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前谷津川周辺の谷戸と水路敷(西台の旧流路と谷)

OpenStreetMapで前谷津川右岸の旧流路を見る。
前谷津川は東武東上線沿いにある赤塚新町、下赤塚、徳丸エリアの谷から始まって、都営三田線高島平駅の北側で新河岸川に注いでいた川だが、昭和54年(1989年)までに暗渠化された。
現在では本流とされる赤塚新町からの流れの途中にある「しのがやと公園」から新河岸川までの大半が前谷津川緑道として整備されているが、今回は首都高速5号池袋線の南側から、不動通りとの交差点までの間にある旧流路と、そこに流れ込んでいる谷を見ていく。
現在では本流とされる赤塚新町からの流れの途中にある「しのがやと公園」から新河岸川までの大半が前谷津川緑道として整備されているが、今回は首都高速5号池袋線の南側から、不動通りとの交差点までの間にある旧流路と、そこに流れ込んでいる谷を見ていく。

首都高速の下から前谷津川緑道を見たところ。写真では小さくすぎてよくわからないが、左奥に見えるコンビニの脇に旧流路が合流している場所がある。
このページの写真は2019/1/1撮影。
このページの写真は2019/1/1撮影。

前谷津川緑道に合流する細い水路敷。ここを上流に向けてたどってみよう。

水路敷はすぐに南へ転進し、川跡らしいクネクネとした道になっている。

道路は徐々に狭くなっていき、ほとんどクランク状に曲がっている。

道幅が再び広くなってきた。正面のアパートの左脇に短い行き止まりの道があるのだが…

そこに南へ向かって私有地となっている細い路地があった。

通り抜けはできないので南側に回ってみた。私有地としてはなかなか立派な通路になっている。ここもかつては水路敷だったのだろうか。

そこから南側を見る。ちょっと通り抜けはできそうにないが、その先で道路は崖に突き当たっていて、谷筋としてもそこまでで終わっているようだ。

再び旧流路へ戻って上流へ向かう。流路跡は緑道に近づくように西へ向かう。

進んでいくと、いきなり突き当たりで立ち入り禁止の水路敷が現れた。

水路敷は突き当りの先で南へ曲がっていて、さきほどの私有地を見た通りの側に回り込んで見ると入口がフェンスで覆われているのを見つけた。

水路敷はさらに西側へ向かう広い道になっているようだ。道路脇にはみ出す形で不動明王が乗せられた石碑が残っている。

祠で影になっていて分かりにくいが、地面から立ち上がる大山不動明王の石碑の上に乗せられた不動明王像が祠に囲われている。不動明王像が失われた石碑が前谷津川上流の宮下地区にもあるが、同じように大山詣(神奈川県伊勢原市にある丹沢山系の大山のこと)を記念して作られたのだろう。

不動明王から南へすぐのところに、半ば埋もれた供養塔が残されていた。

供養塔は道標を兼ねていたようで、左右にそれぞれ「右」「左」と彫られている。埋もれてしまっているので行き先は「なか加?」までしか読み取れない。左には「ねつ」と書かれているところまでは読める。

旧流路のほうは、また緩やかに曲がりながら上流へ向かっていく。

交差点に出たところ、右側に曲がるとすぐ現在の前谷津川緑道があるが、旧流路はまだ上流に続いている。

くねくねと曲がりながら、旧流路は前谷津川緑道に向かっていく。

前の写真で左側(東側)に見えている畑の向こうは谷筋になっている。前谷津川との分岐点に向かう前に、こちらに寄り道してみよう。

畑のところに道や水路敷はないが、畑の東側に回り込んでみると微妙に谷間があるのがわかる。

谷になっている道を東へ進む。北側は斜面になっているのが見て取れる。

道路はすぐに行き止まりで、谷に沿った道や水路敷はないようだ。

左に曲がって斜面の下に突き当たったところに、青面金剛庚申塔が置かれていた。宝永地震や富士山の宝永大噴火が起こった宝永4年(1707年)の造立というからかなり古いものだ。
右側には文化15年(1818年)造立の馬頭観音が置かれている。左にも庚申塔文字塔がある。
右側には文化15年(1818年)造立の馬頭観音が置かれている。左にも庚申塔文字塔がある。

その庚申塔(写真奥に写っている)のすぐそばに地蔵菩薩がある。右に見える階段の上には京徳観音堂がある。観音堂は江戸時代中期創建とされるが、延文6年(1361年)の宝篋印塔が残るなど江戸時代以前から仏教施設があったらしい。

地蔵菩薩のところから階段上にある京徳観音堂を臨む。

観音堂の南東側、西徳第二公園の向かい側は窪地になっている。崖上に見えているのは板橋区立志村第五小学校の校舎だろう。

南側に崖を抱える西徳第二公園を眺めながら、谷底の道を進む。

道路は駐車場に突き当たったところで二手に分かれるが、左側の道路が坂を上っていくのがわかる。

坂を上ったところに円福寺法蔵庵がある。円福寺そのものは谷の向かい側(南側)にあり、境外堂ということらしい。入り口に山門はないが、左右に正徳6年(1716年)造立の青面金剛庚申塔と、享保4年(1719年)造立の地蔵菩薩、さらにその右側には六地蔵が並んでいる。

法蔵庵から駐車場を振り返る。駐車場が谷底になっているのがよくわかる。

谷の南側にある円福寺は、実際には北から西台中央通りを上ってくる谷と、東側の蓮根川から西台公園に沿って西台不動尊の方へ上ってくる谷と、今回歩いてきた前谷津川から南東へ上ってくる3つの谷の谷頭にあたる位置にある。
山門脇にある由緒書きによれば、元は川越にあった太田道灌開創の寺を慶長13年(1608年)に移設したものという。
山門脇にある由緒書きによれば、元は川越にあった太田道灌開創の寺を慶長13年(1608年)に移設したものという。

さて、再び前谷津川の旧流路へ。谷筋を左に眺めながら進んでいくと、旧流路はいったん前谷津川緑道が見えるところまで出てくる。

ここが分岐点かと思いきや、まだ少し上流に続いているようだ。

ぐるっと回り込んだところが緑道との分岐点だった。

前谷津川緑道から分岐点を見る。分岐点は緑道が不動通りの谷と合流するすぐ北側にあった。