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南大塚1号~13号踏切

OpenStreetMapで南大塚駅から脇田信号場までを見る。
この付近は川越市の旧大字脇田で、北側は昭和初期に耕地整理が行われているため現在でも町割が格子状になっている。
一方南側は古い街並みが残っていたところに関越自動車道川越ICができたため付近の道路が失われてしまっており、いずれにせよ明治28年(1895年)に西武新宿線の前身である川越鉄道が開通した頃の様子をうかがい知ることは難しくなっている。
今回は昭和36年(1963年)の空中写真を参考に踏切を見ていき、東武鉄道の川越駅と繋がっていた川越駅連絡線については後半で見ていくことにしよう。
参考資料:
・国土地理院Webサイト
- 「2.5万地形図(川越)」(大日本帝國陸地測量部, 1929)
- 「昭和21年空中写真」(米軍撮影, 1946)
- 「昭和36年空中写真(南大塚駅付近)」(国土地理院撮影, 1961)
- 「昭和36年空中写真(脇田信号場付近)」(国土地理院撮影, 1961)
・東京都立多摩図書館所蔵「鉄道ファン 2013年10月号 - 5社直通列車で訪れてみたい廃線跡 埼玉編」(草町義和/交友社, 2013)
この付近は川越市の旧大字脇田で、北側は昭和初期に耕地整理が行われているため現在でも町割が格子状になっている。
一方南側は古い街並みが残っていたところに関越自動車道川越ICができたため付近の道路が失われてしまっており、いずれにせよ明治28年(1895年)に西武新宿線の前身である川越鉄道が開通した頃の様子をうかがい知ることは難しくなっている。
今回は昭和36年(1963年)の空中写真を参考に踏切を見ていき、東武鉄道の川越駅と繋がっていた川越駅連絡線については後半で見ていくことにしよう。
参考資料:
・国土地理院Webサイト
- 「2.5万地形図(川越)」(大日本帝國陸地測量部, 1929)
- 「昭和21年空中写真」(米軍撮影, 1946)
- 「昭和36年空中写真(南大塚駅付近)」(国土地理院撮影, 1961)
- 「昭和36年空中写真(脇田信号場付近)」(国土地理院撮影, 1961)
・東京都立多摩図書館所蔵「鉄道ファン 2013年10月号 - 5社直通列車で訪れてみたい廃線跡 埼玉編」(草町義和/交友社, 2013)

南大塚1号踏切は廃線となった西武安比奈(あひな)線にもあるが、西武新宿線の南大塚1号踏切は太田街道が渡る場所にある。
ここからの写真は2026/8/7撮影。
ここからの写真は2026/8/7撮影。

関越自動車道が西武新宿線の上を跨いでいく。

関越自動車道の川越IC南側に南大塚2号踏切があったのだが、インターチェンジの建設で廃止されてしまっている。
写真右手前のゴミ集積所付近に踏切があったと思われるが、現在は写真奥の線路下に作られたトンネルを通って北側を並走する国道16号に向かうことができる。
写真右手前のゴミ集積所付近に踏切があったと思われるが、現在は写真奥の線路下に作られたトンネルを通って北側を並走する国道16号に向かうことができる。

川越IC東側の側道から西武新宿線に出てくる道路が渡る南大塚3号踏切。昭和36年の空中写真を見ると、インターチェンジ建設前からここには踏切があったようだ。

南大塚3号踏切のすぐ本川越寄り、駐車車両があってわかりにくいがここに南大塚4号踏切があった。

線路南側にある大塚新街公園に「源頼朝の山車(だし)」と大きく書かれた蔵がある。
大塚新田囃子連(はやしれん)のWebサイトによれば、明治10年(1877年)に原型が作られ、明治28年(1895年)に源頼朝の人形が乗った大きな山車が収蔵されているという。
川越市歴史文化伝承山車として登録されているそうだ。
大塚新田囃子連(はやしれん)のWebサイトによれば、明治10年(1877年)に原型が作られ、明治28年(1895年)に源頼朝の人形が乗った大きな山車が収蔵されているという。
川越市歴史文化伝承山車として登録されているそうだ。

