイツリーライン)の吾妻橋駅(現とうきょうスカイツリー駅)に代わって都心を目指すために開通し、総武鉄道(現JR東日本総武本線)の両国橋駅(現両国駅)まで乗り入れを行った。
しかし、明治40年(1907年)に総武鉄道が国有化されたことで明治43年(1910年)に乗り入れを廃止、以降は浅草方面が本線となって亀戸線は支線として運行されている。
亀戸線の踏切はスカイツリーライン(伊勢崎線)との分岐駅である曳舟駅側から番号が振られており22号まであるが、番号付きで廃止されている踏切は1ヶ所(11号)しかない。一方中間駅は複雑な経緯を辿って改廃が繰り返されており、現在廃止されている駅は移設されたものも含めて6つある。今回は廃駅も含めて確認していこう。
なお、亀戸線の踏切にある表示では「亀 第○号踏切道」となっているが、このページでは便宜上「亀戸○号」の表記で進めていくのでご了承されたい。
参考資料:
・国土地理院Webサイト所蔵「旧1万地形図(向島)」(1909〜1960)
・特別区協議会/特別区自治デジタルアーカイブ
- 「大東京区分図三十五区之内向島区詳細図」(植野録夫/東京地形社)
- 「大東京区分図三十五区之内城東区詳細図」(植野録夫/東京地形社)
・葛飾区立中央図書館所蔵「東武亀戸線・JR新金線物語」(澤村英仁, 2015)
・「東武伊勢崎線、日光線 古地図さんぽ」(坂上正一/フォトパブリッシング, 2018)

曳舟駅に停車中の亀戸線11251F。亀戸線は終日2両編成で運行されており、11251Fは「さのまるっと♥とれいん」として栃木県佐野市のブランドキャラクター「さのまる」誕生15周年ラッピングが施されている。
ここからの写真は2026/8/8撮影。
ここからの写真は2026/8/8撮影。

亀戸1号踏切は亀戸線が京成押上線の下をくぐって東京都道465号が渡るところにある。都道側は拡幅工事が進んでいるようで南側の歩道がやたらと広くなっている。

踏切越しに東京スカイツリーを眺める。

亀戸1号踏切と2号踏切の間に水路跡が線路をくぐっている場所があるのだが、昭和30年代の地図ではここに踏切があったように描かれている。

すぐ隣にある亀戸2号踏切。
踏切脇の看板(写真右奥)には「あなたのタバコのポイ捨てはスカイツリーが見ています」と書かれている。天空にそびえるスカイツリーをお天道様のように半ば神格化しているあたりがちょっと面白い。
踏切脇の看板(写真右奥)には「あなたのタバコのポイ捨てはスカイツリーが見ています」と書かれている。天空にそびえるスカイツリーをお天道様のように半ば神格化しているあたりがちょっと面白い。

踏切の亀戸寄りには、虎橋通駅のホーム支柱礎石が現在も残っている。虎橋はさきほどの水路跡にかかっていた橋だといい、虎橋通駅は亀戸線が複線電化された昭和3年(1928年)に開業したものの戦時中の昭和18年(1943年)に休止となってしまい、そのまま昭和20年(1945年)3月の東京大空襲で被災したことから廃止となっている。

次の亀戸3号踏切も小ぶりな路地の踏切となっている。

西向き一方通行の亀戸4号踏切。

車両通行止めになっている亀戸5号踏切。

十間橋通りの旧道が渡る亀戸6号踏切。

踏切の亀戸寄りにあった十間橋通(じゅっけんばしどおり)駅跡にもホーム支柱の礎石が残っている。
十間橋通駅は虎橋通駅と同じく昭和3年に開業したが、休止となったのは昭和20年で廃止は昭和33年(1958年)となっている。
十間橋通駅は虎橋通駅と同じく昭和3年に開業したが、休止となったのは昭和20年で廃止は昭和33年(1958年)となっている。

現在の十間橋通りが渡る亀戸7号踏切。

線路北側で十間橋通りと交差する曳舟たから通りが渡る亀戸8号踏切。

亀戸8号踏切を通過する11204F曳舟行き。
踏切の歩道側には警報機のない方向指示器だけが設置されている。
踏切の歩道側には警報機のない方向指示器だけが設置されている。

小村井(おむらい)駅手前の亀戸9号踏切は歩道にも遮断機がある踏切だ。
向島区詳細図を見ると、ここには水路が通っていたことがわかる。
向島区詳細図を見ると、ここには水路が通っていたことがわかる。

亀戸9号踏切の曳舟寄りには東武鉄道が管理する駐車場が線路脇に続いているのだが、ここに明治37年(1904年)亀戸線の開通時に開業した天神駅があった。
天神駅は当初亀戸線唯一の中間駅だったが翌年には休止となり、明治41年(1908年)にはいったん廃止されている。
その後大正14年(1925年)になって改めて貨物駅として開業、昭和31年(1956年)に休止、翌年廃止となっている。
天神駅は当初亀戸線唯一の中間駅だったが翌年には休止となり、明治41年(1908年)にはいったん廃止されている。
その後大正14年(1925年)になって改めて貨物駅として開業、昭和31年(1956年)に休止、翌年廃止となっている。

