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熊野前交差点〜王子駅南口前踏切

OpenStreetMapで都電荒川線(東京さくらトラム)熊野前交差点から荒川車庫前までを見る。
今回は併用軌道区間となっている熊野前交差点から小台停留場で専用軌道となり、荒川車庫(荒川電車営業所)前を通って王子駅まで見ていく。
今回は併用軌道区間となっている熊野前交差点から小台停留場で専用軌道となり、荒川車庫(荒川電車営業所)前を通って王子駅まで見ていく。
東京都電となった王子電気鉄道線のうち熊野前から王子駅前までの間は荒川線と名付けられたが、運転系統としては三ノ輪橋から赤羽までの27系統と、荒川車庫前から早稲田までの32系統に分かれていた。
昭和40年代に都電全廃方針が出た後の昭和48年(1973年)になって専用軌道部分が多い現在の荒川線を残すこととなり翌49年から王子〜赤羽間を廃止して現在の形となっている。
参考資料:
・国土地理院Webサイト
- 「昭和23年空中写真(熊野前〜荒川車庫前)」(米軍撮影, 1948)
- 「昭和23年空中写真(王子駅近辺)」(米軍撮影, 1948)
・国立国会図書館デジタルコレクション所蔵
- 「東京府北豐嶋郡王子町全圖 番地界入」(小林又七, 1930)
- 「東京府北豐島郡三河島町・尾久町・日暮里町全圖 番地界入」(小林又七, 1931)
- 「番地入新大東京市三十五區分圖之内荒川瀧野川區詳細圖」(坂西慶次郎, 1933)
- 「大東京區分圖三十五區之内荒川區詳細圖」(日本統制地圖/地形社, 1941)
・「今昔写真と路線分析 都電荒川線の前記録」(中村建治, 森川尚一/フォト・パブリッシング, 2021)
昭和40年代に都電全廃方針が出た後の昭和48年(1973年)になって専用軌道部分が多い現在の荒川線を残すこととなり翌49年から王子〜赤羽間を廃止して現在の形となっている。
参考資料:
・国土地理院Webサイト
- 「昭和23年空中写真(熊野前〜荒川車庫前)」(米軍撮影, 1948)
- 「昭和23年空中写真(王子駅近辺)」(米軍撮影, 1948)
・国立国会図書館デジタルコレクション所蔵
- 「東京府北豐嶋郡王子町全圖 番地界入」(小林又七, 1930)
- 「東京府北豐島郡三河島町・尾久町・日暮里町全圖 番地界入」(小林又七, 1931)
- 「番地入新大東京市三十五區分圖之内荒川瀧野川區詳細圖」(坂西慶次郎, 1933)
- 「大東京區分圖三十五區之内荒川區詳細圖」(日本統制地圖/地形社, 1941)
・「今昔写真と路線分析 都電荒川線の前記録」(中村建治, 森川尚一/フォト・パブリッシング, 2021)

熊野前交差点から西側の併用軌道区間を見たところ。都電通りと呼ばれる東京都道306号の支線を走る。
早稲田方面の熊野前停留場は併用軌道上にあるが、併用軌道といってもセンターリザベーション化されていて自動車は交差点以外では線路に入れない。ただし、緊急車両の通行は可能な構造になっているそうだ。
空中写真を見ると1990年代から2000年代にかけて道路の拡幅に合わせて東側から順次線路部分を道路から分離する工事が行われて行ったようだ。
ここからの写真は2026/10/1撮影。
早稲田方面の熊野前停留場は併用軌道上にあるが、併用軌道といってもセンターリザベーション化されていて自動車は交差点以外では線路に入れない。ただし、緊急車両の通行は可能な構造になっているそうだ。
空中写真を見ると1990年代から2000年代にかけて道路の拡幅に合わせて東側から順次線路部分を道路から分離する工事が行われて行ったようだ。
ここからの写真は2026/10/1撮影。

熊野前交差点上空を南北に通るのが日暮里・舎人ライナー。

停留場西側にある東尾久八丁目交差点。車道と線路が事実上分離されているがあくまで併用軌道のため、交差点に踏切はない。
電車専用の信号機もなく、この区間では車道の信号に従って電車が進行する。
ところで、尾久という地名は住所としては「おぐ」と読むが、荒川線の南を走るJRの駅名は「おく」と濁らない。JR尾久駅のある場所は実は元々の尾久村ではなく滝野川町で、温泉地であった尾久への入口として命名されたという。
本来の尾久は鎌倉時代から室町時代の小具郷(おぐのさと)であったとされる。
ところで、交差点の左側にあるラーメン店。もしかして1970年代の写真に写っている?
Google Mapを見ると結構何度も店が入れ替わっているようだが、建物は同じ場所のようだ。
電車専用の信号機もなく、この区間では車道の信号に従って電車が進行する。
ところで、尾久という地名は住所としては「おぐ」と読むが、荒川線の南を走るJRの駅名は「おく」と濁らない。JR尾久駅のある場所は実は元々の尾久村ではなく滝野川町で、温泉地であった尾久への入口として命名されたという。
本来の尾久は鎌倉時代から室町時代の小具郷(おぐのさと)であったとされる。
ところで、交差点の左側にあるラーメン店。もしかして1970年代の写真に写っている?
Google Mapを見ると結構何度も店が入れ替わっているようだが、建物は同じ場所のようだ。

