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伊勢崎49号~66号踏切

OpenStreetMapで草加駅から獨協大学前(草加松原)駅付近を見る。
昭和55年(1980年)に始まった谷塚〜北越谷間連続立体交差事業は南側から工事が進められ、草加(そうか)駅から新田(しんでん)駅北側の綾瀬川までの草加市内区間は昭和63年(1988年)に高架化されている。今回はこの区間を見ていこう。
なお、連続立体交差事業開始前に廃止されていた踏切については茶色で示した。
参考資料:
・国立国会図書館デジタルコレクション所蔵
- 「都市と交通(17) / 踏切改良実例としての東武伊勢崎線連続立体事業 ー埼玉県草加市の事例ー」(日本交通計画協会, 1989)
- 「鉄道高架とまちづくり:鉄道復権に向けた交通文化圏の形成. 下(高架構築物の環境デザインと市民参加)」(地域科学研究会, 1995)
- 「東武鉄道百年史〔本編〕」(東武鉄道社史編纂室, 1998)
- 「道路(716) / 鉄道高架化と踏切対策 ー東武鉄道伊勢崎線連続立体交差事業ー」(高橋忠成/日本道路協会, 2000)
・国土地理院Webサイト
- 「昭和22年空中写真(草加駅〜獨協大学前駅)」(米軍撮影, 1947)
- 「昭和22年空中写真(新田駅付近)」(米軍撮影, 1947)
・「東武伊勢崎線、日光線 古地図さんぽ」(坂上正一/フォトパブリッシング, 2018)
昭和55年(1980年)に始まった谷塚〜北越谷間連続立体交差事業は南側から工事が進められ、草加(そうか)駅から新田(しんでん)駅北側の綾瀬川までの草加市内区間は昭和63年(1988年)に高架化されている。今回はこの区間を見ていこう。
なお、連続立体交差事業開始前に廃止されていた踏切については茶色で示した。
参考資料:
・国立国会図書館デジタルコレクション所蔵
- 「都市と交通(17) / 踏切改良実例としての東武伊勢崎線連続立体事業 ー埼玉県草加市の事例ー」(日本交通計画協会, 1989)
- 「鉄道高架とまちづくり:鉄道復権に向けた交通文化圏の形成. 下(高架構築物の環境デザインと市民参加)」(地域科学研究会, 1995)
- 「東武鉄道百年史〔本編〕」(東武鉄道社史編纂室, 1998)
- 「道路(716) / 鉄道高架化と踏切対策 ー東武鉄道伊勢崎線連続立体交差事業ー」(高橋忠成/日本道路協会, 2000)
・国土地理院Webサイト
- 「昭和22年空中写真(草加駅〜獨協大学前駅)」(米軍撮影, 1947)
- 「昭和22年空中写真(新田駅付近)」(米軍撮影, 1947)
・「東武伊勢崎線、日光線 古地図さんぽ」(坂上正一/フォトパブリッシング, 2018)

草加駅北側にあった伊勢崎49号踏切は高架化以前に廃止されており、高架化後に改めて道路が新設されている。
ここからの写真は2026/8/25撮影。
ここからの写真は2026/8/25撮影。

次の伊勢崎50号踏切は高架化に伴って廃止されている。

伊勢崎51号踏切も高架化以前に廃止されている。写真中央右側の行き止まり道路がそれと思われるが、その左側には暗渠が線路の下を現在もくぐっている。

その北側では高架化時に新設された道路が線路をくぐる。

東福寺(西)交差点の向こう側が伊勢崎52号踏切の跡。

踏切跡の東福寺側角に建つ「𣳾知地蔵尊」(𣳾は泰の異字体)。
地蔵尊の前に置かれた由緒書きによれば、昭和11年(1936年)に踏切事故に遭った「𣳾知さん」を偲んで事故防止のために建てられたという。
地蔵尊の前に置かれた由緒書きによれば、昭和11年(1936年)に踏切事故に遭った「𣳾知さん」を偲んで事故防止のために建てられたという。

昭和22年(1947年)の空中写真ではそれらしき場所が見えるが、伊勢崎53号踏切は早くに廃止されていたようではっきりとした痕跡は残っていない。おそらくは写真中央のミラー付近にあったものと思われる。