一方、踏切の亀戸寄りにある小村井駅は旅客駅としての天神駅が廃止された後の昭和3年(1928年)開業で、亀戸線が複線化した際にで開業した中間駅としては唯一位置も変わらず現存している駅だ。
元は亀戸寄りに構内踏切があったと思われるが、現在は地下道で下り(亀戸方向)のホームに渡る形になっている。
元は亀戸寄りに構内踏切があったと思われるが、現在は地下道で下り(亀戸方向)のホームに渡る形になっている。

小村井駅入口脇にある亀戸10号踏切は片側2車線の東京都道306号明治通りが渡り、歩道にも遮断機が付いている大きな踏切。

亀戸線唯一の廃踏切である亀戸11号踏切の跡はなんということにない路地の出口にある。

線路北側が丁字路になっている亀戸12号踏切。

亀戸線が東京都道476号丸八通りに沿って南へカーブしていくところに亀戸13号踏切がある。

東あずま駅の亀戸寄りにある亀戸14号踏切。

東あずま駅には現在も構内踏切が残っており、上り(亀戸方向)ホームには構内踏切を渡っていく必要がある。

昭和3年から20年の間、踏切の南側に平井街道駅があった。
昭和31年(1956年)に東あずま駅に改称され復活する際に踏切北側に移設されている。
現在の駅名は旧地名である吾嬬(あづま)町の東であることからなのだが、そもそもは現在の地名である立花とともに日本武尊(ヤマトタケル)の東征神話に由来する地名で、海を鎮めるため海中に身を投じた弟橘姫(おとたちばなひめ)の遺品が流れ付いてそれを祀ったのが吾嬬神社(駅西側の北十間川近くにある)だという。
吾嬬は「吾が妻(わがつま)」を意味し、それが転じて東国を「あづま」と呼んで「東」の字を当てるようになったので、「東あずま」というのは同じ意味を重ねているように見えてなんだか違和感がある。
昭和31年(1956年)に東あずま駅に改称され復活する際に踏切北側に移設されている。
現在の駅名は旧地名である吾嬬(あづま)町の東であることからなのだが、そもそもは現在の地名である立花とともに日本武尊(ヤマトタケル)の東征神話に由来する地名で、海を鎮めるため海中に身を投じた弟橘姫(おとたちばなひめ)の遺品が流れ付いてそれを祀ったのが吾嬬神社(駅西側の北十間川近くにある)だという。
吾嬬は「吾が妻(わがつま)」を意味し、それが転じて東国を「あづま」と呼んで「東」の字を当てるようになったので、「東あずま」というのは同じ意味を重ねているように見えてなんだか違和感がある。

丸八通りの西側にある亀戸15号踏切。

隅田川と旧中川を東西につなぐ北十間川の北側にある亀戸16号踏切。

亀戸17号踏切は北十間川をまたぐ北十間川橋梁の南、江東区側にある。
踏切の向こうには昭和3年開業、昭和20年休止の北十間駅があった。
踏切の向こうには昭和3年開業、昭和20年休止の北十間駅があった。

亀戸水神駅手前の亀戸18号踏切。
亀戸水神駅は昭和3年開業だが、さきほどの北十間駅と統合されてこの場所に移設される昭和21年までは亀戸19号踏切の亀戸寄りにあった。
亀戸水神駅は昭和3年開業だが、さきほどの北十間駅と統合されてこの場所に移設される昭和21年までは亀戸19号踏切の亀戸寄りにあった。

亀戸水神駅の構内踏切が廃止されたのは今年(2026年)4月でまだ踏切自体は残ったままだが、西口を作ったため渡り線の西側はスロープの壁になってしまっている。

南北に通る道路がやや斜めに渡っている亀戸19号踏切。

踏切脇から亀戸駅方向を見ると、線路西側に旧亀戸水神駅のホーム支柱礎石が残っているのが見える。

旧亀戸水神駅南側の亀戸20号踏切。

亀戸線がJR総武本線に出会う場所にある亀戸21号踏切。

踏切手前の標識はいつからここに設置されているのか蒸気機関車のマークになっている。

総武本線側はトンネルになっている亀戸22号踏切が亀戸線としては最後の踏切となる。

最後に周辺の神社を巡っておこう。亀戸線の駅は亀戸水神だが、亀戸といえば錦糸町寄りにある亀戸天神社(天満宮)の方が有名だろう。
亀戸天神社は正保3年(1646年)に菅原道真の子孫が亀戸村の小祠に天神像を祀ったのが始まりという。
ここからの写真は2026/8/10撮影。
亀戸天神社は正保3年(1646年)に菅原道真の子孫が亀戸村の小祠に天神像を祀ったのが始まりという。
ここからの写真は2026/8/10撮影。

一方の亀戸水神社(水神宮)は天神社から蔵前橋通りを東へ進んでしばらく行ったところ、江東新橋西詰交差点から少し南にある五叉路に建つ小さな神社だ。
創建は享禄年間(1528〜32年)とされ、奈良県吉野郡にある丹生川上(にうかわかみ)神社を勧請したものという。
創建は享禄年間(1528〜32年)とされ、奈良県吉野郡にある丹生川上(にうかわかみ)神社を勧請したものという。