Natrium.jp
稲村ヶ崎1号〜極楽寺4号踏切
地図
OpenStreetMapで稲村ヶ崎駅から長谷(はせ)駅までを見る。
藤沢側から伸びてきた江ノ電が極楽寺まで到達するのは明治37年(1904年)だが、そこから先に鎌倉時代の道は通っておらず新田義貞は稲村ヶ崎の海岸を通って進軍したとされる場所になっている。(その後極楽寺坂切通が造られている)
ここを通り抜けるために明治39年6月から8ヶ月かけて手彫りで掘り進んだのが現在の江ノ電極楽寺トンネルで、その開通により江ノ電は鎌倉駅手前の大町まで延伸開通となっている。
今回は稲村ヶ崎駅から長谷駅までの区間を見ていくが、数カ所の廃非公認踏切の他に権五郎神社と通称されている御霊神社前にある極楽寺1号踏切よりも極楽寺駅寄りにあったはずの旧極楽寺1号踏切についても探索していく。 トンネルを挟んで海岸から離れたところを通るこの区間には2つの廃駅と1つの併用軌道があって併用軌道上やそれ以外の場所にも複数の非公認踏切が存在するが、例によってプライバシー保護の観点から撮影、掲載は最小限に止めているのであらかじめご了承いただきたい。
そのほか、江ノ電の非公認踏切などに関する撮影スタンスなどは藤沢1号〜柳小路3号踏切のページを参照されたい。
参考資料:
・国立公文書館所蔵
 - 「石上外八停留場廃止の件」(江ノ島電氣鐵道, 1931)※權五郎社前
 - 「電動客車手用制動機省略の件」(江ノ島電氣鐵道, 1935)
 - 「停留場廃止及位置変更の件」(江ノ島電氣鐵道, 1940)※砂子坂
 - 「停留場変更の件(停留場設計変更認可並に特別設計許可申請)」(江ノ島電氣鐵道, 1943)
・国土地理院Webサイト
 - 「昭和21年空中写真」(米軍撮影, 1946)
 - 「昭和38年空中写真」(国土地理院撮影, 1963)
・国立国会図書館デジタルコレクション所蔵
 - 「江ノ電讃歌」(吉川文夫, 1985)
・「グラフ江ノ電の100年」(江ノ島電鉄, 2002)
・「知られざる江ノ電踏切の謎」(武相高校鉄道研究同好会, 2016)
 注:本書では非公認を含め踏切数を111としているが、10年前の資料であり現況とは一致しないものがある(本書の111ヶ所については今回現況確認を行った)。
・「鎌倉の地名由来辞典」(三浦勝男/東京堂出版, 2005)
・ひこねの駅研究所(廃止された停留場の位置について参考とさせていただいた)
・江ノ電公式サイト「当方見聞録」
非常時開口部
稲村ヶ崎駅東側、線路の海側にあるカフェの前と、線路山側にある稲荷神社の前に2つの非公認踏切があったのだが、線路海側に東側の稲村ヶ崎1号踏切脇に出る小道があることから江ノ電により平成26年(2014年)に封鎖された。
これに対して地元住民からは津波が来た時に山側に避難するのが間に合わないなどの意見があり、写真のように「非常用開口部」として非公認踏切の跡に費用用通路を残すことにし令和3年(2021年)には海側のフェンスに鍵付きの扉が設置された。
現時点では、このような対応が行われたのはこの2ヶ所だけのようだ。
ここからの写真は2026/9/14撮影。
小道
稲村ヶ崎1号踏切南側にある小道の入口。写真左奥に稲荷神社が見える。
入口には「駅には行けません」と書かれた看板がある。線路脇のカフェを訪れる観光客は多いようで、この入口を見つけるのには苦労していた。
稲1
稲村ヶ崎1号踏切を駅側から見たところ。
道路は線路を斜めに渡っていて、写真奥に見える精肉店に行くには踏切脇の細い通路を通っていかないとならないのだが、踏切が遮断された状態ではそこを通るのはなかなか難しそうだ。
写真では見えないが踏切の先にある数軒の住宅が線路側に門扉を持っている。ただし、空中写真を見ると南側から住宅に入れるようで現在は使用されていないのかもしれない。
なお、「ひこねの駅研究所」によれば、最初の稲村ヶ崎停留場は踏切手前右側にあり、何度か移転を繰り返して現在の位置に落ち着いたそうだ。
ベンチ
稲村ヶ崎2号踏切手前にあるベンチが置かれた小さな公園。
写真奥に「危険」と書かれた柵があり、非公認踏切がある。この踏切では令和3年(2021年)にゴミを収集場へ運ぼうとした小学生が電車にはねられて一時意識不明の重体になるという事故が起きている。
地図で見ると線路南側から稲村ヶ崎2号踏切を渡ってこの場所に出てくるまでは500m強の距離があり、反対側の稲村ヶ崎1号踏切に回っても同じくらいの距離がある。当時の報道によればゴミ収集場が線路北側にあるためこの短絡路はさきほどの駅前のように廃止するというわけにもいかないと思われる。