そのすぐ北側にある伊勢崎54号踏切の跡。右手前の住宅よりも高架下の道路の方がやや幅が広くなっている。向こう(西)側の道路とも少し位置が食い違っており、高架橋脚の位置で道路を造ったのかもしれない。

北へ進むと東武線は綾瀬川支流の伝右川(でんうがわ)を越える。
伝右川は寛永5年(1628年)に関東代官伊奈半十郎忠治の家臣井手伝右衛門により開削、通水された用水だそうだ。
(参考:草加市役所Webサイト「草加今昔 伝右川」など)
伝右川は寛永5年(1628年)に関東代官伊奈半十郎忠治の家臣井手伝右衛門により開削、通水された用水だそうだ。
(参考:草加市役所Webサイト「草加今昔 伝右川」など)

伝右川を渡って埼玉県道34号さいたま草加線へ。ここは高架化工事の後にできた道路で踏切はなかった。

県道の北側に旧道があり、ここに伊勢崎55号踏切があった。

その北側、線路東側に高架線がはみ出している場所があるが、ここには昭和6年(1931年)から昭和48年(1973年)まで東武鉄道の貨物駅である草加荷扱所があった。

現在荷扱所の北側寄りはスポーツ施設などが建設される予定で更地になっているが、途中に東から突き当たっている道路の北(右)側付近に写真手前側の綾瀬川左岸にあった大阪窯業東京工場に向かう専用線(トロッコ軌道)が通っていたという。

昭和22年の空中写真でははっきりしないが、昭和24年の空中写真にはそれらしい軌道跡が見える。

草加荷扱所北側にあった伊勢崎56号踏切は高架化以前に廃止されており、現在は東側から突き当たる路地になっている。

伊勢崎57号踏切も高架化以前に廃止されているが、現在は高架下にある自転車駐車場の通路として使用されており、線路西側に通り抜けることもできる。

獨協大学前(草加松原)駅を南西側から見たところ。
東洋一のマンモス団地と呼ばれた草加松原団地の入居開始に合わせて昭和37年(1964年)に開業した際は松原団地駅という名前であったが、平成29年(2017年)に獨協大学前に改称し、草加松原を副駅名としている。
松原という地名は東武線東側を流れる綾瀬川沿いの松並木に由来している。
東洋一のマンモス団地と呼ばれた草加松原団地の入居開始に合わせて昭和37年(1964年)に開業した際は松原団地駅という名前であったが、平成29年(2017年)に獨協大学前に改称し、草加松原を副駅名としている。
松原という地名は東武線東側を流れる綾瀬川沿いの松並木に由来している。

OpenStreetMapで獨協大学前(草加松原)駅から新田駅北側の綾瀬川までを見る。
綾瀬川手前の伊勢崎66号踏切までが昭和63年(1988年)に高架化された部分となる。
綾瀬川手前の伊勢崎66号踏切までが昭和63年(1988年)に高架化された部分となる。

駅北側を少し進んだところにある伊勢崎58号踏切跡。

高架化以前に廃止されていた伊勢崎59号踏切跡は通行できない。

大きな蓋暗渠の脇を通る道路は高架化後に新設されたもので、ここに踏切はなかった。

その北側に旧道があったが、踏切(伊勢崎60号踏切)は高架化以前に廃止されており、現在も東西に通り抜けることはできない。

外郭環状自動車道南側にあった伊勢崎61号踏切の跡。

東武線の上を外郭環状自動車道の高架が越えていく。

外環北側には伊勢崎62号踏切の跡がある。

新田駅南側にある伊勢崎63号踏切跡。埼玉県道328号金明町鳩ヶ谷線が渡っている。

新田(しんでん)駅は江戸時代に開拓された新田が周辺に多いことから名付けられた新田村に由来している。
新田村は昭和30年(1955年)に草加町、谷塚町と合併して草加市となった。
新田村は昭和30年(1955年)に草加町、谷塚町と合併して草加市となった。

金明通りも高架化後に新設されたので踏切はなかった。

金明通りの北側にあるのが伊勢崎64号踏切跡。

伊勢崎65号踏切は昭和22年の空中写真で見ると線路東側(写真奥)の民家に向かう踏切があったことが見えるが、高架化以前に廃止されている。

綾瀬川右岸、宝積寺(ほうしゃくじ)の門前に伊勢崎66号踏切があった。