環八を跨ぐところに置かれている大山道道標と東高野山道標。もとは環八ができる前の富士街道起点の川越側に置かれていたものが移設されている。
ちょっと寄り道して、旧富士街道を南下して棚橋跡の南側にある地蔵尊を見にいく。
さて、改めて環八を越えて旧川越街道を西へ向かっていく。
この写真は2018/2/10撮影。この近辺の水路敷については、
西本村の支流の項目を見ていただきたい。
西本村の支流の分岐点で北側を見ると、なにやら怪しい路地らしきものがある。
ここからの写真は2019/12/8撮影。
北側に回り込んでみると路地は行き止まりになっており、崖下に空き地が広がっている。これが水路敷でここに湧き水があったのか、練馬区情報公開室の資料では崖上の道の方が水路敷とされており、謎が多い空間ではある。
浅間神社(富士嶽神社)の境内にある下練馬の富士塚(練馬区指定有形民俗文化財)。標高は富士山のちょうど1/100つなる37.76mあり、これが作られた頃は頂上から富士山がよく見えたことだろう。
東武練馬駅近辺の地図。
東武練馬駅入り口にある北町観音堂。もっとも古い北町聖観音座像は天和2年(1682年)造立という。
下練馬宿の本陣跡は緑地になっていた。写真奥に見えるのは下練馬献上大根碑で、五代将軍綱吉が逗留していた際に栽培させた大根の出来が良く、幕府に献上したことに由来するという。
旧川越街道をさらに西へ。このあたりから徐々に西に向かって道が降っているような気がするのだが、はたして田柄用水はどうやってながれていたのだろうか。
下練馬宿は西側から上宿、中宿、下宿に分かれていたそうで、このあたりは上宿にあたるという。
新大宮バイパス近辺の地図。
練馬区情報公開室の資料では、写真の行き止まりになっている道が水路敷とされている。谷筋に向かって降っているので、田柄用水から水を分けていたのだろうか。
店舗としては営業している感じのない金網製作所。
東上42号踏切のところで、田柄用水は旧川越街道と別れ南へ向きを変える。
道路が左に折れるところ、直進側は一見民家の敷地のように見えるが、写真奥に車止めが見えている。
まっすぐ進んで行くと、工事現場脇に水路敷が残っていた。
水路敷は再び道路へ。
そのまま川越街道まで道路が続いているが、写真奥のトラックが止まっているところで川越街道に断ち切られてしまっている。もともとは川越街道の南側まで道路がつながっていたのだが、新大宮バイパス工事でこうなったらしい。