Natrium.jp
伊勢崎67号~80号踏切
地図その1
OpenStreetMapで綾瀬川から新越谷駅付近を見る。
昭和55年(1980年)に始まった谷塚〜北越谷間連続立体交差事業のうち越谷市南部の綾瀬川から元荒川の区間は平成6年(1994年)に高架化されている(複々線化は平成9年)。今回はこの区間を見ていこう。
なお、連続立体交差事業開始前に廃止されていた踏切については茶色で示した。
参考資料:
・国立国会図書館デジタルコレクション所蔵
 - 「新篇武蔵風土記稿 第七 / 巻之二百五(蒲生村), 巻之二百九(騎西領)」(歴史図書社, 1969)
 - 「越谷市史 第2巻(通史 下)」(越谷市, 1977)
 - 「鉄道高架とまちづくり:鉄道復権に向けた交通文化圏の形成. 下(高架構築物の環境デザインと市民参加)」(地域科学研究会, 1995)
 - 「東武鉄道百年史〔本編〕」(東武鉄道社史編纂室, 1998)
 - 「埼玉の神社 北足立・児玉・南埼玉」(埼玉県神社庁神社調査団, 1998)
 - 「都市と交通(49) / 連続立体交差事業の整備高架〜東武伊勢崎線(草加市・越谷市)〜」(日本交通計画協会, 1999)
・国土地理院Webサイト
 - 「昭和22年空中写真(蒲生駅付近)」(米軍撮影, 1947)
 - 「昭和22年空中写真(元荒川付近)」(米軍撮影, 1947)
・越谷市Webサイト「広報こしがや No.930」(越谷市企画部広報広聴課, 1993)
・越谷市立図書館所蔵「連続立体交差事業」(埼玉県越谷市, 1990?)
・「東武伊勢崎線、日光線 古地図さんぽ」(坂上正一/フォトパブリッシング, 2018)
綾瀬川
綾瀬川を渡る東武スカイツリーラインを東側の綾瀬橋から見たところ。
ここからの写真は2026/8/25撮影。
久伊豆神社
綾瀬川を渡って左岸側、踏切跡へ向かう槍先(やりっちゃき)通りの脇にある蒲生久伊豆(ひさいず)神社。
新編武蔵風土記稿の記述によれば久伊豆神社は騎西(きさい)町(現加須市)にある玉敷神社(旧久伊豆神社)が総本社とされ、埼玉県東南部の元荒川流域に多数ある。蒲生の久伊豆神社は同書では応永年間(1394〜1428年)の鎮座としている(それより古い南北朝末期という説もある)。
久伊豆神社は平安時代後期から鎌倉・室町時代に渡って武蔵國を中心に勢力を伸ばしていた武蔵七党の野与党と私市(きさい)党が信仰していたとされる。
旧蒲生村は昭和29年(1954年)に合併して越谷町となっている。
伊67
槍先通りが斜めに渡っていた伊勢崎67号踏切跡。
踏切脇には本殿とは別に小さな久伊豆神社の祠がある。こちらは複々線化に伴って移設されたものだそうだ。
伊68
昭和22年の空中写真では踏切になっている場所は現在突き当たりになっていて線路下を通れないが、ここが伊勢崎68号踏切であったと思われる。
伊69?