(ちなみに線路南側を大きく迂回する道は車両が通行できる幅がなく、ゴミ収集車は入っていくことができない。)
稲2
稲村ヶ崎2号踏切も道路が線路を斜めに渡っている。
渡った先で線路と道路は並走しており、路肩にオレンジ(黄色)の舗装が施されている併用軌道(路肩軌道)区間となる。
踏切の先には、昭和15年に廃止申請が行われた砂子坂(すなこざか)停留場があった(実際に廃止されたのは昭和16年ないし19年とする意見があるが、資料はみつけていない)。
併用軌道区間には「江ノ電踏切の謎」では5ヶ所の非公認踏切を数えているが、現在そのうち2ヶ所は使用されていないように見えた。なかには線路の向こうに駐車スペースがあって自動車の通行を想定した踏み板が設置されているところが1ヶ所ある。
砂子坂
併用軌道の末端部、道路だけが極楽寺川に向かって下っていく砂子坂から振り返って見たところ。
夜中に坂道を上ってきたら気が付かずに線路に踏み込んでしまいそうだ。
稲3
極楽寺川を渡って再び江ノ電の線路まで上ってきたところにある稲村ヶ崎3号踏切。
踏切を渡った左の道は月影ヶ谷(つきかげがやつ)と呼ばれる谷間で、行き止まりになっている(山道を通って北に通り抜けることはできるらしい)。
鎌倉では山の間に食い込んでいく谷間を「やつ」と呼んでおり、漢字では「谷」の一文字で書いている。「鎌倉の地名由来辞典」で数えた記事(後記)によると56ヶ所も「○○ヶ谷」(ヶを書かないものもある)という地名があるそうだ。
古くから住民は谷に沿って住処を作っていて、地元では谷間のことは「やと」と呼び、地名としては「やつ」と呼ぶのだそうだ。
(参考:はまれぽ.com「鎌倉の謎地名、「谷」を「やつ」と読む理由は?」)
青ランプ
稲村ヶ崎3号踏切から稲村ヶ崎駅方向を見たところ。右側の車止めは反対側から伸びてきている極楽寺検車区の引き上げ線末端部で、4両編成が本線から車庫線へ折り返す際には踏切を跨いで停車するようだ。
ところで、写真左奥の矢印の位置に非公認踏切に設置されている青いランプが見える。しかし、このランプの位置に非公認踏切があったとして、どうやってそこにいくのかがわからない。
どうやら民家の裏庭から線路に上って山側の住宅に渡るルートがあるようで、空中写真には線路に上る階段が写っている。しかしこの階段にいく取付道路が見当たらない(アパートの裏側にあるらしい)ので、はたしてこの非公認踏切は現役なのかどうかわからない。
極楽寺検車区
振り返って極楽寺駅方向。写真奥には極楽寺検車区に停泊中の20形電車が見える。
踏切から検車区までの間は併用軌道としては扱われていないが、山裾に並んでいる線路西側(写真左)の住宅に入るには線路を渡る以外の手段がない。
「江ノ電踏切の謎」には6ヶ所の非公認踏切が記録されている。
地番図を見ると現在でも線路上に「道」が残ったままになっており、道の上に線路を敷いたため西側の住宅が取り残された形になっているようにも見える。
検車区と非公認踏切
検車区手前に二つ並んでいる非公認踏切の入口。踏切の数よりも線路の向こうにある住宅の数の方が多いが、写真手前の階段の向こうは空き地になっていて利用されていないように見える。写真奥へスロープで上っていく非公認踏切は車庫線を渡る踏み板が設置されている本格的な(?)踏切で、短絡路というわけでもなく正式な踏切にならなかったのがむしろ不思議に思える。
稲4
検車区の裏側にある稲村ヶ崎4号踏切。左には踏切ギリギリに停泊する20形電車が見える。
空中写真ではこの踏切は写真奥に向かって広がる台形をしており、奥の遮断桿がやたらと長いのがわかる。
車庫
踏切の極楽寺駅寄りにもシャッターのついた車庫が見える。
ここには昭和55年(1980年)に引退した昭和6年製の単車(1両編成の電車)である108号車(通称「タンコロ」)が動態保存されており、不定期の「タンコロまつり」で展示が行われていたが今のところ2024年を最後に開催されていない。
なお、写真では分かりにくいが右奥の方に民間の駐車場を通って線路を跨いで山の方に上っていく非公認踏切がある。
極楽寺駅
「関東の駅百選」に選ばれている極楽寺駅の木造駅舎。
「ひこねの駅研究所」によれば極楽寺駅も何度は移転を繰り返しており、前の写真にあった車庫近辺が停留場であった時期もあるという。
ここからの写真は2026/9/24撮影。
平面図
さて、ここで最初に書いた旧極楽寺1号踏切について考察してみる。