交差点西側にはなぜか英語で「Off Limits(立ち入り禁止)」と書かれた看板がある。

尾久消防署前交差点で赤信号により停車している7702号車。

尾久消防署の前は緊急車両が反対側に渡れるようになっている。

尾久八幡神社の前にある宮ノ前停留場(交差点としては「宮の前」)。いかにも路面電車なセンターボールがいい味を出している。
尾久八幡神社の棟札には至徳2年(1385年、南北朝時代の北朝の年号)と書かれたものがあるといい、創建された時期は不明ながら南北朝以前から当地にあったとされる。
尾久八幡神社の棟札には至徳2年(1385年、南北朝時代の北朝の年号)と書かれたものがあるといい、創建された時期は不明ながら南北朝以前から当地にあったとされる。

尾久警察署の前にも線路を渡れるようになっている場所がある。

小台(おだい)交差点で信号を待つ7701号車。
交差点から西側は専用軌道になり、センターポールから線路両脇に立つ架線柱に代わる。信号にも電車専用信号がついている。
開業当時は小台ノ渡(おだいのわたし)という停留場名で、北側を流れる隅田川(当時は荒川)を渡る渡し船があったことに由来している。
地名としての小台は隅田川左岸の足立区にある。
交差点から西側は専用軌道になり、センターポールから線路両脇に立つ架線柱に代わる。信号にも電車専用信号がついている。
開業当時は小台ノ渡(おだいのわたし)という停留場名で、北側を流れる隅田川(当時は荒川)を渡る渡し船があったことに由来している。
地名としての小台は隅田川左岸の足立区にある。

小台停留場の先にようやく旧荒川線最初の踏切である荒川1号踏切が登場する。

荒川1号踏切を通過する8501号車。
都電リニューアルプロジェクトとして旧都電の山吹色をモチーフにした外装になっており、内装は木を活かした作りになっておりイベント用としても使用されているそうだ。
都電リニューアルプロジェクトとして旧都電の山吹色をモチーフにした外装になっており、内装は木を活かした作りになっておりイベント用としても使用されているそうだ。

続いて荒川2号踏切。
小台から荒川遊園地前停留場までの間は2014年前後に補助90号線整備に合わせて道路拡張とセンターリザベーション化が行われた。
小台から荒川遊園地前停留場までの間は2014年前後に補助90号線整備に合わせて道路拡張とセンターリザベーション化が行われた。

荒川遊園入口交差点と荒川遊園地前停留場。交差点は踏切番号としては荒川3号踏切になると思われる。

観覧車風の入口となっている「あらかわ遊園」は大正11年(1922年)開園で都内唯一の公営遊園地。令和4年(2022年)にリニューアルオープンしている。

遊園地西側にある、こじんまりとした荒川4号踏切。
昔は第四種踏切だったと見え、旧式の踏切警標がそのまま残っている。
昔は第四種踏切だったと見え、旧式の踏切警標がそのまま残っている。

警標としての機能はだいぶ怪しくなっているような気もする。

次の荒川5号踏切は自動車の通行が可能だ。

自動車用信号と踏切が連動しているわけではない荒川6号踏切。

荒川車庫前停留場に停車中の早稲田行き8803号車。
開業当時は字名を取った「船方前」という名前だった。三ノ輪橋方面は写真左に見えている停留場が乗車専用になっており、降車専用の停留場は車庫の西側にあって荒川車庫前止まりの電車はそこから車庫に入る形になっている。
開業当時は字名を取った「船方前」という名前だった。三ノ輪橋方面は写真左に見えている停留場が乗車専用になっており、降車専用の停留場は車庫の西側にあって荒川車庫前止まりの電車はそこから車庫に入る形になっている。

停留場の早稲田側にある構内踏切は踏切番号がついていない。

線路北側にある荒川車庫こと荒川電車営業所。以前営業所の建物があった区画(写真右)には旧車両を展示している「都電おもいで広場」が設置されている。

都電おもいで広場内で線路に並行して置かれている7504号車。平成10年(1998年)ごろまで荒川線を走っていたという(廃車は2001年)。
ここからの写真は2026/10/3撮影。
ここからの写真は2026/10/3撮影。