そのすぐ北側に高架をくぐっている道路があり、こちらが伊勢崎69号踏切であった可能性が高いが昭和22年の地図では確認ができない。
伊70
伊勢崎70号踏切はそのまたすぐ北側にあった。
伊71
埼玉県道324号蒲生岩槻線が渡っていた伊勢崎71号踏切の跡。
蒲生駅
蒲生駅西口。
蒲生駅は明治32年(1899年)の開業時には現在の新越谷駅付近(正確な所在地は不明)にあって、明治41年(1908年)に現在地へ移転したという。
昭和48年(1973年)に国鉄(現JR)武蔵野線が開通し南越谷駅が出来たが、新越谷駅の開業は翌年でそれまではここから約1km歩いて乗り換えていたそうだ。
伊72
伊勢崎72号踏切は蒲生駅の北側、写真手前で高架をくぐっている道路ではなく、そこよりも北(高架に西側建物の影がかかっている向こうあたり)にあった。
伊73
伊勢崎73号踏切は片側一車線の越谷市道2420号蒲生駅北通り線にあった。
ふみきり公園
伊勢崎73号踏切と74号踏切の間、踏切ではなかったところに「ふみきり公園」があり警報機と遮断機が保存されている。
警報機
警報機はだいぶ痛みが目立つ。
県道161号
新越谷駅南側にある埼玉県道161号登戸宮前通りは高架化完成後に開通した道路で踏切はなかった。
武蔵野線の高架を越えるためスカイツリーラインの高架は高さを増していく。
伊74
伊勢崎74号踏切は高架化以前に廃止されていたが、駅手前の道路にあったらしい。
新越谷駅
武蔵野線南越谷駅との乗り換え駅として昭和49年(1974年)に開業した新越谷駅。
高架駅同士の連絡通路がないため、乗り換えには一度地上まで下りる必要がある。
地図その2
OpenStreetMapで新越谷駅から元荒川までを見る。
越谷市内の連続立体交差事業は元荒川までが一期工事として平成6年(1994年)に高架化された。
出口
ところでちょっと寄り道して武蔵野線の南越谷駅。ホームから出口に向かい階段の案内板だが、東武側では高架橋梁の壁以外では「伊勢崎線」表記が一掃されているのに対して、JR側のやる気のない(失礼)対応との落差が大きい。
(一応、小さく「東武スカイツリーライン」とは書いてある)
伊75
新越谷駅北側の伊勢崎75号踏切跡。
ここからの写真は2026/8/30撮影。
伊76
伊勢崎76号踏切は獨協医科大学埼玉医療センター北側にあったが、高架化以前に廃止されていた。
越谷吉川線
埼玉県道52号越谷吉川線がスカイツリーラインをくぐる予定の場所。東側はおおむね道路として完成しているが、西側ではまだ用地買収すら進んでいない。
伊77
そのすぐ北側で線路を斜めに渡っていた伊勢崎77号踏切の跡。道路北側には大きな蓋暗渠が並走している。
ここも高架化前には行き止まりとなっていた。
伊78
同じく線路を斜めに渡っていた伊勢崎78号踏切の跡。こちらは高架化時に廃止となっている。
廃踏切設備
伊勢崎78号踏切北側の道路脇に踏切関連の装置が保管されていた。
一番左は「東37」とあり、東上37号踏切(現役)にあったものと思われる。
右の二つは道路側から見ると番号が塗りつぶされているのだが、裏側には「伊62」「伊64」という文字が残っている。
越谷駅
明治32年(1899年)に東武伊勢崎線が開業した時には、ここではなく次の武州大沢駅(現北越谷駅)が越ヶ谷駅であった。
現在の越谷駅は遅れて大正9年(1920年)に開業している。
伊79
赤山街道(赤山通り)が斜めに渡っていた伊勢崎79号踏切の跡。
越谷市史によれば昭和41年(1966年)にここで路線バスと上り特急列車が衝突する事故があり、乗員乗客と通行人に死傷者が出たという。
伊80
伊勢崎80号踏切はそのすぐ北側にあったが、高架化以前に廃止され水路を渡る鉄橋だけがあったようだ。
越ヶ谷小学校
踏切跡の北側に越ヶ谷小学校前バス停がある。小学校は「越ヶ谷」だが市の名前は「越谷市」だが、表記としては越ヶ谷の方が古く日光街道の宿場としても越ヶ谷宿と書かれていた。
昭和29年(1954年)に越ヶ谷町が周辺町村と合併した際に改名して「越谷町」となっている。
by Natrium