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伊勢崎31号~48号踏切
地図その1
OpenStreetMapで西新井駅から竹ノ塚駅付近を見る。
東武大師線と別れたスカイツリーラインは西新井駅から竹ノ塚駅までの間、途中に東京メトロ竹ノ塚基地をみながら地上を走っていたが、平成17年(2005年)に伊勢崎37号踏切で発生した死傷事故を契機に足立区が主体となって連続立体交差事業を実施することになり、途中工期延長もあったものの令和4年(2022年)に踏切が廃止されている。
一方、竹ノ塚駅北の伊勢崎39号〜42号踏切は昭和54年(1979年)に、伊勢崎43号踏切から草加駅までは昭和61年(1986年)に谷塚〜北越谷間連続立体交差事業の一環で先立って高架化されており、現在この区間には踏切はない。伊勢崎31号〜36号踏切については廃止時期の記録が見当たらないが、環七の西新井陸橋開通が昭和44年(1969年)であることからその頃に廃止された可能性が高い。
参考資料:
・国立国会図書館デジタルコレクション所蔵
 - 「地下鉄運輸50年史」(帝都高速度交通営団営業部・運転部, 1981)
 - 「都市と交通(17) / 踏切改良実例としての東武伊勢崎線連続立体事業 ー埼玉県草加市の事例ー」(日本交通計画協会, 1989)
 - 「東武鉄道百年史〔本編〕」(東武鉄道社史編纂室, 1998)
 - 「道路(716) / 鉄道高架化と踏切対策 ー東武鉄道伊勢崎線連続立体交差事業ー」(高橋忠成/日本道路協会, 2000)
・国土地理院Webサイト
 - 「旧1万地形図(西新井)」(大日本帝國陸地測量部, 1940)
 - 「昭和22年空中写真(西新井駅付近)」(米軍撮影, 1947)
・「東武鉄道の踏切問題 インターネット版」(半沢一宣, 2024)
・「東武伊勢崎線、日光線 古地図さんぽ」(坂上正一/フォトパブリッシング, 2018)
伊31
伊勢崎31号踏切は現在環七の西新井陸橋が東武線を跨いでいる脇(北側)にあった。
ここからの写真は2026/8/18撮影。
大師線分岐
西新井陸橋に上って北側の大師線分岐付近を見たところ。
「地下鉄運輸50年史」によれば、昭和41年(1966年)12月15日に西新井駅を出発(写真左手前から右奥へ)した竹ノ塚駅行き下り列車(車両は当時の営団地下鉄3000系6両編成)に大師線(写真左奥)を走ってきた列車の先頭車両が脱線(当時大師線から伊勢崎線への渡り線ポイントがあった付近)して接触し、竹ノ塚行きも脱線したところに南千住行き上り列車(こちらも営団車)が進入してきてパンタグラフを破損する事故があった。
下り列車は3両目の側面が大きく抉られる形となり、上り列車を除く2列車で死傷者27名を出す大きな事故となっている。当時の報道では大師線のカーブ外側にあたるレールが摩耗していたことにより車輪が乗り上げて脱線したとされている。
その後構内配線が見直され本線側が複々線となったため写真では事故当時の面影はないが、全国Q地図の東京都3千分の1地図(1961〜1962年)ではポイントの位置が確認でき、写真左手前の架線柱付近が事故現場であったと推定される。
伊32
伊勢崎32号踏切は事故現場よりも竹ノ塚寄り、大師線が分かれていったところにあって大師線と踏切を共用していたようだ。
アンダーパス
踏切跡の北側にアンダーパスが作られており、車両は大師線の南側へ、歩行者はそれに加えて大師線との間にある住宅地にも行くことができる。
ちなみに写真左上に見える歩道橋はアンダーパスの上に設置されている保線用敷地に行くための業務用通路で、道路側から入ることはできない。
伊33
伊勢崎33号踏切はアンダーパスの北側にあった。写真奥の方には大師1号踏切跡があるが、直接見通せる位置関係ではない。
伊34
伊勢崎34号踏切は現在環七北通りのアンダーバスが東武線をくぐっている場所のやや北側にあった。
伊35
そこから線路西側を竹ノ塚方向へ進むと道路が住宅に突き当たって西へ曲がるが、ここに伊勢崎35号踏切があった。
伊36
伊勢崎36号踏切は再び線路西側に道路が出てくるところにある。南側に作られた跨線人道橋から見ると踏切跡に工事用の踏切が造られているのが見える(Google Mapなどを見ると以前はなかったようだ)。