古くから残る道路が渡る南大塚5号踏切。
踏切北側(写真右奥)には慶長18年(1613年)創建と伝わる窪稲荷神社があり、写真左奥へ伸びていく道を進んでいくと国指定の史跡となっている7世紀後半の上円下方墳「山王塚古墳」がある。
踏切北側(写真右奥)には慶長18年(1613年)創建と伝わる窪稲荷神社があり、写真左奥へ伸びていく道を進んでいくと国指定の史跡となっている7世紀後半の上円下方墳「山王塚古墳」がある。

耕地整理された地域に入ったところにある南大塚6号踏切。
ここからは西武新宿線の線路に沿って東西にやや扁平になっている区画が続いている。
ここからは西武新宿線の線路に沿って東西にやや扁平になっている区画が続いている。

踏切両脇に広く歩道を取っている南大塚7号踏切。

次の南大塚8号踏切は片側にしか歩道がない。

脇田新町交差点で川越駅を避ける形で南に曲がる国道16号が西武新宿線を越える。

国道を過ぎたところにある南大塚9号踏切。

南大塚9号踏切の本川越寄りで西武新宿線が単線になる場所にあるのが脇田信号場。
ここで下り線側が上り線に合流して単線となる。
ここで下り線側が上り線に合流して単線となる。

OpenStreetMapで脇田信号場から本川越駅までを見る。
鉄道ファンの記事などによれば、南大塚11号踏切と川越駅の間には昭和15年(1940年)ごろから連絡線の建設が進められていたが、終戦に間に合わず未成線となったとされる(一時期貨物列車が走ったとする説もある)川越駅連絡線があった。
この連絡線を使って西武から東武へ直通電車を走らせる計画だったらしい。
鉄道ファンの記事などによれば、南大塚11号踏切と川越駅の間には昭和15年(1940年)ごろから連絡線の建設が進められていたが、終戦に間に合わず未成線となったとされる(一時期貨物列車が走ったとする説もある)川越駅連絡線があった。
この連絡線を使って西武から東武へ直通電車を走らせる計画だったらしい。

脇田信号場の本川越寄りにある南大塚10号踏切。
下り線の車止めが踏切を跨いだところにあるため、踏切は複線のように見える。
下り線の車止めが踏切を跨いだところにあるため、踏切は複線のように見える。

踏切から本川越方向を見たところ。

脇田信号場を通過してきた本川越行き。

川越駅連絡線との分岐部分にある南大塚11号踏切。

国土地理院Webサイトより昭和21年(1946年)の空中写真(米軍撮影)。川越駅連絡線の跡がくっきりと残っているが、線路はないように見える。現在西武新宿線寄りの連絡線跡は住宅地になっている。

脇田本町交差点の北側で川越駅連絡線が道路を渡っていた場所。道路の向こうに見える川越駅西口第一自転車駐車場が連絡線の跡で、そこから手前に向かって連絡線が走っていたと思われる。
ここに踏切があったようだが、実際に踏切として機能したのかどうかははっきりしない。
ここに踏切があったようだが、実際に踏切として機能したのかどうかははっきりしない。

JR川越線の川越街道踏切(東武東上線は東上154号踏切)から連絡線跡を見たところ。脇田歩道橋のエレベーターに隠れてしまっているが、写真奥に連絡線跡の自転車駐車場が見える。

西武新宿線に戻って南大塚12号踏切を西側から見たところ。
車両通行止めの小さな踏切だが、線路西側に渡る道が少ないため残されているようだ。
車両通行止めの小さな踏切だが、線路西側に渡る道が少ないため残されているようだ。

西武新宿線最後の踏切となる南大塚13号踏切はJR脇田ガード(脇田橋梁)をくぐった北側にある。

踏切西側には蒸気機関車の踏切標識が健在だった。

何の気なしに東武東上線の方を見たら9/26運行開始予定の90000系が走り去っていった。

本川越駅では来年(2027年)春から運行開始となる新型有料着席列車「トキイロ」用に特急ホームを改札口方向へ延伸する工事が進んでいる。