その左側、車庫よりに置かれている5501号車。
アメリカで開発されたPCCカー(Presidents' Conference Committee Streetcar)のライセンスを取得して製造された当時最新鋭の「防振防音電車」であったが、海外規格に基づいた設計で保守や運用に難があり1両だけで終わってしまった(他の5500形は非ライセンス仕様)。
上野・品川間の1系統で走っていたが、昭和42年(1967年)の1系統廃止とともに廃車となり、上野公園(上野動物園)で保存されていた。その後経年劣化が進んだこともあり平成元年(1989年)に荒川営業所へ移送され、そのまま放置されていたものを平成19年(2007年)に修復、展示されたもので、荒川線を走ったことはない。
アメリカで開発されたPCCカー(Presidents' Conference Committee Streetcar)のライセンスを取得して製造された当時最新鋭の「防振防音電車」であったが、海外規格に基づいた設計で保守や運用に難があり1両だけで終わってしまった(他の5500形は非ライセンス仕様)。
上野・品川間の1系統で走っていたが、昭和42年(1967年)の1系統廃止とともに廃車となり、上野公園(上野動物園)で保存されていた。その後経年劣化が進んだこともあり平成元年(1989年)に荒川営業所へ移送され、そのまま放置されていたものを平成19年(2007年)に修復、展示されたもので、荒川線を走ったことはない。

荒川営業所から出庫してきた7706号車。踏切のない道路を渡って本線と出入りする様子は昔からのことだ。
三ノ輪橋に向かう電車はそのまま乗車専用の停留場から客扱いとなるが、客扱いせず回送していく車両もある。一方、早稲田に向かう電車は一度停留場を通り過ぎた後で本線上を折り返して反対側の停留場に入っていく。
三ノ輪橋に向かう電車はそのまま乗車専用の停留場から客扱いとなるが、客扱いせず回送していく車両もある。一方、早稲田に向かう電車は一度停留場を通り過ぎた後で本線上を折り返して反対側の停留場に入っていく。

降車専用停留場から入庫線方向を見たところ。入庫線の前には左に「曲」、右に「正」と光る分岐用の信号機があり、その向こうにもうひとつ矢印と停止用の「×」の信号機がある。
ここからの写真は2026/10/1撮影。
ここからの写真は2026/10/1撮影。

入庫していく8808号車。

OpenStreetMapで荒川車庫前から王子駅前までを見る。

ここもかつては第四種踏切だったであろう荒川7号踏切。
ここからの写真は2026/10/3撮影。
ここからの写真は2026/10/3撮影。

線路南側の道路は荒川8号踏切のところで途切れているが、その先も補助90号線は梶原停留場の先を通る明治通りまで計画されている。

梶原停留場手前の荒川9号踏切。
踏切北側は梶原銀座通りという商店街になっている。
踏切北側は梶原銀座通りという商店街になっている。

梶原停留場が両側を挟んでいる明治通り。番号を示す看板はないが、ここが荒川10号踏切ということになる。

線路北側(写真右)に幼稚園があるためか通学路の標識がある荒川11号踏切。

荒川12号踏切の向こうには13号踏切が見える。

荒川13号踏切。11号からここまでの3つはいずれも線路北側が丁字路になっている。

線路北側に化粧品会社の研究所がある荒川14号踏切。

栄町踏切脇から栄町停留場を見る。番号で行けば荒川15号踏切だが、それを示すものはない。
栄町は大正2年(1913年)から大正14年(1925年)まで三ノ輪線の終着駅であった(開業当時は「飛鳥山下」で、最初の半年は梶原停留場の位置にあった)。
栄町は大正2年(1913年)から大正14年(1925年)まで三ノ輪線の終着駅であった(開業当時は「飛鳥山下」で、最初の半年は梶原停留場の位置にあった)。

荒川線がJRにぶつかって北に曲がる手前にある荒川16号踏切。

王子駅前停留場を出発して東北新幹線高架下から三ノ輪橋方面へ向かう8807号車。

東北本線の擁壁に向かって突き当たるところにある王子変電所横踏切。
写真左側に東京都交通局の王子変電所があったが、現在は駐車場になっている。
写真左側に東京都交通局の王子変電所があったが、現在は駐車場になっている。

線路の向こうに京浜東北線王子駅南口を眺める王子駅南口前踏切。
警報機の柱には荒川18号と書かれているので、ここが荒川ナンバーの最後の踏切ということになる。
警報機の柱には荒川18号と書かれているので、ここが荒川ナンバーの最後の踏切ということになる。

王子駅前停留場を北側から見たところ。
昭和3年(1928年)に東北本線が高架化されるまでは大塚側の王子停留場と線路がつながっておらず、三ノ輪線はここで折り返しとなっていた。
昭和3年(1928年)に東北本線が高架化されるまでは大塚側の王子停留場と線路がつながっておらず、三ノ輪線はここで折り返しとなっていた。