伊37
東京メトロ竹ノ塚車両基地(千住検車区竹ノ塚分室)の北側、竹ノ塚駅手前にあった伊勢崎37号踏切。
2005年当時は踏切の開閉を手動で行う第一種乙踏切で、複々線と車両基地)への入出庫線計5線を渡る大きな踏切でもあり開かずの踏切として有名な場所だった。
2005年3月15日、踏切警手が列車通過後に次の列車が接近しているにもかかわらず通過まで余裕があると判断して遮断機を上げてしまったことにより、上り準急に跳ねられた4名が死傷するという痛ましい事故が発生した。
この事故以前から踏切の立体交差化を求める意見は多かったのだが、車庫線があることなどを理由にそのままとなっていたことが事故の遠因となったことは否めない。
最初に書いたように事故後に立体交差化が進められたが完成まで17年かかっており、その間は踏切を拡幅した上で自動化するとともに翌年には跨線橋を設置して対策を行った。東武鉄道ではここ以外にも隣の伊勢崎38号踏切など手動操作の第一種乙踏切があったが全廃され、同様に手動操作を行っていた京成電鉄の高砂1号踏切も自動化されている。
写真では直接見えないが、写真左脇の南側支柱には令和6年(2024年)に事故を記録する銘板が設置されている。
伊38
竹ノ塚駅北側にあった伊勢崎38号踏切も2025年の事故前は第一種乙踏切であった。
竹ノ塚駅は昭和37年(1962年)に当時の営団地下鉄(現東京メトロ)日比谷線との直通運転開始時に北側に引き上げ線が設けられて折り返しが多数運行されたため、こちらの踏切も開かずの踏切であった。
地図その2
OpenStreetMapで竹ノ塚駅から谷塚駅までを見る。
毛長川が東京都足立区と埼玉県草加市の都県境になっている。
昭和55年(1980年)に毛長川左岸(国道4号北側)から工事に着手した谷塚駅〜北越谷駅間の連続立体交差事業では、平成13年(2001年)の完成まで21年をかけて草加市側で16ヶ所、越谷市側で10ヶ所(元荒川以南の高架化完成時には8ヶ所)の踏切が廃止されている。
なお、連続立体交差事業開始前に廃止されていた踏切については茶色で示した。
伊39
竹ノ塚駅の引き上げ線末端部に西側から斜めに突き当たる道路の先に、昭和54年に高架化され廃止された伊勢崎39号踏切があった。
高架化当時は竹ノ塚駅方向で地上に下りていたため、高架橋が低くなっているのがわかる。竹ノ塚駅を高架化する際には、高架橋を作り直すのではなく、アプローチの末端に新しい高架橋を継ぎ足す形をとっている。
ここからの写真は2026/8/19撮影。
伊40
伊勢崎40号踏切は線路東側にある自動車教習所の敷地内にあったようで、旧道は廃止されており北側から見ても位置はよくわからない。
伊41
伊勢崎41号踏切は東京都道103号吉場安行東京線が高架下を斜めに渡っている場所にあった。
毛長川
県境の毛長川上流側から東武線の毛長川橋梁を見る。
伊42
毛長川左岸側に伊勢崎42号踏切があったが、線路両側から道路が突き当たっているもののあまり踏切らしさは残っていない。
伊43
国道4号日光街道の北側から進められた連続立体交差化事業では一番最初の廃踏切となる伊勢崎43号踏切の跡。高架アプローチ部分にあるため道路の方を掘り下げて通している。
伊44
谷塚(やつか)駅手前の伊勢崎44号踏切跡。谷塚駅は東武鉄道によれば海抜3.45mで埼玉県内では最も低い位置にある駅だそうだ。
地図その3
OpenStreetMapで谷塚駅から草加(そうか)駅までを見る。
伊45
埼玉県道104号川口草加線が渡っていた伊勢崎45号踏切。43号もそうだったが、架道橋には「東武鉄道伊勢崎線」と書かれている。
踏切?
伊勢崎45号踏切のすぐ北側にある小さな公園に踏切の装置一式が保存されている。
高架と踏切
高架線を見上げる踏切装置。遮断機が動作する様子はなさそうだ。
伊46
市道が斜めに渡っていた伊勢崎46号踏切の跡。
伊47
西側が一方通行出口になっている伊勢崎47号踏切跡。
伊48
伊勢崎48号踏切は草加駅南側の草加神社通りにあった。
草加市といえば草加せんべい。古くから米どころで江戸時代に宿場町となったことから保存食であった煎餅を売る店ができ、地域団体商標という形でブランド化されているそうだ。
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