現在の極楽寺1号踏切は極楽寺トンネルの東側、御霊神社の参道にあるのだが、そこから進んで長谷駅手前にある極楽寺4号踏切の位置にある踏切の名称が、昭和18年資料の長谷駅平面図では「極楽寺5号踏切」となっているのだ。極楽寺駅寄りの現在では極楽寺3号踏切も4号と書かれており、それぞれ現在と一つずつズレている。
となれば、資料の範囲外にある現在の1号から3号までの間にもうひとつ公式の踏切があったと考えることもできるが、この区間には「江ノ電踏切の謎」では2号と3号の間に一ヶ所非公認踏切があって踏み板も設置されているものの、西方1号踏切のように大きい踏切ではない。トンネル出口から2号の間には現在の踏切のほかに設置できる場所はなさそうだ。
断面図
ここで昭和10年の資料にある断面図を見てみよう。
この断面図は電車のブレーキ試験を行う位置(現在の極楽寺1号踏切付近の長谷駅に向かう下り坂)を示したものだが、極楽寺停留場のすぐトンネル側に「巾1.8m 町道踏切」という記載が見える。
現在極楽寺駅のトンネル側には桜橋があって江ノ電の上を道路が越えているが、桜橋が出来たのは昭和32年のこと。国土地理院Webサイトで昭和30年2.5万地形図(鎌倉)(転載不可のため画像はありません)を見ると極楽寺駅のすぐトンネル側に踏切が描かれている。
現在は極楽寺駅がトンネル側に延伸されたため構内になってしまっているが、駅舎脇あたりに旧極楽寺1号踏切があったと考えて良さそうだ。
暗渠と旧踏切
断面図にある暗渠が写真手前にあるので、旧極楽寺1号踏切はホーム先端のフェンス付近にあったのではないかと推定される。
ただし桜橋ができる前は線路はもう少し高い位置にあったとされるので、左の擁壁側から少し下ってきたところに踏切があったのだろう。
極楽洞
桜橋から極楽寺トンネルを見る。
明治時代のまま残っているトンネルの扁額には「極楽洞」と右書きで書かれている。
極1
極楽寺坂(極楽寺切通)を通って長谷側へ。
現在の極楽寺1号踏切(旧極楽寺2号踏切)は御霊神社(権五郎神社)に向かう参道の階段を上ったところを通っている。
ここからの写真は2026/9/14撮影。
千歳開道
踏切から極楽寺トンネル方向を見たところ。
入り口に向かっていてカーブしているので見えないが、こちらの洞門には「千歳開道」という扁額が掛かっているそうだ。
權五郎社前停留場跡
踏切から長谷駅方向を見たところ。踏切のすぐ東側に昭和6年に廃止された権五郎社前停留場があった。
写真奥の方に極楽寺2号踏切(旧3号踏切)とその向こうに踏み板がある非公認踏切、そのまた向こうに極楽寺3号踏切(旧4号踏切)があるが、2号と3号踏切脇の住宅と店舗(理髪店)に撮影禁止の看板が掲示されているため今回は省略させていただく。
(なお、3号踏切手前に「PHOTO OK」という掲示を行なっている住宅があるのだが、周辺まで撮影してよいかは不明のため合わせて省略させていただく)
2号と3号踏切の間には「江ノ電踏切の謎」では1ヶ所、現場での確認では3ヶ所の非公認踏切がある。いずれも南側の道路から線路北側の住宅に入るためのものだが、一番極楽寺寄りは駐車場の裏から入る形となっているように見えるが地番図を見ると線路南側沿ってに「道」が並走していることになっている。ただし実際には線路南側には側溝が並走していて道というには無理があるように思う。
極4
長谷駅手前の極楽寺4号(旧5号)踏切。長谷駅の駅舎は左(北)に見える新駅舎が令和2年(2020年)の完成で、右(南)の方は昭和46年製の駅舎跡が改札口として利用されている。
長谷駅
踏切から長谷駅構内を見たところ。
江ノ電ではよく見かける侵入防止の黄色いトゲトゲの向こうに2024年2月に廃止された構内踏切の踏み板が残っている。
ところで極楽寺3号踏切と4号踏切の間は線路南側に道路が並走(西側は地籍図で「道」だが、東側は私道と思われる)しており、公式ではないものの元は併用軌道のように使用されていたのではないかと思われる。そのためか、この短い区間には「江ノ電踏切の謎」でも5ヶ所(うち1ヶ所は使用されていない)、さらに北側の住宅がなくなり使用されていない2ヶ所の非公認踏切がある。
極楽寺4号踏切の西北角にはかつて食料品店があり2014年までは食堂があったのがGoogle Mapでも確認できるのだが、現在は更地となって隣地の薬局の駐車場として使用されているようで、道路側にはフェンスの隙間(片方は封鎖されている)が残っている。
by Natrium